ドライブマイカーを滑り込みで見に行った。
日本の映画(韓国陣営もかなり関わっていたけれど)の本気を見た。
作品の濃度に対して忠実に真摯になったことの結果なのだろう。
個性とは出すものではなくて
そのものを理解し研ぎ澄ませて努力を怠らなければ
自ずと輝き出すものなのだろう。
この作品は
人生の中にあるどうしようもなさや
やるせなさを感じたことのある人間ならば
きっと背中に手を置いて無言で励ましてくれるような存在になるだろう。
感動させて泣かそうとしていないからこそ
映画を見た後に
自分の中から自然とこみあげるものがあった。
こみあげるか否かは
観客のそれぞれに委ねられるのだろう。
そう思うとなんと誠実なのだろう。
作り手が読み手をコントロールしようとしない。
そんな当たり前の礼儀でさえ
犯してしまうことが普通にある。
去年の終わりごろから色々ありすぎた
私という人生において
見えない手で抱擁されるような気持ちになった。
それは慰みというよりも
私には励ましに思えた。