他者の挑戦を応援すること。
その結果を自分のことのように喜んだり泣いたりできること。
そして応援している人もまた自分の人生を戦っていること。
こういう光景を目の当たりにし
その背景を想像するとき
人間として生まれてよかったと感じる。
昔は人は結局ひとりだと思っていた。
けれどそれは片方では事実であるけれども
片方では見落としがあるということを感じるようになった。
「『雑な生き方』というのは
自分の都合だけで人生の決定をしている生き方だ」
という言葉を今日たまたま見かけた。
自分はひとりで生きているのだと思うとき
それは雑な生き方の中にいるときなのかもしれない。
人間はもっと複雑で、奥深く、いじらしい生き物なのかもしれない。
自分の限界や小ささと自分の中にある複雑さを見つめたときに
確実にひとりで生きてきたわけではないことを知る。
そしてその中で自分の役割を行える喜び。
人の役割を見つめること、支えること、祈る喜び。
人間社会は本来そういう形であるのが理想だと感じる。