喧嘩も勉学パート2

たまたま手にとった本に

「夫婦喧嘩は情けなくて恥ずかしくて可愛い。

だって、色んな言葉を使ったとしても

つまるところはお互いがお互いに

『どうして私と一緒の考えになってくれないの!』と

言い合っているようなものだから」

と書いてあって、

なんだかとても愛おしさが胸から溢れた。

 

怒る、ぶつかることは私にとってはものすごく難しい事だった。

今でも難しいと感じるけれど。

多くは幼少期の出来事がそうさせているのだろう。

その事についてはシ組ブログで話していこうと思う。

 

数年前から自分と接点のない赤の他人に

怒ること(怒鳴り散らすこと)はしていたのだけど

ここ最近はそれをしなくなっている。

多分、身近な関係性の人と不器用ながらも

不満な事を伝えてぶつかることで

自分の恥ずかしい言い分、完璧ではない姿を

少しずつ見せられるようになってきたからなんだろうと思う。

そこで自分の至らなさとか、

そう思ってしまう感情と向き合うことで、

自分が少しずつ今までと変わっていってるのを感じる。

 

「本音を言うこと」とは、

「相手を傷つけるような事をいうこと」ではなく、

「自分は目の前の出来事をこう受け取ってしまい

こんな感情になってしまった」という事の告白らしい。

恥ずかしくて勇気がいるけれど、それを伝え合える関係性は尊い。

 

怒らないでぶつからないで生きることは

穏やかな人生かもしれないけれど

実は怒りから避けて逃げてきただけの

人生かもしれません、とも書いてあった。

私は避けてきた。その分音楽で発散していた。

 

喜怒哀楽あってこその人間(生物)で

色々あるから平穏さへのありがたさも生まれる、

学ぶことが多いという点においては

トラブルも最終的にはありがたく感じられるようになる。

 

それに自分の弱さや本音をぽろっと出てしまうと

案外それを受け入れてくれる人もいる。

 

私は他人に対して怒ったり衝突するのは

めんどくせぇ、と思ってた。格好悪いし。

色々言われたくないし、動揺したくないから。

感受性が豊かすぎることを自分で理解しているので

人がレベル2くらいに感じることがレベル30くらいで

受け取ってしまう時期もある。

逆に、相手が気づいてほしい所に

全く気づかない鈍感な部分も持ち合わせている。

アンテナの感度はジャンルと時期によって変化する。

でもめんどくさくない人生ってのも味気がないもので

めんどくさくはないがつまらないと感じるようになってきた。

楽することと楽しいことがイコールで繋がらないことがあるように。

 

色んな失敗をして、妙な味付けになってしまっても

それが自分の味なんだろう。

それをまずいという人もいるかもしれない。

私がセロリをまずいと思うように。

けれどこの癖のある味も

なかなかおいしいじゃんという人もきっといるだろう。

自分の味や目の前にいる相手の味を

おいしいねと感じられる人と共に人生を歩みたい。

そう思えたって、色んなことがあるけどね。

 

今までとは違う方角で、

いっちょ不器用に生きてみようかしら、と最近思っている。

しんどいことも多いけど、

やりたいことをやる。一緒にいたい人と一緒にいる。

自分の気持ちに正直になる。

近くにいる人に必要な時には正直に自分の気持ちを告白する。

このシンプルな感情が一番大事だと感じた。

ここ最近学ぶことがすごく多い。

検定3級くらいならとれる気がしてきた。なんの。