私の命は間。

調べ事などをしていたらブログ書く時間を逃してしまった。

最近はバッテリーの交換とコンタクトを新調した以外は

もっぱら家で制作の前段階の調べ事や勉強などをしている。

 

社会で起きている問題などみていると本当にいろんなことがあるんだなと

今日見ていた動画で

「社会にコミットせずに向き合わなきゃいけない問題から避けてきたのが40代。

それがZ世代はまっすぐその問題に向き合って声をあげている。

大人たちが向き合えなかったことにダイレクトに向き合っている世代だ。」

という言葉があった。(話されてた方が40代の方だったので40代が出てきている)

 

私は30代だけど、30代でも周りの友達や家族との会話で

日本のことや世界のことや地球のことの会話はほぼ出たことないと思う。

政治の話をほんの少しするくらいだったなって。

することが少し恥ずかしいとか気まずいとかあったけど

私もZ世代の方達の意識を見たり

同世代でも声を上げる人の存在を知ったり

海外のアーティストを見ていると意識が変わっていくことが多くて。

 

環境問題で特に若い世代の方が行動しているのをみると

意識高いとかすごいねーと言われがちだけど

ちょっと考えてみると

これだけ毎年こんなこと初めてっていう災害が起きたり

外にでるのが危険ってくらい夏は暑くなっていたりしていて

20年後30年後はどうなっているのかなと想像すると

若い世代の方にとってはもろに自分ごとのことなんだから

行動するのも当たり前のことだよなと。

それがその世代の親やそれよりも上の世代が

発展と引き換えに行なってきたことが原因の一部になっているのだとしたら

大人は子供にすごい負の財産を残すことになってるよなと。

それで大人たちが恥ずかしいとか気まずいとか難しいなんて言ってちゃだめで。

何も考えずに恩恵にあずかるだけあずかって好き勝手使って

あとのことはわからない難しいで終わらせちゃいかんなと。

 

環境よりも経済が大事というのは

30年後40年後に生きてる可能性が低い人は言えるけど

その時にも生きていて家族をもっている可能性があるんだったら

経済だけをとるという選択肢にはならんよなと。

大事なのはバランスなんだけど

あまりに日本の中で私を含めて上の世代の人間が

どれほど国の問題や自然の不具合に真剣に向き合ってきたのか

自分が安心して住むためには自分の周りの安心も大事で

それは環境の安心も大事で

これは綺麗事じゃなくてしっぺ返しとして返ってくることだから

リアルなことだと思う。

 

そういうのをないがしろにしてバランスを欠いてきたような気がしている。

でもこの国の人は疲れてる人や不本意な働きをして

ストレスをためている人が多すぎて

自分のことさえ大事にする余裕を失っている人も多いから

バランスを欠くのも責められることじゃないと感じる。

その仕組みを作ったのは誰なのか。

どこの仕組みで人々が苦しむ不具合が生じているのか。

余裕をなくして苦しむ人の心は自己責任で終わらせてはいけないと感じる。

 

最近自分の音楽に対する我欲みたいなものが良い意味ではがれてきていて

冷静に作っている。

作戦をたてて、遂行しているような気持ち。

自分の欲みたいなものもないわけではないけど

それが気にならないくらい小さくなっていて

自分がどうしたいかどう見られたいかとかそんなことよりも

自分だったら何ができるのかということに気持ちがいく。

私がやることにそこまで何かを揺るがすような大きな価値があるとは思っていなくて

ただ生きている以上はこの命を使って汗をかきたいと思っている。

自分のためだけに汗をかくのはつまらなくて。

自分の命が70年くらい生きるとしたら

それはこの国にとっても地球にとってもほんの瞬きのことで

その瞬きの時間を次の瞬きに何か繋がるために生きられたらという気持ちが

わいてきている。

そう思うようになったら、自分に固執する気持ちがわかなくなったというか。

自分はあくまでもものの流れの間にある存在なんだなという気持ち。

だから自分に大きな幻想を抱くこともなく

かといって小さくまとまるわけでもなく

ただ今を自分がたてた目的のために使っていこうと

極力いろんな問題をみて自分の頭で考えながら

作りたいものに向かっていこうと

そんな気持ちで生きているこの頃。