うまく生きること。

いろいろと思うことがあり車の中でわおーんと一泣きしてからスタジオへ。

私はひとりの時本当に涙もろい。

涙もろすぎてどうして涙が出るのか自分でもたまにわからなくなる。

けれど気持ち良いので良しとする。

 

誤解を生むような日記を書く。

私は人の自ら選ぶ死を否定も肯定もしない。

どうやら私はのんべんだらりとした考えの中を生きているようで、

人の生を倫理的に捉えない節があるのだと考えた。

倫理ではなく美学でみている。

人が選ぶ本、音楽、出会い、選ぶことのできない親、思春期までの環境、教育、

そういう自分を取り巻くものでその人間の考え方は出来上がる。

「それは違う」とか「それは正しい」というものの見方や物差しは、

自分の得て来た考え方に過ぎない。

限りなく平等に、限りなく偏らないつもりでも、必ず偏りは生じる。

 

人としての正しい道。歩むべき道。好ましい生き方。

それに反していても、それがその人間にとっての美学として通っているのなら、

何も考えずに生きているより遥かに私の興味をそそる。

 

何人もの正しさよりも、その人の思う正しさを知りたい。

何人もの美しさよりも、何人が忌み嫌うものを好むその美しさの理由を知りたい。

 

心はまんまるではない、まんまるであろうとしなくていい。

けれど、自分らしく生きるということは、どうしてこんなにも傷つく事が多いのだろう。

それでも、君が見つめて来たもの、美しい、憎いと感じたものの全て、

それに君なりの意味があってそうしたというのなら、

私はその全てを受け入れたい。

何人もの人間がそれは間違いだと否定しようとも。

音楽に正解や不正解がないように。