水に触れた時に、
あ、これは水だ、と認識すること。
風に吹かれた時に、
あ、これは風だ、と認識すること。
日に当たり熱くなった肌と水の冷たさの境界線を味わう。
風に吹かれて前髪が揺れてそれが皮膚にあたってくすぐったくなること。
水に触れた時に、
「昨日はあんな嫌なことがあったな」と認識していたら
風に触れた時に、
スマホの文字を目にしていたら
何を今明確に意識できているのだろう。
行うことの全てが曖昧にぼやけていく。
日常の全てが修行だと仏教の教えにあったが
それはひとつひとつを確かに認識することにあるのかもしれない。
集中するということ 研ぎ澄ませるということ
そこから生まれてくる己の感覚に耳を澄ませる。