自分を動かしやすくする。

雑誌編集者の女性が、自分が飽き性な事に悩んでいた。

けれどある日「飽き性だから編集の仕事が向いているんだよ」と言われてから

「飽き性を良い風に生かせばいいんだ、次々にワクワクするものを紹介できるのが

私の良い部分なんだ」と思い直すことが出来て

飽き性をネガティブに捉えなくなった。

という話を聞いた。

 

これは一つの出来事や物事の「解釈を変えた」と私は捉えている。

人は何事も自分の解釈で受け取る。

「私はこういう解釈の仕方をしたんだな」と思うようにすると

「これが私なんだな」と思うよりも方向性を身軽に変えやすい。

 

私も飽き性だったので彼女の言っていることがよくわかった。

私の場合も、「飽き性ではなくて次々に新しいことに挑戦しているだけ。

それでこそあなたが生きる」ということを聞いてから

解釈を変えることができた。

 

そして「自分のこれが嫌だけど、でもそれは良い面もあるから

このままで生かしていこう」と思うと同時に

最近では「自分はこういう面があるけど、それは変えていきたい」と

思うこともありだなと積極的に思えてきた。

 

今まではなんだか「自分に無理をするのはよしたほうがいい」とか

「無理しなきゃできないことはやる必要がない」という

自然体な言葉に惹かれていた。

それもそれで一理あるのだけど

「自分では苦手な一面だけど、それでもやってみたい自分がいる」なら

それはとりあえずやってみた方がいい。

なんでも自分らしさに合わせて行動していると行動の幅が狭まる。

もしかしたら「無理しなきゃ」という言葉が強すぎて

その裏にある「でも本当はやってみたい」「本当は興味がある」という所を

見過ごしてしまっている可能性がある。

 

具体的な話をすると

私は音楽を作るのは自分だけの感覚でいきたい自分と

他者の思想や作り方を知り時世を捉えた上でやっていったほうがいいなと思う自分の

二つの相反する自分が存在していた。

 

あえて後者を「やりたい」ではなく「やっていったほうがいい」と書いた。

これは、自分だけの感覚だと

すぐにネタ切れして同じようなものしかできないという理由から

自分の感覚以外も「やっていったほうがいい」と思っていたから。

 

言ってしまえば「自分だけの感覚」なんてものはそもそもない。

必ずしも人は何かに、誰かに影響を受けているから。

「自分の慣れた感覚」といったほうがいいかもしれない。

 

そして「やっていったほうがいい」というと、私は決まって

イコール面倒くさいにつながる。義務感がでるからだ。

 

しかし面倒臭いのに、なぜかいつまでも私にまとわりついてきた。

「そうしなきゃいけないと思っているからまとわりつくんじゃない」

そう思うこともあったけれど

しかしこれはよくよく自分が求めているものらしい。そんな気配がする。

 

 

「怠惰の先を見てみたい」というのがこの頃の私の願望。

今までやり慣れた生活、やり慣れた作り方、やり慣れた性格に飽きて、

めんどくさいけどめんどくさいと思っているのにも飽きたから

めんどくさいの先に行きたい、と願うようになってきた。

 

だから私は

「やらなきゃ」じゃなくて「やっぱりやりたい!」に解釈を変えた。

 

というのも、今まで通りに飽きたともう一つ理由がある。

私が同じように引っかかってきた言葉がある。

それは「本物」という言葉。

本物というのは人の数だけ解釈の仕方がある。

私は前に「本物を求めて変化に飛び込んでいく人だ」と言われた。

しかしその時に「本物」とは一体なんなのか私の中には浮かばなかった。

それっぽい言葉は並べられても自分の言葉ではなかった。

 

そしてここ数日感じている。

私が思う「本物」という定義は

この「やっぱりやりたい!」と思っているものの中に存在しているような

予感がしている。だからやりたいに解釈を変えることができたのだ。

 

私は自己探求が人生の面白さのひとつだと思っている。

現時点での私が思う本物というのは、

「自分以外のもの(時世、他者の作品や思想、物事の成り立ちや作品以外の物事も)を

自己の一部に取り込み

それを自分の思想やあり方と混ぜ合わせ

自分の作品に昇華させること。

そしてその探求と強い意思を継続し続けること。」

だと思った。

これは今の私にはかなりしっくりいった。

 

そしてこの解釈がしっくり出たことによって

その本物へ続く橋がくっきり見えたような気がしている。

この橋を渡ったからといって自分が本物を手にするかどうかはわからないけれど

(おそらく別の課題が出そうな気がしている、それはなくならない。)

少なくとも今の感覚とは違う境地に達するのではないか、と感じる。

 

「めんどくさー」と私は思いがちだ、と自分に思っていたけれど

別の側面で、知識を吸収して発信することは私の好きなことのひとつだ。

今まで自分が「私はそれをめんどくさい」と思い込ませていたものの中に

「シラフな目でみたらむしろ得意なこと」が隠れていたりする。

それこそ「解釈を変える」ということに繋がる。

 

他者の言葉にも要注意なのだ。

他者が「あなたはこういう人だよ」という決めつけは

他者が思っている「あなた」でしかない。

時に他者の言葉が良い風に解釈を変えるきっかけにもなるが

時にそれは動きづらさに繋がる呪縛になる場合もある。

あまり他人の言葉は鵜呑みしすぎない方が良い。

「他人の感想だな」くらいがちょうどいいし

その中で引っかかる事があったとしたら

自己探求する良いヒントとして使うのがいい。

 

自分の行きたい方角へ自分を舵取りするためには

うまく自分自身を説得力のある言葉で誘導する必要がある。

「確かにそうだな」と腰の重い自分に思わせるのである。

解釈の仕方次第で、自分の心を使いやすくする事ができる。

使いやすくなった心で、行きたい方角へ歩みを進めるんだ。