50歳からの性教育

大竹まことさんのポッドキャスト

すごく勉強になった。

ゲストで出演されてたのが

「50歳からの性教育」の著者、斉藤章佳さん。

 

学びになったものをざっとあげるとこんな感じ。

 

・1人の性加害者が生み出す被害者の数が380人。アメリカのデータ。

・日本は痴漢や盗撮が多い。

・加害者は4大卒、家族がいて、仕事でも家庭でも評価の高い人に多い。

・加害者には「女性も望んでいるはず」とか

「女性専用車両に乗っていないんだから痴漢されたいはず」

という認知の歪みが生じている。

・社会の根底にある男尊女卑の思想を、意識的にアップデートしないと

誰でもが性加害者のようなものの見方をし、行動にでる可能性がある。

などなど。

 

性加害になる人を減らすための提案として、

「男性自身が自分の弱さと向き合い

それを曝け出せる場所があることが

社会を生き抜くうえでも必要なこと」

と斉藤さんは仰っていた。

 

なぜかというと

言語化の反対が衝動性だから

性加害という衝動に走る人は

自分の内面化を言語化し

それを周囲に伝えることができる人が少ないのではないかと。

 

女性も「女は〜」という

固定観念で押し付けられることが沢山あるけど、

男性の方は、「プレッシャーを感じる」ことと

「弱音を出すことが推奨されない」という風潮は根強くあると思うし

それが性加害だけでなく他の犯罪や自死にも

直結してる問題だと思うので

不寛容な社会を変えるのは切実な問題だと感じてる。

 

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私自身も、痴漢には電車内でも道端でもあったことがあるし

性被害にあってない女性の方が少ないと思う。

みんなわざわざ言うことでもないと思っていて

普通のことだとどこかで思っちゃってることが

すでに異常だなと思う。

 

性被害の話をする人に

「自慢でしょ」とか「そういう服着てるからじゃない?」とか

被害者を口止めさせる言葉が

平気で使われてるのもかなり目にする。

ここらへんの倫理性の低さは

そういう教育をしっかりされてこなかったに尽きる。

傷つけられた側が言えない雰囲気が作られてきた。

 

 

ちなみに、

「露出してると痴漢に狙われるぞ」

という発言はセカンドレイプに当たるそうで

放送内に理由が言われていたので気になる方はご覧あれ。

 

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立場が上の人がそういう雰囲気を出してくることもよくあるし

ジャニーズの件もそうだけど

今まで「あるのにないこと」みたいにしてきた事柄を

ちゃんと「それは問題だし変えなきゃじゃない?」と

認識して行動にでることが大切だよってなってきてるのは救いだ。

 

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著者の斉藤さんも男性で、

最近たまたまかわからないけど

Twitterとかで男性が

「女性に対して攻撃したり

いちゃもんつけてる男性がいたら

やめろと注意した方がいい。

見るだけで放置するの我々男側はやめないとだめだと思う」

的なツイートを何人かがしているのを見て

心強くなったりした。

 

痴漢とかの話題が出ると

「俺はそういうことやらないし

間違えられないか逆に迷惑してる」

的なポジションとる人が多かったけど、

「自分はやらないから関係ない」じゃなくて

「同じ男として関わらなきゃだめだよ」

と思って行動しだしてる男性が出てきてるのは心強い。

 

「女VS男」じゃなくて

変えようって思ってる人たちで

手をとりあうことが大切。

地獄に仏。

 

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1人の加害者が380人の被害者を生み出すなら

1人の加害者が更生すれば380人の被害者が生まれないはずで

斉藤さんも仰ってたがそれはかなり難しい道のりなんだけど

それでも加害者の中にも

変わりたいと本気で思い何年も治療を続ける人がいるのも事実。

 

それと同時に、

言語化できる環境を作るために

愚痴や弱音を聞いたり話し合える環境を

意識して作ってみようと思い、実践することはできる。

 

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なんだが!

ここが難しいところなんだけど、

例えば女性側が

ストレスフルで居場所のない男性に

「なんでも言ってね。話を聞くよ」という態度をとると

「俺のことが好きなんじゃないか?」みたいな思考になって

そこからめんどくさい事に発展することもあるので

(ひどいとそこから逆恨みされて殺されることもある)

女性サイドが行動に移すことは

リスクが高いのも正直なところ。

 

なので、家族や職場の中でとか

男性同士とかで弱さを出し合える環境や人間関係が

作っていけるのが良いんだけどなあと思う。

 

そういうのを周知していく事と

男性で積極的に発信していく方が増えてくと

少しずつ変わっていくのかなって思ったり。

 

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何にせよ

社会にある生きづらさを理解してアップデートさせるための学び

は、学校で必修にして欲しいくらい大切なこと。

私たちが教わってこなかったことを

今からでも積極的に学んでいかないとと思う。

 

 

youtubeにあがってるので、ぜひ!

望まないものは受け取らない。

自分の心の中の正直で素直な自分が叫んだ。

「楽しくない人といても楽しくない!」って。

 

私にとっての楽しさ

学び。刺激。発見。成長。

 

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何故かすごく小さい頃から、

自分の感情をコントロールできない大人に

囲まれることが多かった。

 

さっきまで機嫌良かったのに

いきなり黙りこくる人とか

見るからに話しかけるなオーラ出す人とか

ヒステリックに怒鳴る人とか

幼稚園の頃からそういう大人を見てきた。

 

そういう人はみんな

「察して」というオーラを

漂わせている。

 

「私辛いの。私むかついてるの。

機嫌悪いの。落ち込んでるの。

だから察して。

私をこれ以上機嫌悪くさせないで。」

 

生きづらさの要因のひとつに

社会がそうさせてる事実もある一方で

その人達の近くにいるはめになる私は

すごく居心地が悪くて

酸素が薄いような心地がして

常にビクビクしていて気を遣って

顔色を窺って

全然楽しくなかった。

 

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大人になってもふと思い返すと、

自分の感情に振り回されやすい人が近くにいることが多く

私はそのサポートや気遣いをする役割になってたんだけど

理解はするけど、やはり全然楽しくなかった。

顔色を伺ってなきゃいけない感覚。

いつそれがくるのかわからない感覚。

 

境界線を踏み越えて

モヤモヤした空気がこっちにやってくる感覚がする。

そして、そういう人には私が何を言ったとしても

何も言わなかったとしても改善はしなかった。

 

一時的に良くなっても

時間が経つとまた元に戻る。

 

今思うと改善しないのは当たり前の話で

それは当人が乗り越えるべき課題だからだ。

他人がそれをいたわりすぎたり

気を遣って顔色を伺いすぎると

その状態が当たり前になってしまう。

その状態を許可することになってしまうのだ。

 

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それを辞めるには、

本当にその課題を乗り越えようと当人が誓うか、

そこから手を離して抜けるしかない。

 

なんだけど、

なんだかんだ昔から長いこと

そういう人が近くにいて嫌な気持ちになっても

「でも私にも良くない所はあるし」とか

「でも私も完璧じゃないし」とか

「でもイライラすることはあるしなあ」とか

色んな場面でそう思っては我慢してきた。

 

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でも今の私は違った。

は!?あほらし!って思った。

でっけえ子供じゃねえんだからさ!って思った。

 

 

これを冷たいと思う人もいるかもしれないけど、

過度な許容という甘やかしは愛や優しさだと思わないから。

 

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前は自分の居場所がなくなる怖さとか

自信のなさとかが私の中にあったんだろう。

だから共依存みたいに

甘える人と、甘やかす人みたいな構図が

成り立ってたんだろう。

 

自分のやりたい事に腹をくくったというか

これで覚悟決めてやるしかないと思ってからは

自分の機嫌の悪さを垂れ流して

負のオーラでコントロールしようとする人と

共有する時間なんて無駄でしかないと

ようやく正気に戻れた感じがする。

 

 

みんな色んなデコボコがあることを

知ることも学びとして大切だけど

自分にとって不快に感じるものや状況を

ずっと自分とくっつけておく必要はない。

 

自分が望まないものを持ってる必要もない。

 

むしろそれは自分に可哀想だし、失礼なことだ。

自分の人生で何がしたいか、どんな人といたいか、

何を望んでるのかを知ってるのは自分だけ。

そしてその方向に進ませてあげるのも自分だけ。

 

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もっともっと自分の人生に責任をもって

もっと自分の人生を作り上げていく感覚でいよう。

ME

ME

愛が零れていく

視線を落とした

君の涙が溢れるのが見えた

笑顔も涙も

こんなに遠くに離れているのに

手をとるように日々が埋められていく

確かに生かされているのを感じる

夜中の静まり返った空間

雲に隠されても月が光っているのがわかる

あそこが未来なら良いな

君が幸せであったら良いな

幸せな気持ちのまま眠っていてくれたらいいな

それが束の間でも

ほんの1秒でも長く

幸せに包まれていてほしいな

その心が僕の酸素のようだ

目が覚めても

この世界に君がいるなら

それだけでどんなにありがたい事だろう

僕も少し休んだらまた歩き出そう

未来の鼓動を感じる

僕を導くものは強く 悲しく 優しい

どんな言葉を脳味噌にいれるか。

 

最近、私が結構衝撃を得た言葉で

「脳味噌の中にどんな言葉をいれるかってことにも神経を集中しろ」

というものがある。

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脳味噌にある言葉が自分の行動に強く影響する。

慎重な言葉が頭の中に多ければ慎重な行動になる。

だから、自分がしたい行動に合った言葉を脳味噌にいれろというもの。

 

言葉にすると当たり前のような気がするけど

それを意識して行動してる人は多くないと思う。

 

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先日書いた「会いたい人に会う」というのもここからきている。

 

私は自分が自分をより良くさせるもの

前進させるもの

成長させるもの

学ばせてくれるものからの刺激を受けたい。

 

そのためにはそういう人間に会い

そういう本を読み、そういう作品を知る。

そのモードが脳味噌の中のデフォルトにする。

 

意識してこういう事をしてみると

いままで自分がどれだけ

その場の流れにただ乗って言葉を頭に入れてたかを知る。

 

自分が本当はどうしたいか

どうありたいかがわかると

それに向かって何が必要かがスルスルッと出てくる。

 

何を聞き、何を口にして

何を行動するかは自分が決めること。

 

もちろんコントロールできない事もあるけど

コントロールできる範疇をどれだけ意識的にやるか。

 

 

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「何を聞きどう行動するかは自分の責任なのだ」と思うと

どう感じるだろうか?きついだろうか。

 

私は冷や水をぶっかけられたような

目の前が開けるような清々しい思いがした。

 

自分を被害者意識に置いてると

「周りがこうだから」

「こうしてくれないから」

という意識になって

頭の中を占める言葉がそういう言葉になるものだから

行動もそれに基づきがちになる。

 

でもそれだと周りに支配されている。

自分を取り戻さなきゃいけない。

 

ただ自分がやると決めたことをやるには

しんどい事もあるし地道な事もあるし

おまけに心身の健康の重要さも感じて

(しかも維持させる必要性なのでハードル高し)

土台ごと根こそぎ改革しなければなんだと悟ったり。。

ここ数ヶ月本当にそんな日々だった。

 

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スクラップアンドビルドしないことには

なんにも変わんねえなと自分に思った。

 

 

人生という物語は

そんなに簡単に劇的に

変わってくれたりしないんだなって。

当たり前だけどよう。

 

スクラップアンドビルドの決断には勇気が必要で

継続には心身ともに体力がいるんだなと身をもって感じると

そこから自分が人に渡せそうなことが見えてきたりもした。

 

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多くの人はそれら決断を避けて

言われたことをやるモードに身を置く。

 

でもそれだと心のどこかに

不満や孤独が渦巻く瞬間がある。

 

なぜなら自分の意思に心を開いていないから。

自分の力を持て余しているから。

 

表面では仕方ないからとかああだこうだ言い訳をしたり

冷めた表情で悟ってる風を装いながらも

心の奥底では「つまんねええええ!!!」と言ってるのだ。

 

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私はほとほと自分のしてきたことの

馬鹿らしかったことを認めて一度ものすごく後悔した。

 

冷静に現実的に過去をあげると後悔は山のように出てきた。

そうすると、その自分と決別ができた。

俺はもうそこにはいられないよって、自然とそう思えた。

 

私はやりたいことがあり

やると決めたことをやっている人と話したい。

それは私自身やりたいことがあり

やると決めたことをやっている人間だから。

(まだ外側に出ていないのがもどかしい所もあるがそれも修行)

 

お互いにパワーを与えあいたいし

その空気感を広めてより味わいたい。

そういう人に囲まれて生きたいとここ数日、心から思った。

 

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やりたい事をやりたいと思えない人も

そもそも自分にはそんなものないと思ってる人も

それはそう思い込んでいるだけで

頭と心があって生きている限りそんなことはない。

 

大抵、ほこりを被ってて

それをはらっていないから見えなくなっているだけで

ほこりをかぶった状態を自分だと思っている。

 

でもそれは自分ではない。

「ほこりをかぶっている自分」なのだ。

 

ほこりとは

失敗した経験、後悔、トラウマ

嫌な記憶や人間関係、不安な妄想など。

自分を下に下に引っ張るようなもの。

 

変化より、ほこりまみれでいた方が安心ではある。

 

けれど、楽であっても楽しくない。

その実、楽でもない。かなりしんどい。

だんだんと生きる気力が削がれる。

 

なんで生きてるのかということが自分にわからない。

自分として生きてきているのに。

見渡すと自分にパワーをくれる存在はひとりもいない。

うっすら何かの希望を見つけても分かち合う人がいない。

 

見渡すとみんな愚痴をいったり

意識低い方が良いように見せたり

何かに困った素振りをして時間を潰したり

ありのままでいいと言い合ったりして

成長しないように互いを落ち着かせあっている。

するとたちまち

うっすら出てきた希望の風船がしぼんでいく。

 

代わりにネガティブな風船が現れてくる。

それを大事に抱きしめてしょぼくれる。

やっぱり自分はこうなんだ・・・

っってわけねえだろがあああああああああ!!!!

 

と、私は冬の袋田の滝の水量全てを

そう思った人類にぶちまけたい。(しむ)

HUKURODANO・TAKI☆

 

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昔の自分に言いたいことのひとつだけど

あれやったらこうなるかな

これやったらああなっちゃうかな

っていう心配は

やってみてその状況になった時に考えなさいと。

 

現実的なリスクを想定して

それに対する対策をあげておくことは良いけれど

リスクに対する嫌な気持ちを思い浮かべて

その気持ちに引っ張られてるとやってられない。

その気持ちでもう辛くしんどくなる。

 

人間はよくできているから

不安やストレスや懸念はキリがないほどでる。

 

でもそれは妄想と同じ。

幽霊と同じ。現実ではない。

自信をもつのも同じ。

最強だと思うのも最低だと思うのも同じ。

 

それなら

自分がどういう感情でありたいかの方の妄想を出す方がよい。

そっちにフォーカスを当てるように意識しまくる方がよい。

根拠ない心配やネガティブが襲ってきても

理性を使ってありたい方に戻す。

 

それを周りは信じないかもしれないし

むしろ乗っかるかもしれない。

私はこういう時、他人の「自分を信じたい」という方に乗っかる。

 

相手より相手の可能性を信じるやつであろうと最近決めた。

世の中、現実的という言葉で下に引っ張る言葉に溢れている。

それならば私は、「自分を信じたい」という人の信じたい気持ちを

ブーストさせる方に賭けたい。

 

それが現実的かどうかより

人を信じてる人間がいるかどうかの方が大事だ。

 

人間、誰からも信じられてなくて

自分さえも自分が信じられない時、絶望する。

 

絶望した人はたまに他者を傷つけ

自分自身も傷つける。

 

そういう負の連鎖を断ち切らないといけない。

出来るならそれができる人全員で断ち切っていく必要がある。

 

相手の中にある切実な輝きを信じたい。

私は君を信じる。

君の中にある強さを

後悔と辛さにより磨かれた美しさを。

 

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自分の脳味噌に

どんな言葉をいれたいかを考えてみてほしい。

友達がいるのさ

今、あなたが感謝したいことやものや人はなんだろう。

少し目を閉じて思い浮かべてみてほしい。

何が最初にパッと浮かんだだろうか。

 

感謝の気持ちがわくと、

体内に色々なホルモンが分泌されて

心だけでなく体にも良いそうだ。

 

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拙者は昨日、古くからの友人であるたつんと

海浜幕張でランチをしてきた。

駅につくまでの電車内でたつんの書いたブログを読みながら。

↓これがそのブログ

 

「自分を動かす原動力は何か?」真剣に悩み考え探した経緯を残してみる

 

たつんとは私が10代の頃からの付き合いで、

たつんのハニーの主宰したイベントに出させてもらったり

HPを作ってもらったりと

それはもうお世話になりっぱなしな記憶ばかり。

(誕生日のウィッシュリストも頂いてしまった!)

 

 

私はここ最近色々あーだこーだとしていて

やると決めたことに猛進する日々だったので

ここ数ヶ月しょへすんの家族と私の家族以外には会っていなかった。

 

そんな日々を過ごす中で

「本当に会いたい人と会いたいな」と

ぼんやり思うようになった。

で、たつんというのは

私が会いたいなって思う人のひとりだった。

 

なのでウィッシュリストのお礼をした時に、

「久しぶりにお茶でもしましょうー!」と言ってくれて

人間という生物と会う想像をしていなかったので

第一弾でたつんに会えるなんて嬉しいな!と大喜びであった。

 

私は目標や目的をもって成長しようと生きてる人が大好き。

たつんはそんな空気を感じる人だし

実際にそういう人だ。

 

なんだかんだそこから会うのに1ヶ月かかって

その間にもまた怒涛に色々あったもんだから

逆に1ヶ月後が良いタイミングになって

私の積もり積もった話しを聞いてもらいまくった。

 

何せ人と話すのが久々なので

リハビリに付き合ってもらう感があったのだけど

話をした後で

「なんだかすごい濃厚な授業を受けたような時間になったね・・」と

走ってもいないのに

お互い息切れするようなムードになったのが印象的だった。

 

 

そしてリハビリ婆さんの長い話を

リスペクトをもって聞いてくれるたつんに

本当に感謝の念が絶えなかった。。

(ありがてえ・・ありがてえと何回も思った)

 

 

お互いを打ち明け合うことで

お互いの存在意義を感じられる時間を

作っていきたいなと改めて強く感じた。

 

それぞれ目指してる目標の話と

そこに到達したら見せ合おうっていう約束をして

それまで頑張ろうぜい!ってなった。

次はたつんハニーも一緒にご飯食べたいね。

そして今日からまた横浜で制作の日々。

 

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エレカシの、友達がいるのさを聴きたい気分さ!