好きな人の特徴。

無事スタジオをギリギリに終え

喫茶店に行くも寒すぎて早めに退散。

最近お茶しにいくとき秋冬ものの上着もってくんだけど

それ着てちょうどいいくらい寒い。

店員さんは動いてるからちょうどいいのかな。

 

帰り道にカップルが池をみてたので

何かいるのかなと私も池を見に行くとめだかが沢山いた。

ありゃ放流したばりだった。

 

その後の帰り道に別のカップルが相合傘していて

日避けの相合傘ってあんまり見ないなと新鮮な気持ちに。

 

数年前にデートしたときに雨が降っていて

相合傘をすることになったのだけど

私の視界が傘で0視界だったのと

私への傘の比率が多いため相手が雨に濡れまくってて

その時のことがすごく良い思い出として残っている。

 

あ、この人相合傘慣れてないんだなぁって思ったのと

自分が濡れても不器用にさしてくれるのが

微笑ましい嬉しい気持ちになった。

 

お金があるとか女性の扱い慣れてるとか

いろんな店知ってるとかよりも

こういう純粋な真っ直ぐな気持ちの方が断然私は好きだな。

女性が何したら喜ぶとか

私が何を好きかとかそういう情報って

あとから知って身につけることはできるけど

私が良いなと思うところって

あとから取り入れられることというよりも

天然ものの思いやりや綺麗な心の部分なんだと思う。

そういうのって装ってもバレちゃうというか。

綺麗だなと感じる心の人といると幸せを感じる。

青空の下で深呼吸をしているような。

 

私が好む人って(身近だけじゃなく憧れとか尊敬も)

男女問わず異性に対して全くガツガツしてないというか

異性を異性として意識していないというか

異性というよりちゃんと相手をひとりの人として見ている人で

それ以上に自分のやることをやって満足してる人で

私もme tooといった感じに

異性異性した雰囲気を感じるのって苦手で

だから人としての綺麗な気持ちを感じられる人が

居心地が良いし素敵だなと私は感じる所存。

 

そんなことを日避け相合傘カップルを見ながら思った。

梅雨・完!

起きてから少しぼうっとして

その後で洗濯機のスイッチオンしてから

掃除を始めるとなかなかに清々しい始まりだった。

 

自分の頭の中でぐるぐると渦巻いて出ていく

コントロールのできないものと

決まった動きができる

コントロール可能なものの二つの両輪で動かしていきたいなと

そのための生活の動かし方を新しくしたいと思っている。

 

今日はこれから久しぶりにスタジオで歌録り。

その後に喫茶店で作業して帰宅する予定。

今日はカレーをおやすみしてお蕎麦。

昨日はスープカレー。

自分でブレンドしたスパイスでやってみた3回目。

最初作った時にスパイスさが強くて薬っぽさがあった。

2回目でなかなか良くて同じので昨日も作ってみた。

自分のはクミンとターメリックとチリペッパーとコリアンダーのシンプルめなやつ。

ミソが中濃ソースで。

中濃ソースにも唐辛子、しょうが、クローブ、

シナモン、ローレル、タイムなどのスパイスが入ってて

それにプラス野菜果物とお酢で出来てるのが中濃ソースみたいで。

これだけブレンドされているから魔法のソースだ。

スパイスは数が多いほど複雑な味になるのだけど

お互いの角をとりあって丸みがある味になる。

私がいれてるスパイスが4種類でも

中濃ソースを足すことでかなり丸みがでて薬っぽさが減るのだろうな。

などと探求しつつ作るのもまた楽しみのひとつ。

最近は油をココナッツオイルに変えたのだけど

臭みが全くないので普通のサラダ油と変わらない。

 

スープカレーは結構満足度高めになってきたので

次はカレーのブレンドに挑戦していこう。

さあ準備してスタジオ!夏の空に突入や!

寝ながらも書く

ここ1週間くらい本当に平和な日々を過ごしている。

 

寝室に携帯を持っていかなくなってからは

代わりに中学生の頃によく使ってた無印の落書き帳をまた買って

それを枕元に置くようにした。

今まで言葉が出てくると携帯のメモにすぐ書けるようにしてたんだけど

機械の光かそのまま目覚めてネットいじっちゃうことがあったので

ノートなら書く以外にいじることがないので寝ることに集中できてすごく良い。

寝ながら書くので乱筆も乱筆でしかもぶわーっと出ることもあるので

あっというまに一枚が埋まることもある。

そのため最近ボールペンのインクがすぐになくなってしまう。

 

今月は土台作りからもう一歩進んで三曲作るという目標があるので

(といってもまだ一曲もできていない)

今週中は土台の続きと言葉書きに集中して

来週から作曲に入ります。

今回作曲の仕方を少し変えてみるパターンもやってみる予定で

単独で作らずにセッション的な形でもやってみようかなと思っている。

じっくりひとりで作りたい派なので

あえてそれを崩してみようということで。

 

自分の考え方やありかたに似ているけれど

自分よりも一歩も二歩も十歩も先を行ってる人を見ていると

刺激と癒しのどっちも感じる。

最近はそういう人を意識して摂取している。

かつ、それ以外はカットしている。

 

七月も中旬になっておりますが

今月はマッハこの調子で過ごすので

来月は夏感じたいなー!!!!!!!!!!!!!!

良心と悪意の狭間。

人が言葉を放つときそこにリスクが存在する。

だから恐れがある。

歌はなおさらにその責任があって

自分の歌が害悪になる可能性はいつも存在している。

だから恐れがある。

でもそこで可もなく不可もないものにいってしまうのは

恐れの放棄をするということは

それもそれで無責任のように感じる。

私は私の作品の責任をいつかはとるのだろう。

誰かの不快に障ることを承知で行うことに。

 

人は水にはなれない。

それが人の醜さであって人の良さのように私は思う。

良心と悪意の狭間にあるものが

人の自然なのかな。

自然は美しいこともあるけれど脅威も存在する。

人にとって良いことと悪いことのどちらも存在する。人工ではないから。

それが自然なのだとすると

人の自然は良心と悪意との狭間なのか

それとも我への執着を忘れたところが自然なのか。

そんな結末のないことをのらりくらりと。

ラジオ全体公開で

久しぶりにシ組ラジオを全体公開で。

作曲のことや言葉についてお話ししました!

もう130回超えなんでございます。

私の命は間。

調べ事などをしていたらブログ書く時間を逃してしまった。

最近はバッテリーの交換とコンタクトを新調した以外は

もっぱら家で制作の前段階の調べ事や勉強などをしている。

 

社会で起きている問題などみていると本当にいろんなことがあるんだなと

今日見ていた動画で

「社会にコミットせずに向き合わなきゃいけない問題から避けてきたのが40代。

それがZ世代はまっすぐその問題に向き合って声をあげている。

大人たちが向き合えなかったことにダイレクトに向き合っている世代だ。」

という言葉があった。(話されてた方が40代の方だったので40代が出てきている)

 

私は30代だけど、30代でも周りの友達や家族との会話で

日本のことや世界のことや地球のことの会話はほぼ出たことないと思う。

政治の話をほんの少しするくらいだったなって。

することが少し恥ずかしいとか気まずいとかあったけど

私もZ世代の方達の意識を見たり

同世代でも声を上げる人の存在を知ったり

海外のアーティストを見ていると意識が変わっていくことが多くて。

 

環境問題で特に若い世代の方が行動しているのをみると

意識高いとかすごいねーと言われがちだけど

ちょっと考えてみると

これだけ毎年こんなこと初めてっていう災害が起きたり

外にでるのが危険ってくらい夏は暑くなっていたりしていて

20年後30年後はどうなっているのかなと想像すると

若い世代の方にとってはもろに自分ごとのことなんだから

行動するのも当たり前のことだよなと。

それがその世代の親やそれよりも上の世代が

発展と引き換えに行なってきたことが原因の一部になっているのだとしたら

大人は子供にすごい負の財産を残すことになってるよなと。

それで大人たちが恥ずかしいとか気まずいとか難しいなんて言ってちゃだめで。

何も考えずに恩恵にあずかるだけあずかって好き勝手使って

あとのことはわからない難しいで終わらせちゃいかんなと。

 

環境よりも経済が大事というのは

30年後40年後に生きてる可能性が低い人は言えるけど

その時にも生きていて家族をもっている可能性があるんだったら

経済だけをとるという選択肢にはならんよなと。

大事なのはバランスなんだけど

あまりに日本の中で私を含めて上の世代の人間が

どれほど国の問題や自然の不具合に真剣に向き合ってきたのか

自分が安心して住むためには自分の周りの安心も大事で

それは環境の安心も大事で

これは綺麗事じゃなくてしっぺ返しとして返ってくることだから

リアルなことだと思う。

 

そういうのをないがしろにしてバランスを欠いてきたような気がしている。

でもこの国の人は疲れてる人や不本意な働きをして

ストレスをためている人が多すぎて

自分のことさえ大事にする余裕を失っている人も多いから

バランスを欠くのも責められることじゃないと感じる。

その仕組みを作ったのは誰なのか。

どこの仕組みで人々が苦しむ不具合が生じているのか。

余裕をなくして苦しむ人の心は自己責任で終わらせてはいけないと感じる。

 

最近自分の音楽に対する我欲みたいなものが良い意味ではがれてきていて

冷静に作っている。

作戦をたてて、遂行しているような気持ち。

自分の欲みたいなものもないわけではないけど

それが気にならないくらい小さくなっていて

自分がどうしたいかどう見られたいかとかそんなことよりも

自分だったら何ができるのかということに気持ちがいく。

私がやることにそこまで何かを揺るがすような大きな価値があるとは思っていなくて

ただ生きている以上はこの命を使って汗をかきたいと思っている。

自分のためだけに汗をかくのはつまらなくて。

自分の命が70年くらい生きるとしたら

それはこの国にとっても地球にとってもほんの瞬きのことで

その瞬きの時間を次の瞬きに何か繋がるために生きられたらという気持ちが

わいてきている。

そう思うようになったら、自分に固執する気持ちがわかなくなったというか。

自分はあくまでもものの流れの間にある存在なんだなという気持ち。

だから自分に大きな幻想を抱くこともなく

かといって小さくまとまるわけでもなく

ただ今を自分がたてた目的のために使っていこうと

極力いろんな問題をみて自分の頭で考えながら

作りたいものに向かっていこうと

そんな気持ちで生きているこの頃。

今何が起きているかを忘れない。

パターナリズムとは、強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のためだとして

本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。

親が子供のためによかれと思ってすることからきている。

 

昨日のロッキンと茨城県医師会も日本の政治も

パターナリズム的な部分があるように感じている。

 

対話はどれほど重ねられただろうか。

相手側の立場やしてきたことや苦難をどれほど傾聴しただろうか。

一方的ではなかったか。

その措置にどれほどの効果があるのか、あったのか。

1年以上がたってどれほどの検証がされただろうか。

それは正しく公表されているか。

精神論で終始していないか。

 

怒っているのはコロナに我慢できずに怒っているのではなくて

数値化されない根拠のない不透明なことを一方的に押し付けられているから。

信頼できないことが積み重ねられると怒りと不信感と諦めが蔓延する。

でもこれで脱力してはいけなくて

今ここで起こっていることを忘れないことが大切だと感じる。

 

コロナの影響をあまり受けない人は幸いにも

仕方がないで終わらせられるかもしれないけれど

影響を受けている、それも理不尽な影響を受けている人の無念を思うと

やりきれないで終わらせるわけにはいけない。

その人たちは、やりきれないで終わらせられちゃたまったもんじゃないよな。

 

今ここで起こっていること。

指示をしているのがどこなのか、誰が何を言ったのか、言わなかったのか。

そのことを忘れてはいけない。

なんとなくで流されずにしっかり覚えていよう。

 

それは憎しみのためではない、その人間を罰するためでもない。

この先の国づくりのために誰に託してはいけないかを知るために

今起きていることが重要な材料になる。

 

おかしいと感じたことはおかしいのだ。

怒りも悲しみも「他の人に比べれば・・」と我慢したりせずに

きちんと実感して味わって

まずは自分の気持ちを大切に。

そのあとでこの状況で起きていることを見つめて

どうなることが望ましいのかを考えて

行動にでることが大切か、と思う。

 

とにもかくにも

不透明なことはなるべくなくしていきたい

政治のこと以外でも私自身の生活や活動の中においても

不透明さはなるべくなくなるようにしていきたいと思った。

食に戻る。

落ち着いたのでまたカレー生活に。

朝も梅シソ粥に戻って平和な日々。

 

昨日はチキンカレー。

今回は初ラッシーも作ってみた!

今日はスープカレー。

ガラムマサラが小さじ3なのに1しかなくてピンチ!

適当にクミンとオールスパイスとコリアンダーを少しずついれてみた。

すると前回レシピ見て作ったやつより美味しかった!

ただのまぐれなんだけど嬉しかった。

明日もカレー!

と見せかけて明日はレバニラを作るよ。

黒を使わない場面。

この間出品していた絵はお迎え先が決まりました!

可愛がってくれますように。

 

なのでもう一枚の絵を出品致しました。

こちらも朝焼け夕焼けの海のような絵です。

とても気に入ってるのでこちらも可愛がってくれる先が見つかりますように。

出品先はこちらから↓

https://www.creema.jp/item/12108788/detail

 

この間塗り絵をしたのですが

私ってあまり黒を使わないんだなという発見をした。

服や曲の感じって黒が多いのに

絵ではやはり逆をいっている。。不思議だけど不思議ではない。

絵で黒が登場する時は私の中でも結構変化がある時だと思うから

その時が楽しみである。

今の自分のミッションは何か。

前回書いた悪い影響の話。

あれを受けて、「なんだかなぁ〜」と自分がすっきりしない出来事って

ものすごく自戒の念が潜んでるなと思った。

 

自分はどうなのか?と問われてるんだなと。

「なんだかなぁ」な部分が、この間の私でいうと

「駆け引きみたいな話し方は嫌だなあ」とか

「自分とこの利益ばっか追求する姿勢は嫌だなあ」とか

「誰かひとりにやらせるような犠牲が生まれるのは嫌だなあ」とか。

 

これらは今でも嫌だなあで。それは素直な気持ち。

かといって嫌だなあで終わるのはもったいないので。

嫌だなあアンテナがあると、じゃあんたは何が良いのさが見えてくるので

くれぐれも「嫌だなあ」を「私が子供なのかな」と思って殺さないようにしたい。

 

私は何が良いのさ。

そう問うたときに、こういう人と一緒に面白いことしたい!というのは

ツラツラと出てくる。

でもそれってそれで終わりで。

 

「きみの今のミッションはなんなんさね」というところ。

嫌だなあは、そういうことがあったから仕方ない。

でもそのことによって、良いなぁが何かを浮き彫りにしてくれた。

じゃぁ、その良いなぁを良いなぁで終わらせないために

きみは今ここから何をしていくのか。

 

嫌だなあ事件は、私にとって良い意味で諦めがついた。

今は自分たちでやっていくしかないし、それをしないとだめだな!という諦め。

 

仲間としてきたことを信じてさらに行動をする。

作戦を冷静に遂行させていく。

相手の動きを意識するんじゃなくて

自分たちのすべきことに集中する。

 

具体的に言うと

ここ最近の目的が明確化された上で作っている曲の制作と

その先に広がりを作るための行動(イベントとかね)。

その土台作りが今の私のミッションだ。

なのでひたすらそこを行くのみ。行動するのみ。

 

あと昨日とても感じたのは

自分のしたいことだからしたいというのもあるけど

私を支えてくれたり助けてくれる身近な人やファンの方と

もっと笑って、みんながそれぞれ自分の人生を前向きに生きていけるように。

そうしていけるように私は私で頑張りたいって思った。面白がってね。

 

嫌だなあっていうところがあると、そこで一瞬立ち止まるんだけど

待てよ、そこからなんの学習ができるよっとなったときに

何が足りなくて何が必要で今の自分のミッションは何か

それがより浮きだって見えた。

 

おりゃー作曲するぜー!