偶然見た安原健太さんのエッセイ。
「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない」
https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899
ぶんぶんと首を縦に振った。
沢山いるのだろうけど
こういう男性がいるという事がわかるだけでも
なんだか救われる気持ちがする。
エッセイの中にある
「ほぼ初対面の女性にルックスのことばかり言うのは、
好奇の目で見てますよと伝えてるようなもので、かなり抵抗がある。」
「男からしたらただの興味本位かもしれないが、
興味を持たれてるということ自体がとても怖いことなのだと思う。」
私も前から容姿を褒められることには
うっすらとした違和感のようなものがあった。
(インスタとかで髪切ったよ!と報告したことに
「似合ってるね!」とかコメントくれる人の事ではなく
そういう報告とかではない普通の場において
褒められるような場面のことを指している)
嫌なわけではないので笑って受け流すけれど
内心は「だからなんなのだろう?」という疑問があった。
でもこういう話をしても、共感される事は多くなかった。
「褒められてるんだからいいじゃん!」と言う人も多かった。
褒められるってそんなにありがたいのだろうか。
なんだかうっすらとした疑問のようなものを感じていた。
目の前にいる人がその人であることに対して評価しようと思わない。
存在している、それだけでいいじゃんと思う気持ちでいる。
自分が満足してりゃそれでパーペキじゃねーか!(古)と思う。
自分が他者の容姿を褒めるという評価を下すことに対して
いささか傲慢めいたものを感じたりもするし
自分にとっての褒めが相手にとっては気になっている部分かもしれない
そう感じると、容姿がどうかなんて
言われてもないのにわざわざ口に出さなくてもいいんじゃないかなと思う。
仲の良い友達や身近な人が
大きくイメージを変えたりして
それがすごく良いなと思う時には
それすっごく良いね!!!!!!と言うことはある。
同じように前から見てくれてるお客さんとかが
「その髪型すごく似合ってる!」とか言ってくれるのとかは
「まじか!わーい!」と純粋に感じる。(例え話が髪しかない語彙力)
前からよく知っている間柄は
お互いの人となりがある程度わかるからかな。
純度が高いというか。
私が新しく買った服を着て
それを「これ新しく買ったんだー!」って相手に伝えて
その相手が「えー似合うじゃんかわいい」って言ってきたことに対して
私が「うるせーな褒めてんじゃねえよ!」と言い返したら
それはやばいやつです。
そうではなくて私が違和感に思うのは
自分や相手が自身の容姿などについて特に何も伝えてないし
求められてるわけでもない場所で
あえて容姿を褒めだすという行為についてなのだと思う。
「モテる本」と言われてるようなやつには
「女性を褒めましょう」とか書いてありそうな気がするけど
もし持ってる物とかをいちいち褒められた日には
「なにをジロジロ細かく見てんだこの人は」と私だったら嫌な気持ちになる。
「興味を持たれることへの恐怖」
エッセイの中で書かれてたこの言葉。
この事を男性が配慮して言葉にしてくれるということが嬉しく思った。
異性である男性がそういうイメージを働かせてくれるということが。
でも男性でも一方的に好意を寄せられて怖い思いをする事があると思うから
女性だけの話でもないと思う。
自分が良いなと思わない人から良いなと思われ行動に出されるのはめんどくさい。
モテる自慢、モテない自虐自慢(?)をする人がいるけど
いろんな人から興味関心を持たれることは自慢と思えない。
なんでこの世の中はそんなに他人から容姿や
異性として認められる事を良いことだと思うのだろうか。
モテメイクとか、youtubeの広告によくある無駄毛はモテないとか、
結局広告や媒体を使っての商売なのだけど
その商売文句を真に受けて自分や他者を世間的な評価に押し込む人はとても多い。
自分が良いと思うことをやりゃいいじゃねえか
でもそれをしたときに失礼な事を言う人間も本当に多い。
そういうのが家族の中にいたりすると自尊心も自己肯定感も
子供の頃から下がってしまうよな。
でも人を笑うようなやつらが一番ださいんだよ。
かっこいいっていうのは
ものの考え方や信念とそこからくる行動にあらわれるものさ。
ちゃんシギはそんなことを思ったりする。