未熟な自分のままで人と向き合おうと思った。

このブログを置いて想像してみてほしい

あなたの自分の長所はどんなところだと思っているだろうか。

 

自分の中にある等身大の部分というのは

見る人によっては長所になり見る人によっては短所になる。

 

少し前にすこぶる調子が良くなった話を書いたのだけど

そうなってからというものの

調子が整ってきているからか

等身大の自分を出す事に抵抗がなくなっていった。

ここ三週間くらいの最近の出来事。

 

と、同時に

自分の「この部分を出していると居心地が良いな」と

思う自分をどんどん出していくと

光が強く出る分、その光の影響で影も濃く見えてくる事を感じた。

 

自分の個性や特徴は研ぎ澄ませると誰でもとんがる

それを傷つかないよう、傷つけないようにやすりをかけていく。

光を強くしないことで影も濃すぎないように。

 

私と会話をする人の中には

私と話すと心がすっきりするとか色んな事を言えると

伝えてくれる人がいるのだけど

それは私がよっぽどのことがない限り相手を否定しないで

肯定して背中を押すからだと思う。

それをやりたいならこうするともっと面白そうじゃない?!とか

じゃんじゃんやっちゃいなよ!すごく良いよ!みたいに。

世の中そういう人はそんなに多くないらしい。

 

なんで私が他人を否定しないかというと

説教したりジャッジをしてマウントをとって

それで自分を気持ちよくする必要がないから。

肯定できないことを言われた時は

否定というよりも「どうしてそう思ったんだろう?」

という疑問形になる。

 

きっと自分のあり方にある程度自分で満足しているからなのかな。

相手に認められたいとか褒められたいという欲求がほぼない。

褒められれば嬉しいけど、わざわざ褒めて欲しいと自分からは思わない。

自分で自分を褒めているし認めているので(能天気な人だけど)

逆にその余剰分で相手をどんだけ気持ちよく良い気分にさせられるか

そういうサービス精神というか遊び心が出てくる。

 

なんでそんな肯定感すごいの?とたまに言われるけど

私は「すごい自分」を認めているわけではなくて

むしろ「自分はそんなすごくなくて。

まーでもそれでいいしみんなそんなもんじゃない?

やりたいこと楽しんで、めんどくさいことも必要だと思ったらよう

一生懸命やりたければやれば?それでええやん」って

なんだか「仲が良いから本当のこともシラフに言ってくれる友達」

みたいな感覚の自分をひとり住まわせている。

なので決して「私すごい!いけてる!パーフェクト!」と

思っているわけではない。

 

 

最近は人に会える回数が少ないので

貴重な時間でいかに相手の笑顔がみれるかとか

一回はウケをとって帰るぞとか

そういう気持ちで人と会ったりしている。

 

でも不満や寝不足や疲れがあると意地悪な気持ちがわく。

イライラしたり。

あと自分にストイックモードがすごいときは

人のなまけが目について許せなかったり。

だから余裕がないと人は意地悪になりがち。

 

ストイックとか真面目って良きことのように言われるけど

その使い方を間違えると自分も相手も苦しめることになる。

ストイックになりたいときはなればいいし

でもそれは他人に強要するものじゃない。

自分を苦しめる目的で使うものでもない。

 

だもんで

私の人や自分に対して肯定的な部分ていうのは

長所なのでは?と思う。

 

でもこの長所ってのは

見る人やその時の相手の心身の調子によっては

まじでうざいし眩しいしめんどくさいしそんな体力ないーってなる。

 

実際に話していても

私の「楽しい!前のめり!わくわく!」なエネルギーで話していると

相手が気遅れして圧倒されてるような空気感を感じることがある。

そう感じたときは自分のモードを少し抑える。

少し前まではこの自分のモードを初めから調整していた。

 

でも最近は最初から抑えないで

「俺やで!!!!!!!!(きらり)」を全開でいくようにしている。

 

前はなんで抑えていたかというと。。

相手が嫌がらないか疲れないか気にしていたから。

でもそれは自分を出すことで

ネガティブになったら嫌だなめんどいなという

気持ちがあったからなんだなと思う。

 

そして自分の好きな人や憧れの人を思い浮かべた。

その人たちは強烈に自分をそのまま出している。

それで嫌われるとかどう思われるとか気にしない。

そういう人にいつも惹かれていたし面白い人だなと思った。

 

もし私の憧れの人達が

周りの顔色を伺って自分を抑えていたら・・・

私は好きにはならなかったし多分目にも止まらなかったと思う。

 

だとしたら自分もそうあっていいよな

むしろ自分が好きにも嫌いにもならない方にいくよりは

好きな方にいったほうがいいよな。と思った。

 

あと伺って気遣うことと優しさってのは

またちょっと違うよなってのも思った。

 

もし途中で相手が疲れてたら自分が調整したり

ごめんね楽しくて話してたけど疲れさせちゃったね、と

謝ったり整えればいいなって。

 

そしてもひとつ。

「自分はこういう人間ですよ」っていうことを

全開に出せば出すほど

私のような性格を苦手な人にとっては

苦手だなと思いやすくなるので

私から離れやすいのではないかなとも思った。

 

私も「この人のここが苦手だわ〜」と思う人がいたら

速攻で離れる選択をしている。

相手の性格をコントロールしようなんて思わないで

自分が物理的だったり精神的に離れればいい。

それはわがままでもなんでもなくて

お互いの精神衛生上したほうがいい選択。

 

そして「あなたのそこめっちゃ好き!」と

言ってくれる人と出会えたり

付き合っていければお互いにハッピー。

 

今まで色々頭でぐるぐる考えて調整していたけど

私は人生一回目だし無知だし未熟なのが事実なので

ある程度の開き直りはしていいしその方が自然だよなと思った。

そうしていけばいくほど

「あいつのあれはねえな。。まぁでも、俺も俺で、俺だしな!てへぺろ」と

軽やかな気持ちで人の失敗や弱い部分を見つめられるようになる。

 

もちろん

「その言動はちょっとおかしいだろ!」と

思ったり面と向かって言ったりすることもあるけど

それは言っちゃう自分の未熟さを許すことにした。

私がわざわざそう言う時って相手が嫌いで憎くていうんじゃなくて

あくまで相手のとった言動について

(あんたそれはあんたを幸せにしないだろ!

みたいなことで)いってるだけなので

そういう相手憎しや相手を罰するにならない自分が

私は自分の結構好きな部分なのだ。

なのでそれは許可した。いてまえ!

 

私が私のままに生きてることで

人を不快にしたとして、

それで私も自分に対して

「これは確かに私なかったわ」と思えば

そのときは素直に謝ればいい。

最初から完璧にしない、最初から伺わない、調整しない。

 

未熟を隠さない。

未熟なままでいこう。

相手の未熟を受け入れて楽しめあえるためにも。