今何が起きているかを忘れない。

パターナリズムとは、強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のためだとして

本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。

親が子供のためによかれと思ってすることからきている。

 

昨日のロッキンと茨城県医師会も日本の政治も

パターナリズム的な部分があるように感じている。

 

対話はどれほど重ねられただろうか。

相手側の立場やしてきたことや苦難をどれほど傾聴しただろうか。

一方的ではなかったか。

その措置にどれほどの効果があるのか、あったのか。

1年以上がたってどれほどの検証がされただろうか。

それは正しく公表されているか。

精神論で終始していないか。

 

怒っているのはコロナに我慢できずに怒っているのではなくて

数値化されない根拠のない不透明なことを一方的に押し付けられているから。

信頼できないことが積み重ねられると怒りと不信感と諦めが蔓延する。

でもこれで脱力してはいけなくて

今ここで起こっていることを忘れないことが大切だと感じる。

 

コロナの影響をあまり受けない人は幸いにも

仕方がないで終わらせられるかもしれないけれど

影響を受けている、それも理不尽な影響を受けている人の無念を思うと

やりきれないで終わらせるわけにはいけない。

その人たちは、やりきれないで終わらせられちゃたまったもんじゃないよな。

 

今ここで起こっていること。

指示をしているのがどこなのか、誰が何を言ったのか、言わなかったのか。

そのことを忘れてはいけない。

なんとなくで流されずにしっかり覚えていよう。

 

それは憎しみのためではない、その人間を罰するためでもない。

この先の国づくりのために誰に託してはいけないかを知るために

今起きていることが重要な材料になる。

 

おかしいと感じたことはおかしいのだ。

怒りも悲しみも「他の人に比べれば・・」と我慢したりせずに

きちんと実感して味わって

まずは自分の気持ちを大切に。

そのあとでこの状況で起きていることを見つめて

どうなることが望ましいのかを考えて

行動にでることが大切か、と思う。

 

とにもかくにも

不透明なことはなるべくなくしていきたい

政治のこと以外でも私自身の生活や活動の中においても

不透明さはなるべくなくなるようにしていきたいと思った。