生きることを投げ出したくなった。

光が感じられなくなるくらい

どん底に落ちると

冷静になるもので

逆に考えると

むしろ中途半端な状態を保つ方が

より良い方へ変わることを

難しくさせているのかもしれない。

 

 

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先週、私は絶望していた。

リリースする予定日を1ヶ月すぎても

未だ出来ていなかったからだ。

それどころか見通しも立たなかったからだ。

 

 

そうすると

あれも出来てない、これも出来てないと

立て続けに浮かんだ。

 

私は一体何をしてきたんだ

私はなんの役にも立たない人間だ

口だけで何も出せない自分が恥ずかしい

もう嫌だ!いつもこうだ!もううんざりだ!!!

 

そんな言葉を心の中でずっと自分にかけた。

 

 

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共同制作してるしょへさんと横浜で会って

作業部屋では重い雰囲気が流れた。

 

私「もうダメな気がする。何も出来てないし、絶望してる」

しょへ「落ち込めるってことは俺からすると余裕があるんだなって思う」

私「(でたよこいつの慰め0の鋭い突っ込み…)」

 

 

しょへさんは言った。

「ここで優しくしちゃダメなんだ。

向き合えなくて逃げて楽な方に行って

誤魔化しながら生きてる人を沢山見てきた。

君にはそうなってほしくない。

だからここで諦めてほしくない。

辛いなら休もうと言ってはいけない。

それは本質的な解決にならないから。」

 

できると信じてもらっているからこそ

厳しいリアルな言葉をかけられてるのは

長い付き合いでわかっている。

 

2人でちょっと泣いた。

 

私は絶望しながらも

例え絶望に支配されて

自分のやることを投げ出したとて

私は諦めて誤魔化して生きていける人のように生きていけないから

私にとって投げ出すは死ぬと同義なのだとわかって

それにもまた絶望した。

 

 

 

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その後

それでもアレンジはしなければならないから

制作にとりかかったら

それが良い内容になった。

私がしょへさんのトラックを聴きながら

落ち込んではいたが

「自分だったらこの音が入った方が

かっこいいと思う。

その音が入ってるうえで

弾き語りもやったらかっけえなと思う。」

と口を開いたのが良いきっかけに転んだ。

 

 

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帰りの電車の中。

もう終電の24時近い

疲れたサラリーマンが寝てる車内で

私は自分について冷静に振り返って

スマホに書き出した。

 

 

そもそもなんでいつもこのパターンに陥るんだ?

 

 

私は今年に入ってからひとつ気づいたことがある。

人生がうまく回らないと思う時

必ずそこにはそれを妨げてる

自分の考え方や性格の癖があることを。

 

そしてそれを知って

断ち切らないことには

物語は同じ人生を歩むように

同じような出来事がやってくる。

 

例えば

恋人ができても同じような理由でいつもうまくいかない

など。

人が変わっても環境が変わっても

性格の癖が同じ場面で同じ選択をさせる。

気づけることの方が難しい。

 

 

その後に、出てきたことはこれだ。

 

全然意識してなかったけど

実は常に周りを気にしていたんじゃないか?

 

 

このブログの冒頭で書いた

 

「私はなんの役にも立たない人間だ」

「口だけで何も出せない自分が恥ずかしい」

 

という言葉がまさにそれで。

役に立つたたないは他者がいるから出る言葉で

口だけというのも話してる他者がいるから出る言葉。

人を気にしてるからこそ出た感情だったのだ。

 

好き勝手やっていると思い込んでいたけど

私は自分の中で自分が思い浮かべた他者に

縛られていたのかもしれない。

 

 

家族がとか、ファンの人がとか、周りがとか、

そういうものを妄想上で浮かべては

勝手にプレッシャーを感じて

早くこうしなきゃ、ああしなきゃと行動しようとする。

 

でも

CDは出すものだから出すとか

ライブはするものだからするというような

何の目的や意味も深く考えずに

「そういうものだからする」

というのをもうやめたいと思っていた。

 

でも私はシンガーソングライターだから

というと言い訳なのだけど

原曲を作ることはしてきても

シギという音楽の世界観自体を

どうデザインしたいかを

ずっと考えずに人任せでやってきた。

それが自分の中でいつも引っかかっていた。

 

「自分が本当にこれをすべきだと

心から感じたこと以外のことを

慣れてるからとか、受けるからという理由で

やることはもうやめよう」と

私は胸に決めたはずだ。

 

それなのに、また元に戻ってきて

「早くやらなきゃ」「またリスケだ」「もう嫌だ」

みたいに

周りを気にしてるが故のプレッシャーのストレスに追い込まれてた。

 

 

 

それは責任を感じてるからとも言えるだろう。

でもそれが故に仏作って魂入れずな作品を出してたら

また周りに委ねてアレンジをお願いしてたら

自分が今まで感じてた「なんか違うんだよな」

という違和感から脱せられないだろと。

 

 

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このプレッシャーは怯えだ。不安感だ。

思い起こせばそういう気持ちが自分を焦らせて

結果、半端な気持ちのままで

生きていたのかもしれないと思い当たった。

 

 

お前は本当はどうしたいと思っているのか

どう生きたいと思っているのか

この人生で何を表現したいと思っているのか

心の中の自分がずっと自分に問うてきては

でも慣れてないし

そこに手をつけると大変だからと目を背けていた。

言葉にしないで、心の中で。

 

 

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しかし

どうして自分でも無意識に

見えないプレッシャーという足枷を

つけてしまったんだろうかと考えた。

 

 

それは

子供の頃の「ちゃんとしなきゃいけない」という役割を

自分でせざるを得なかったことの影響が大きいと思った。

 

 

「言った通りにできないのはちゃんとしてない人だ」

というプレッシャーを常に自分で自分に負わせていた。

それは辛いよ、しんどい。

固くもなるし息苦しいよ。

恐ろしいことだけど

無意識下で行っていた言葉がけだったので

自分で気が付かなかった。

 

 

それと共に

「やる事がまとまってあとはやるだけ」という状態も多いので

それに着手することが面倒くさいという気持ちも正直持っていた。

なぜなら地味なやることが沢山あるからだ。

それを形にするのにどれくらいかかるかを考えるとまた恐ろしくなり

「はあ、また自分はすぐに出せない」という自己嫌悪に陥る。

 

「一個ずつ地道にやっていくしかないんだよ」

「その道のりに心身ともに疲労するから

そのための体づくりをしなきゃいけないんだよ」

しょへさんからそんな正論の数々を浴びせられ、

私は白目で「そんなことはわかってまーす」と思っていた。

そうなのだ。

 

日の目を浴びてる格闘家も、格闘家も、格闘家も(この世に格闘家しかいない)

みんな地道なルーティンをこなしている。

それも、がむしゃらにやるとかではないのだ。

ど根性はずっとは続かない。

冷静に、修正を重ね、淡々とやるのだ。

大体みんな、同じことだ。

魔法のやり方なんてものは言わない。

 

「楽にやれる〇〇の方法」なんてのは

楽をしたい大衆に向けてるだけだ。

本当に何かをしたいなら、楽になんか出来ない。

無様で情けない弱い自分とも向き合わなきゃいけない。

その地道にやっていく勇気と覚悟と、体力がないのが99%の人だ。

 

いやでも私は別に

凡人と違う1%になるぜと思って書いてるわけではない。

凡人と違う1%のすげえ音楽をやるんだぜとも思っていない。

そんなすごい事は私には出来ない。

 

ただ

「自分が心からこれをやるために生まれてきたのだ

これをやるために生きているのだ!!!!

と思える日々で人生を作っていきたい。

それで人と喜びたい、それで人の役に立てるのが本望だ。

 

そのためには乗り越える必要があることがあまりに沢山あって

今年それの腹を決めたつもりだったのだけど

固いプレッシャーをかけてくる

自分の癖にも気づけてなかったので

腹を決めた数ヶ月後

締め切りがのびのびだという挫折感をきっかけに

どん底に落ちたのだった。

 

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何故自分がどん底に落ちるのか

半端に目の前の簡単なことに流されるのかのパターンの中に

「子供の頃に課されていた役割に囚われている自分」が邪魔をしていて

それが色んな場面において生きづらくさせる原因だと発見して、

そこを降りる必要があることと

そいつがこの先で何回出てきても

そうじゃないパターンを選べるために必要なことを

学ぼうと思った。

 

同じ物語の流れに終止符をうつためには

違うパターンを選択すること以外にはないのだ。

 

 

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また、そこからこういう流れに考えついた。

 

「私は別に人の命を背負ってるわけでもない。

そんなたいそうな仕事なんかしてない。

好きで始めた仕事で、人にも恵まれていて

なのになぜこんなに背負ってる風な

息苦しい気持ちになるんだろう」

「それは自分の中で

『ちゃんとしてなきゃいけないのに』っていう

プレッシャーで自分を追い詰めていたからだ。

それは理解した。」

「でも何をしなさい、これをしなさいと

誰かに言われてるわけでもないのにな。。

あれ、、なんか冷静になってきた。

言われてもないのに勝手に妄想して自分を苦しめて。。

なんや自分がアホらしくなってきたな。。」

「もしかして俺…

我がままが足りてないんじゃないか?」

 

という言葉にたどり着いた時

目から鱗が落ちた。

 

 

大変大変…

慣れてないし…しんどいし…

時間は光の速さで過ぎていくしな…

はあ、嫌になっちゃう…

とりあえずプロテイン飲も…じゃねーんだわ!

 

自分で自分に「大変なことです」と重りつけて

それで「辛いことです。。」としんどい演技

してたようなもんじゃないかーい。

と思って盛大にアホらしくなった。

 

例えば

私は幼稚園や小学校低学年の頃は地獄だったが

中学に入ってからサボるという技を取得してからは

要領よく高校までサボり続け

友達と自転車でこの一本道はどこまで続くか

とか青春してた時のように

その延長線くらい自由に

自分を軽やかにさせてあげなさいよ。

と自分に思った。

 

大変な気持ちでやるより

面白がる気持ちをもってやりなさいよ。

同じ時間を過ごすなら。

楽観的なちびまる子ちゃん好きモードで

ひいひいしながらも

ひいひいしてる自分を笑ってやりなさいよ。

 

あなたがあなたを苦しめてどうすんのさ。

自分に思った。

 

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納期とか、みんながとか、

一旦、ちょっとだけ横に置こう。

 

本来に目を向けて、集中しよう。

 

 

そして

自分がこんなに悩んで葛藤して

死にたくなるくらい辛い気持ちになることが

愛おしくも感じた。

 

それはどんなに落ち込んだり悩んでも

その先でひとつの答えを出してくれるはずだと

自分に対して信頼しているからなのかもしれない。

 

 

絶望するということは、

理想や希望や目的をもっていることの表れだからだ。

改めて思った。

 

何もない人は絶望することもない。

 

生きることに絶望する人は、

「何くそ負けたくない!」というエネルギーが

心の底に確かにあるからだ。

そういう意味では何よりも生きている瞬間なのだ。

 

 

生きるということに一生懸命だってことだ。

 

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この先も

何回もどん底に感じる時はくるだろう。

辛いことも、試練もくるだろう。

 

 

絶望してもう無理だやめた

アホらしいと投げやりになる時もあって良い。

大体そういう時は疲れてる時だから。

 

自分にそう言ってあげた。

「頑張ったけど、頑張る角度が違ったんだ。

だけど頑張ってんだよ。

それで疲れたんだ。その気持ちは本当だ。

無くさない方がいい。

間違えじゃない、結果なだけだ。冷静になろう。」

 

 

自分をどん底のままで萎ませてはいけない。

 

 

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物語の章がひとつ終わる時は

どん底の時が多い。

そこから、次の章が始まる。

 

観客はワクワク、ドキドキする。

どうなってしまうんだろう、続きが気になる。

人生はそれと同じだ。

 

どん底になって絶望して

先週、私の章はひとつ終わった。

落ちるとこまで落ちたから冷静になって

何が自分の邪魔をしていたか見つけることができた。

 

次の章はそれがわかった上での章が始まる。

見てろよ、どん底の時の俺、やってやるからな。

そして、今日に至る。

 

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昨日はプロディジーのインタビューを見て励まされた。

L:長期間活動するということはいろんな試練を経験するということで、それだからこそバンドも興味深いものとなる。大変な時期を経験した後に復活することでね。 

K:俺たちもこれでよかったと思っている。そういった辛い時期を経験できてよかったと思っている。何をやるにしても一生懸命に努力しなければならない。何事も簡単にはいかない。簡単に手に入るようなものだったら、それはつまらないもの、または、無意味なものに思えるだろう。

 

 

時々たまにストレスがたまると

自分が不器用なだけなんじゃないかとか

もっと楽にできるんじゃないかと思う時がある。

だけど、そんな事はないのだ。

 

 

みんな懸命に生きている。

そんな人が好きだし、そんな自分が好きだ。

逃げ出したくなる弱いだせえ自分も込みで愛おしい。

 

そんなもんだよなって思えるから愛おしい。

 

昨日は起きてから夜まで

今までを振り返って整理し直して

そしてこれから先を書き出した。

 

また一歩ずつ進もう。

地道にやれることが、一番強いんだから。

 

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どん底は悪くない。

ごまかしながら中途半端にいるくらいなら

一度死ぬほど深刻になって落ちた方が良い。

我慢しないで、泣いて喚いて絶望するのが良い。

その後で見えてくるものはリアルだ。

 

半端なポジティブでもなく

大袈裟なネガティブでもなく

今からどう生きていこうかが見えてくる。

ちっぽけな自分のままで

どう生きていくかが見えてくる。