自分を表現に降ろす。

描いた絵達にグロスバーニッシュを塗る。

結構昔の絵。

くらえ!グロスバーニッシュ!!!!

保護剤のことです。

描いた絵に艶がうまれたよ。つやつや

これから怒涛のグロスバーニッシュ作業に入りつつ

新作ラッシュもする予定。

それをしながら作曲もするよ。

 

アクリルについての調べ物をしていたら

アクリル画を描いてる人のサイトに絵の描き方について

「歴を増すほど、プロになるほど

絵の描き方は技術ではなく精神論にむくそうです」と書いてあった。

いや君も描いてるんちゃうんかーい!と思いつつ

その人ごとな言い方がツボに入りつつ

なるほどなあと思った。

 

昔恩師のひとりである方がわたしの音楽をこう言った。

「シギの音楽はうまいとかちゃんとしてるとかじゃない、

そういう部分じゃないだろ」と。

その意味を心から感じたのはここ最近のことだ。

それってすごく本質的なことだよねーと思った。

その人をその人とならしめているものというのは

案外本人はわからなかったりする。自分のことだから。

周りはそれを教えてあげようとしたりするんだけど

いかんせん自分のことなので半信半疑になったり。

 

わたしの場合は、最近作った新曲をしょへすんに聴かせた時に

あるアメリカのシンガーソングライターの女性の名前を出して

彼女のようなサウンドが浮かんできたといっていた。

前から何度か彼女の名前はしょへすんからおすすめで聞いていたが

わたしにはいまいちピンとこなかった。

けれど再び彼女の名前がでて聴き直しライブを見た時に

彼女を見ることで、自分のことがよくわかった。

シギに何を見ているのかということがよくわかった。

シギが何を持っているのかということがよくわかった。

それは昔から今もずっと変わっていないもので

外側から得たものではなく、周りをみてやろうとすることでもなく

自分の中に存在し続けている原石を純度を高めて出すこと

それこそが大切なことなのだ!と

感じたときに、やはり時間がたつほど

技術論ではなく精神論に向かっていくのだと

絵画のサイトは書いてあったけれど

それは音楽でも同じかもしれないと感じた。

 

評価とか売り上げとか価値とかレベルとか賞賛とか

そんなものではない

時間と共に風化するようなものを求めているのではない。

もっと自分の深くに潜っていった先に

自分の表現というものは何にも傷つけられず

何にも汚されることなく存在しているものなのだと

それを自分がしっかり掴んで地上に持っていくこと。

この時代を表現する歌手になってほしいと言われたこともあった。

それともこのことは繋がっている。

自分は今という世界の中で生きてその出来事を見つめている。

そして心は動いている。大きく動いたその瞬間を逃してはいけない。

その大きく動いた部分こそが

自分の深くに存在している自分からのメッセージなのだ。

自己探求は昔から好きだったけれど

今はそれをしっかり掴んでいかにして作品におろしていくか

その段階に入っている気がしている。