全てが表現者。

全てが等価値。

人間も動物も植物も。

空も大地も海も。

わたしは人間中心主義に陥りたくない。

人間様がてっぺんだと思いたくない。

全てと共に生きて死にたい。

 

罪と共に生きて死ぬ。

愛と共に生きて死ぬ。

他と共に生きて死ぬ。

 

与えられた自分という命

ただひとつを使い切る。

 

駆け抜ける 闘う

休息 愛する

ものを描く 歌う

君からもらう 君に渡す

 

育てていく 自分自身を。

導いていく 自分自身を。

 

生の全ては作品。

あなたという命の作品。

わたしという命の作品。

自分自身で描いていく。

全てが表現者。

 

全てが等価値の世界で

それぞれの命を咲かせる。

枯れるその時まで。

 

バレンタインとは

バレンタインにコアラのマーチ。

ミニコアラが激かわいくて食べられなかった。

バレンタインデーということで

バレンタインディナーぽい感じの

ビーフシチューを作った。

圧力鍋がないので1時間半ほど

ことこと煮込んでやわやわなお肉感動した!

たかが気分、されど気分。

一息ついたときに

たまたま出てきたチェットベイカーの映画の予告を見ていると

メロディが浮かんできたのでボイスメモに残した。

チェットベイカーの雰囲気とは違うものなんだけど

前々から作りたいけどどう作ったらいいかなと思っていた

メロディだった。

こんな瞬間にそれが出てくるのか!と驚き嬉しみだった。

 

手紙で毎月新曲をかいて録音して

新作を出す目的で作ったりで

作ろうとして作ることが多かったので

作ろうと思ってないタイミングで

ふっと浮かんでくるということが久しぶりだった。

 

音楽は所詮、気分。

でもこの気分というのはとても大事な部分。

深刻に囚われて気分が落ちていると

絶望的になって心が苦しく辛くなる。

そんな時にそっと肩に手を置いてくれる音楽。

心にある苦しさがブルースとなってドラマになる。

夜道を歩く静けさと星のささやかな明かり。

その中で軽やかでアップテンポな曲を流せば

さながらミュージカルのように

暗い夜道をステップで踊り出したくなる。

 

どんな気分に浸りたいかで流す音楽を決める。

車に乗る時、歩く時、寝る時。

たかが気分でもされど気分。

ドラマチックになったり軽やかになったり

悲しみに浸ったり恋を盛り上げたり

音楽が存在する喜び。

 

最近音楽と向き合っていると

そんな当たり前にあった音楽の

素晴らしさを感じることが増えた。

今まで聴いていて感じることが多かったけれど

最近は作るということの中に

今までとは違う喜びがある。

また新しい感触で音楽と向き合っている。

新鮮な気持ち。

零新作。

最近の絵。まだ零で出品はしてません。

もう1枚描いたけど撮影がまだなので次の機会に。

 

複雑で多様な現代に知的好奇心を使っていく。

森さんの女性蔑視発言について

トヨタの社長である豊田社長が批判の声をあげた。

日本のトップ企業がこういう問題に対して大きく声をあげることは珍しい。

森さんの発言をなぜ擁護しなかったか、黙っていなかったか。

「擁護や沈黙をすることによって

トヨタの不買運動につながる恐れがあることがひとつ

もうひとつは世界の投資家はジェンダーフリーに関する問題を

軽く見ていない事は今の時代では常識なので

その二つを鑑みて社長は批判的な声をあげたのだろう」

ということを経済ジャーナリストの方が言っていた。

 

企業は政治以上に世界が今どういう情勢にあるかをシビアに見る必要があるので

トヨタの社長が批判するというのは自然な流れ。

先進国の価値基準が大きく変わり出しているから。

 

「どうして「女はー」と言うことがいけないのかわかりません」

「最近みんな厳しすぎる、神経質すぎる」

「そんなことは大したことではない」と言う人たちを見ていると

中島みゆきさんの「世の中はいつも変わっているから

頑固者だけが悲しい思いをする」という歌詞を思い出す。

 

・自分が今まで常識だと教わってきたこと、良いとされてきたこと

・今、常識となりつつあること、良い悪いとされつつあること

・この先に常識になること、良いとされること

この事を意識しつつ情報を摂取しようとしないと

「え、今まで大丈夫だったじゃん・・なんで・・?」ということになる。

周りの人はわざわざ教えたり伝えたりしないので

「うわあ、こいつまだそんなこといってる」と思われ避けられていく。

それは少し不憫なのではないかなという気持ちを個人的には持っている。

そういう情報をどこからとるのかがわからない

教えられてこなかったしそういう環境にもいなかった人という人もいる。

なんでもかんでも「知らないあなたが悪!」とはなかなか私は思えない。

 

「女性蔑視発言」とか「政治の高齢者が権力を握り成り立つ構造」というのは

言いたいことがやまずみなので別の時に書きたいと思う。

 

パラダイムシフトという

世界の価値観やものの見方が大きく変わる変革するタイミング。

まさに今パラダイムシフトが起きていると言われている。

 

今までの当たり前とされてきた価値観

「気持ちよりもお金」「効率良く生産性の高いものを採用」

「誰かの指示に従って駒になって働く」「我慢すれば報われる」というところから

もっとひとりひとりの心に即した「やりがい」「楽しさ」「幸せ」とか

「自分で起業をする」「会社に縛られない働き方」が

新しい価値観として台頭してくる。

 

それと同じように

性別ごとに感じる生きづらさ、性別の多様性

人権侵害とされるような学校でのルールなど

今まで誰かが犠牲になりながらも

「そんなこと」扱いされてきた臭いものの蓋が開けられ

SNSで拡散しそれを政治も企業も無視できなくなっている。

 

SNSで権力者や発言力、決定権のある人以外の声があげられるようになった。

光と影のように、SNSで誰かを自殺に追い込むような影も生まれている。

良い悪いの二元論ではなく

それがこの世界に存在していることは事実で逃れられないこと。

その使い方がどこまで許されどこまでは許されない方がいいのか

自分なりにでもそういうルールを考え持っていたい。

 

SNSに限らず。ジェンダーフリーも移民問題も分断についても

一国だけの問題では済まされないものが

世界中にどんどん流れていって共有していっている。

その中で自分の意見を持つこと。人の多様な意見を知ること。

事実とされている情報を得ること。

それらを深刻になりすぎるとめんどくさくなってくるので

あくまでも自分の学びや好奇心を忘れずに取り入れ考え発言すること。

個人的にはそういう事を楽しんで行っていきたいと思っている。

 

「今の自分にとってこれが正解に近い」という気持ちはだせても

それが正解かどうかは見る人の立場や環境によっても違う。

正解がないということにめんどくささを感じる人も多いと思う

特に日本では正解ばかりが教えられてきたから。

ディスカッションのように相手の意見を受け入れまた議論しあうのは

自分が否定されてるような気がして苦手な人も多いと思う。

自意識との付き合い方がここで壁になってくる。

 

私が自意識との付き合い方が以前よりもうまくできるようになってきたのは

「自分が大した存在ではないこと、自分が無知なことを大前提としたうえで

それでも自分を愛おしい存在として生きていることを許すこと。」

「感じる想いは大事にするけど固執しない。自分を世界に開いていくこと」

「自分を開くと同様に相手の存在を抱きしめるように受けとめること」

なんかの考え方が自分にしっくりはまったから。

 

あとは

「目的」が何かを自分の中でしっくりくるまで突き詰めることも良い。

私の目的は「自分を大事にするあまり部屋に閉じ込めること」ではなくて

面白い体験をしていろんな経験をして人生を楽しくさせること。

音楽を通じて自分にできることをどんどん広げられるように行動していくこと。

なので、そういう目的と顔を合わせて話し合っていくと

自分を傷付けまいと思う気持ちはどんどん小さい存在になっていった。

楽しもう、傷つこう、怒ろう、面白がろう、喜ぼう、愛そう。

生きている時間に訪れる全てのことを一度受け入れてみよう。

その方がなんか面白いよね。と思っている。

「面白い」という気持ちが根幹に置かれているのが私にとっての重要ポイント。

 

これを見ているあなたの重要ポイントはなんだろうか?

あなたが生活している、今その行動をしている、それらは

あなたの人生の目的に沿っているのだろうか?

そもそも、どんな人生にしたいという目的があるだろうか。

答えはない。答えがないものを楽しめるようにしていこう。

そうしたらこの複雑な地球や世界での問題も自分の人生も

もっともっと面白く興味深いものに変わるかもしれない。

大丈夫、みんな人生一回目だから。

尻込みせずに、好奇心でぶっこもう!(終わりが雑)

自分を幸せにしてあげる。

ひとりの人間として生まれて

一番最初に大事にすることは

自分を幸せにすることじゃないかなって思った。

 

地位や名誉とかどれだけ優れてるかとか

人からの承認とか誰かからの愛じゃなくて

まずは自分が自分と向き合って

まずは自分が自分を幸せにしてあげること。

 

こんな自分なんかとか

もっとちゃんとしないととか

自分を責めずにいじめずに

幸せにしてあげること。

 

自分が幸せじゃなかったら

人に優しくするのは難しい。

自分が幸せになるから

周りの人にも優しくなれる。

それってちっちゃいようで

とても大事な平和への貢献。

チャートイン

サブスクで配信している曲がたまに

チャートインしてお知らせが来るのだけど

今回アメリカのApple Musicの

J-POPランキングで

145位にチャートインしていたみたいで

嬉しかった。

恐らく何千何万って曲数あるだろうから

なんの広告やタイアップもついていない

叫や涙がチャートインすると

驚きと共に嬉しくなる。

アメリカ以外にも

キルギス、フランス、ブラジル

マカオでチャートインしていた。

キルギスに至っては16位と

もう少しでトップ10が見える数字だったので

かなり驚き。

こちらとしては配信作業をするだけなので

それが色んな各国の方々に聴かれていると思うと

すごい時代だなあと思う。

未熟な自分のままで人と向き合おうと思った。

このブログを置いて想像してみてほしい

あなたの自分の長所はどんなところだと思っているだろうか。

 

自分の中にある等身大の部分というのは

見る人によっては長所になり見る人によっては短所になる。

 

少し前にすこぶる調子が良くなった話を書いたのだけど

そうなってからというものの

調子が整ってきているからか

等身大の自分を出す事に抵抗がなくなっていった。

ここ三週間くらいの最近の出来事。

 

と、同時に

自分の「この部分を出していると居心地が良いな」と

思う自分をどんどん出していくと

光が強く出る分、その光の影響で影も濃く見えてくる事を感じた。

 

自分の個性や特徴は研ぎ澄ませると誰でもとんがる

それを傷つかないよう、傷つけないようにやすりをかけていく。

光を強くしないことで影も濃すぎないように。

 

私と会話をする人の中には

私と話すと心がすっきりするとか色んな事を言えると

伝えてくれる人がいるのだけど

それは私がよっぽどのことがない限り相手を否定しないで

肯定して背中を押すからだと思う。

それをやりたいならこうするともっと面白そうじゃない?!とか

じゃんじゃんやっちゃいなよ!すごく良いよ!みたいに。

世の中そういう人はそんなに多くないらしい。

 

なんで私が他人を否定しないかというと

説教したりジャッジをしてマウントをとって

それで自分を気持ちよくする必要がないから。

肯定できないことを言われた時は

否定というよりも「どうしてそう思ったんだろう?」

という疑問形になる。

 

きっと自分のあり方にある程度自分で満足しているからなのかな。

相手に認められたいとか褒められたいという欲求がほぼない。

褒められれば嬉しいけど、わざわざ褒めて欲しいと自分からは思わない。

自分で自分を褒めているし認めているので(能天気な人だけど)

逆にその余剰分で相手をどんだけ気持ちよく良い気分にさせられるか

そういうサービス精神というか遊び心が出てくる。

 

なんでそんな肯定感すごいの?とたまに言われるけど

私は「すごい自分」を認めているわけではなくて

むしろ「自分はそんなすごくなくて。

まーでもそれでいいしみんなそんなもんじゃない?

やりたいこと楽しんで、めんどくさいことも必要だと思ったらよう

一生懸命やりたければやれば?それでええやん」って

なんだか「仲が良いから本当のこともシラフに言ってくれる友達」

みたいな感覚の自分をひとり住まわせている。

なので決して「私すごい!いけてる!パーフェクト!」と

思っているわけではない。

 

 

最近は人に会える回数が少ないので

貴重な時間でいかに相手の笑顔がみれるかとか

一回はウケをとって帰るぞとか

そういう気持ちで人と会ったりしている。

 

でも不満や寝不足や疲れがあると意地悪な気持ちがわく。

イライラしたり。

あと自分にストイックモードがすごいときは

人のなまけが目について許せなかったり。

だから余裕がないと人は意地悪になりがち。

 

ストイックとか真面目って良きことのように言われるけど

その使い方を間違えると自分も相手も苦しめることになる。

ストイックになりたいときはなればいいし

でもそれは他人に強要するものじゃない。

自分を苦しめる目的で使うものでもない。

 

だもんで

私の人や自分に対して肯定的な部分ていうのは

長所なのでは?と思う。

 

でもこの長所ってのは

見る人やその時の相手の心身の調子によっては

まじでうざいし眩しいしめんどくさいしそんな体力ないーってなる。

 

実際に話していても

私の「楽しい!前のめり!わくわく!」なエネルギーで話していると

相手が気遅れして圧倒されてるような空気感を感じることがある。

そう感じたときは自分のモードを少し抑える。

少し前まではこの自分のモードを初めから調整していた。

 

でも最近は最初から抑えないで

「俺やで!!!!!!!!(きらり)」を全開でいくようにしている。

 

前はなんで抑えていたかというと。。

相手が嫌がらないか疲れないか気にしていたから。

でもそれは自分を出すことで

ネガティブになったら嫌だなめんどいなという

気持ちがあったからなんだなと思う。

 

そして自分の好きな人や憧れの人を思い浮かべた。

その人たちは強烈に自分をそのまま出している。

それで嫌われるとかどう思われるとか気にしない。

そういう人にいつも惹かれていたし面白い人だなと思った。

 

もし私の憧れの人達が

周りの顔色を伺って自分を抑えていたら・・・

私は好きにはならなかったし多分目にも止まらなかったと思う。

 

だとしたら自分もそうあっていいよな

むしろ自分が好きにも嫌いにもならない方にいくよりは

好きな方にいったほうがいいよな。と思った。

 

あと伺って気遣うことと優しさってのは

またちょっと違うよなってのも思った。

 

もし途中で相手が疲れてたら自分が調整したり

ごめんね楽しくて話してたけど疲れさせちゃったね、と

謝ったり整えればいいなって。

 

そしてもひとつ。

「自分はこういう人間ですよ」っていうことを

全開に出せば出すほど

私のような性格を苦手な人にとっては

苦手だなと思いやすくなるので

私から離れやすいのではないかなとも思った。

 

私も「この人のここが苦手だわ〜」と思う人がいたら

速攻で離れる選択をしている。

相手の性格をコントロールしようなんて思わないで

自分が物理的だったり精神的に離れればいい。

それはわがままでもなんでもなくて

お互いの精神衛生上したほうがいい選択。

 

そして「あなたのそこめっちゃ好き!」と

言ってくれる人と出会えたり

付き合っていければお互いにハッピー。

 

今まで色々頭でぐるぐる考えて調整していたけど

私は人生一回目だし無知だし未熟なのが事実なので

ある程度の開き直りはしていいしその方が自然だよなと思った。

そうしていけばいくほど

「あいつのあれはねえな。。まぁでも、俺も俺で、俺だしな!てへぺろ」と

軽やかな気持ちで人の失敗や弱い部分を見つめられるようになる。

 

もちろん

「その言動はちょっとおかしいだろ!」と

思ったり面と向かって言ったりすることもあるけど

それは言っちゃう自分の未熟さを許すことにした。

私がわざわざそう言う時って相手が嫌いで憎くていうんじゃなくて

あくまで相手のとった言動について

(あんたそれはあんたを幸せにしないだろ!

みたいなことで)いってるだけなので

そういう相手憎しや相手を罰するにならない自分が

私は自分の結構好きな部分なのだ。

なのでそれは許可した。いてまえ!

 

私が私のままに生きてることで

人を不快にしたとして、

それで私も自分に対して

「これは確かに私なかったわ」と思えば

そのときは素直に謝ればいい。

最初から完璧にしない、最初から伺わない、調整しない。

 

未熟を隠さない。

未熟なままでいこう。

相手の未熟を受け入れて楽しめあえるためにも。

余計なお世話はヒーローの本質

初期衝動ってすごく大切なことだと感じている。

私を突き動かすのは「おかしいことがまかり通っている状況」とかの

怒りに対する初期衝動ってずっと強かった。

 

日本人は怒りを誤魔化すことに慣れてるというのをどこかで見たけど

私はそんなことなくて(私が暇だったからかも)怒りは強くもっていた。

そしてフラストレーションもあったので声もでかく出したいし

そういう抑圧への反抗とか自由を求めることとか

自分の持っているエネルギーを放出することが表現で強かった。

 

それはやはりロックなんだなと最近感じた。

いろんなジャンルが好きだけど

自分の原点や資質として帰結するのはやはりロックにあるんだなと。

 

ぶっ放してえとか、それおかしいだろとか

自分が思う美しさとか願いとか

そういう類のことを愚直に思っている自分が

そのエネルギーを表現できる場所。

 

今日身内のことですごく怒りの感情が込み上げたんだけど

学生の頃と違って今は怒りと悲しみがセットで染み渡ってくる。

人間のブルースというか

それぞれの立場や背景を想像できるようになったからかもしれない。

私の怒りは誰かへの憎しみとか罵倒とかではないから。

それでも現状に色んな理由をつけてい続けたりしてはいけない。

誰かが犠牲になっているのにそれを知っていて見ないふりするのは

本当に良くないことだと思う。

それを放っといた所で自分に問題がなかったとしても

放っておいてはいけないと思うし

放っておかないことで面倒なことが起きたとしても

それには向き合って対処しないといけないと思う。

 

何かの人間関係に対して被害者の気持ちになった瞬間に(ここで言ってるのは犯罪や

差別や偏見による被害者ではないです)

自分は動かなくていいという気持ちになりやすい。

だってあの人が悪いからとか、だって私はかわいそうだからとか。

でもその場に居続けることでその本人が苦しんでるとするなら

被害者意識がわいても自分を救うためにも大局観を持って

物事を動かさないとだめだ。

自分が居心地が悪くて辛いと思ってたり

誰かが犠牲になってる場面に立ち合ったら

なんらかのアクションをする。

 

大正解には行きつかないかもしれない。

現状を整理して色んな手段を考えて思い描いたりしながら

これが最善に近いと思う一手を

めんどくさくても勇気を出して踏み出さなければ

物事はその場にいるだけでは何も変わらない。

だから自分にできることはやったほうがいいと

私は自分自身によく言い聞かせている。

 

私は自分が思っている以上にお節介なのだという事が

今更わかった。

相手をコントロールすべきでないという事はわかっているけれど

だからといってそれは

相手が困っているのに自分は何もしない関与しない関係ないというのは

違うと思っている。

同じ社会の中で生きているのだから

相手が絶対にそっちにいったら破滅するでしょという事に関しては

言葉をかけるべきだし

自分ができることがあるならした方がいいと思っている。

 

私って他人に無関心だと思っていたけど

振り返ってみるとまあまあお節介だった。

他人が「私はこれでいいの…」と後ろ向きにいってたら

すかさず「いや本当はそう思ってないよね、それじゃ辛くない?」と

本当に思ったことを伝えないといられない。

 

だって自分の気持ちを抑圧してこれでいいなんて

それは嘘だから。

自分に嘘をついて辛くなるのはその人自身だって

目に見えてわかっている以上言わずにはいられない。

 

 

ヒーローアカデミアの好きなセリフ。

「余計なお世話はヒーローの本質」という言葉。

自分がヒーローだなんて思っていないけれど

この言葉を見たときに何か嬉しかった。

 

我ながら「おかしいだろー!」とか

「それでいいのかー!」とか

子供より子供っぽく馬鹿みたいに愚直なんだが

最近はそんな自分が嫌いじゃないというか

むしろ笑えるな俺と思えるようになった。

 

音楽も生き方も自分の素直な資質を活かして

愚直ロックをもっと磨いて生きていく。

いまはぜんぶ

ふかく ふかく ぼくらのきもち

そこのほうで からみあった

カーテンのすきまからはいるひかりで

くらいかべが しらけだす

テーブルに きのう はしゃいだ

おさけの瓶が よこたわる

カーテンも しらけたかべも おさけの瓶も

いまはしずかに ねむってる

ふざけた ニュースがとおりすぎる

コツコツと サラリーマンがとおりすぎる

まだ夢のなか こどもたち

息をとめたら じかんもとまるかな

きみをながめるぼく

するするじかんは すぎるけど

つめたくてあつい きみのえねるぎい

いまはぜんぶ ぼくの中