noteの行く末

弱者、怪物と続いて今後リリースした新曲についての記事を

noteを使って書いていこうと思っていたのですが

姉妹会社であるcakesの炎上の中身を見ていて

今後は別のサービスを使って投稿していこうと思いました。

 

 

 

詳しい炎上の内容ふたつはググればすぐ出てくると思うので

ここでは割愛します。

 

最初に正直なことを言うと

炎上した出来事とそれに対する見解を色々見ていて

私自身が学んでいる最中でもあるなと自分に感じたのが正直なところ。

でも学んでいる最中ではあるけれど

それでも今回のcakesの運営される方々の方針やあり方に

賛同しかねたのでnoteを使うのはやめようと思いました。

 

炎上のひとつである幡野さんの記事は前からたまに読んでいたので

問題になってると聞いた時にはにわかに信じがたい気持ちだった。

そして実際に記事を見て、

なぜこんなうがった視点で冷たい事を言ったんだろう

そしてそれをcakesサイドの誰も止めなかったのだろう。

と疑問に思った。

と同時に

幡野さんの記事に関する見解をあげている人たちの記事を見ることで

DV被害に関することを学んだ。

その記事の中でも特に、

「DVや虐待などの被害者の中には主語が抜けた文章を書く傾向にある」

という長年そのケアに携わっていた人の記事は

とても勉強になった。

 

時間があまりたたないうちに、

ホームレスの方に関する記事がcakesから賞をとった

というものも炎上した。

「別にそれくらいいいじゃない」

「なんでもかわいそうみたいな顔してるのも変だ」など

記事を擁護する声も見えた。

私自身、自分と立場が違う人を見た時や

社会情勢に触れた時には心のなかで好奇心が出てしまう。

けれどそれを「無邪気な暴力」という言葉を使っている人がいたが

無邪気で面白おかしく言うことがふさわしくない場所というのは存在しているわけで

今回のことはその人たちの記事以上に

cakesが賞を与えたという事実が

一番脱力する部分だったなと個人的に私は思った。

そこでも幡野さんの時と同様に

なぜ、それが現代の倫理上(現代に限らずなんだけれど

最近は昔に比べてそういうリテラシーを大事にするようになってきているから)

で問題にならないと思ったのだろうか、という疑問が起きた。

何か大事な部分が抜けているんじゃないか?と

思わずにはいられなかった。

 

そしてそういう問題が立て続けに起こったことで

発信者がnoteから離脱するだけではなく

今まで読んでいた人の中でも有料課金をやめる人や

もう見ないという人も少なくない。

発信者受信者、関係なく

自分の頭で考えて選択し、行動をする時代になっている。

続けるもよし、やめるもよし。

大事なのは自分の声で、自分のアクションで意思を示すこと。

 

私はnoteにまだ記事を数件しか書いていないけれど

弱者や怪物の内容を見てもらえばわかる通り

人として生きていく上での話に重きをおいている。

その中に人権や自尊心が基盤に置かれている。

そういう記事を書いている私が

今回の出来事たちを見て見ぬふりして

そしらぬ顔をしてnoteに人権的な記事を書き続けることは

書いていることとやっていることが矛盾しているのではないか?と感じた。

 

そのため今後歌詞についての記事は

どこか別の場所を使ってやっていこうと思っています。

 

日本は海外の中でも倫理的な事への問題意識が遅れていると感じる。

 

だからこそこうやって「それはやっちゃだめだよ!」という声が

大きくあがることで、

何が問題で、なぜだめだと言われるのかを

全ての人が自分ごととして学びの気持ちで見つめることが

大切だなと思う。

これって学校では教えられないし、家庭でも教えられない。

身近にそういう話ができる人がいないケースも多いから

ネットの中で他の人の見解や知識を見つめることで

自分の中の考えを少しずつ育んでいくことが大切なんだろうなと思う。

炎上してる人を面白がって吊るし上げたり裁くのではなくて

何が問題だったのか、そして自分は何を思ったか。

という自分の意見を持つことが大事と思う。

それが私の中でネットというかSNSの有意義な使い方だと思っている。