想いは死なない

子供の頃ぶりに鬼太郎を見た。

子供の頃は鬼太郎が悪さをする妖怪と戦う物語だと思ってたけど

妖怪たちは人間が再開発や欲望のままに行動することで

自分たちの住処が奪われてしまうことからの

怒りの行動も少なくなかった。

「人間はこの世の支配者ではない。驕るなかれ」

という妖怪のメッセージにその通りだよなと思った。

 

妖怪万年竹という妖怪はそこらじゅうの人間を竹に変えてしまう。

そのため万年竹は人から恐れられていたけれど

唯一ひとりだけ友達がいた。

それがえりという人間の子供。

彼女は病弱で外で遊べず、親も彼女の病気が治らないものなので放置していた。

えりは地下通路を抜けて万年竹に会いにいきよく絵本を読み聞かせていた。

ふたりはお互いが唯一の友達だった。

えりは自分も竹になりたい、お別れしたくないと泣いた。

その後えりの病気は悪化して二度と万年竹の元に姿を現さなかった。

 

彼女が死んだことで悲しみに暮れた万年竹は

自分に近づく全てのものを竹人間にした。

そうしてえりとの思い出の場所を誰にも奪われないように守り続けていた。

「えりは死んだ!えりはどこにもいない!どこにも!!」

そう嘆き悲しむ万年竹。

しかし実は彼女の魂は万年竹のそばに寄り添っていた。

そして百年後、万年竹のそばに新しい竹となって

蘇ることを目玉のオヤジから教えてもらう。

万年竹は悲しみと怒りのあまり彼女の想いが聞き取れなくなっていて

彼女の魂がそばにいることに気がつかなかった。

彼女が蘇る時、ふたりは永遠に友達になる。

 

うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!

と私の涙腺は大崩壊した。

 

敬愛する先生から教わった吉田松陰の授業では

自分が死んでも魂は死なないということが私の胸に刻み込まれた。

生きていることだけが全てではない

死んでもなお自分の想いが誰かに受け継がれる

そういう恥ずかしくない想いを持って行動することが大事だ。

先生の授業からの学びはそれだった。

そして鬼太郎を大人になってからみて

人間のどうしようもなさとまっすぐな気持ちに

複雑な気持ちになりながらもこれが人間らしさなのだと改めて思った。

自分の中にも醜さと美しさが存在している。

醜さを眼前に突きつけながらも

なるべくなら美しさを選択できる自分でありたい

そんなことを思った。