ある知人が長年頑張ってきたことの結果を出して
すごいなと思いつつ
新しいことをやるにあたって悔しい思いもしただろうから
それも原動力になったのだろうなと思った。
最近私も
妥当そうな理由や根拠を並べられて
真面目に考えて動いていたけど
しばらくして
あれ、これ自分ばかり負担になってるよな
と気がついて白けることがあったり。
でもそこからわかるのは
自分がいつか誰かに対してそういう気持ちにさせてなかったかな
ということだったり。
されて初めて気が付くことって沢山あるのかもなあと思った。
そういう意味では白けることも無駄ではないかもな。
そしてそういうことがあると
自分がどういう人とこの先に関わりたいのか
さらに輪郭が見えてくる。
仲間のしょへすんの存在も心強くなる。
それを教えてもらったとも思えば
この野郎というよりも
サンキュー!という気持ちがわかなくもない。
対人関係でそういう面倒な気持ちになることが起きたときに
あーもう全部めんどくせえ!
みたいに投げ出して引きこもりたくなることが今まではあったけど
最近はそういうのがあると
あ、ここではなかった。次に向けて粛々とまた始めましょう。
という切り替えが早まった。
あーあと思う気持ちは嘘じゃないから大事に認めてあげるけど
俺はこれからすごい面白いことをやっていこうとしてるんやで!!と
ふてくされてらんないくらい未来に向かっているのさ。
だからなんだかなあーと思う気持ちはむしろ原動力に変わる。
冒頭の人もそうだったんだろうなと想像した。
いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりじゃない。
悪いようにみえることさえ、いい風に変えてやるのさ。