癒しの青。

どんどん描いています。

夏だからか青青した青が捗る。

来週あたりに

新しい零の作品で使おうと思っているものを求めて

海に行ってこようと思います。

尋常じゃない暑さなので夕方か夕方過ぎくらいに

行こうと思っています。

青は癒されるなあ。

気分に支配されないように。

6月7月8月と

とにかく集中して打ち合わせや作業にいれこんでいる。

その間には落ち込むことがあったり

体調を崩すこともあったり

でもそのたびにその中から改善の道を探って

ここから先はこうしてみよう

ということの繰り返し。

 

音楽は感性でも才能でもコネでも特別でも

そういうものだけでは足りない。

もちろんその部分はあるけれども

大事なことはしっかり考えてしっかり見て

自分の意思で一歩ずつ

たまに後退したように見えたり寝込んだりしながらも

それでも一歩ずつ進んでいくことが一番大事なことなのかもしれない。

そういう地道なことを繰り返すことが

一番大変なことだと思われるのかもしれないな。

でもこういうのって

「もうこの道でやっていく、責任も恐怖も腹をくくる」

という覚悟の問題だと思う部分もある。

あとはいかに正気を保ってやっていくか。

 

恐怖や不安に包まれる時っていうのは

正気を失っている時だと思っている。

思っているより大したことないのに

必要以上に心配したりして

現実を認識するよりも

自分からわいてくる気分に支配されている。

それはもう正気とはいえない。

現実をできるだけ正しくみようとする

それには力が必要で

その力は筋肉と同じで。

 

その力がついていないと

目の前にダメージがきたときに崩れてしまう。

基礎体力が必要。

その体力を自分が作ってきたんだという事実が

自信にも繋がる。

 

最初からついているものではない。

ここ数ヶ月は筋トレをしているつもりで過ごしている。

筋トレは一朝一夕で身に付くものではない。

けれど毎日負荷をかけすぎてもいけない。休みも大事な時間。

少しずつ少しずつついていく。

 

自分を励ましながら、仲間に励まされながら。

自分と喧嘩しながら、仲間と喧嘩しながら。

 

自分の好きなことやりたいことに向かっているけど

今やっていること自体が好きなことやりたいこと。

だからこの地味で地道な毎日が愛おしい。

全てが地続きになっている。

 

小麦食べずで5日目になる1日。

小麦をとらないようにしてから5日。

今のところさほど禁断症状も出ていないので

さほど辛くない。(2回さほどをいれると強がってる感でる)

1回めちゃくちゃ肉まん食べたくなったけど!!!!!

 

あと実は小麦って白だしとかキムチ鍋の素にも入ってるんですよね。

そういうのまで避けてると大変なので

一部小麦ありという原材料の下の方に書いてあるものだけはとってます。

しかしこうして生活していると

小麦アレルギーの方の大変さがよくわかります。

小麦避けてるといかに世の中に小麦めちゃくちゃ多いかがわかる。

 

お菓子は代わりに大福やみたらし団子とかの和菓子を食べていて

食事は朝ごはんが和食で夜ご飯がカレーが定番に。

カレーの中休みする日は十割蕎麦やお鍋など。

 

昨日川口にお墓参りに行ってきたのだけど

大体川口に行った日の翌日って疲れてるんだけど

昨日は帰宅した時点でもそこまで疲れてないのかもと思って

今日はいつもと変わらない時間に起きれたので

これは食事効果なのかな?と思いつつした。

 

そんなこんなで本日は

絵を2枚描いて

作詞を1曲分して

打ち合わせは昼と夜の二部構成。

なのでしっかり目に動けた。

 

明日は作詞したものの作曲と

もし晴れていたら絵の撮影。

今やっている作曲は手紙のものなんだけど

この手紙、今月からまた進化しているので

今月のお知らせを楽しみに待っていてください。

青の中

新作を描きました。

健やか。

最近暑すぎて水々しい場所にさえいけないので

絵の中の水々しさに入れるように。

 

こちらの新作は出品しています。

気に入った方はぜひお家にお迎えしてあげてください。

こちらから↓

https://www.creema.jp/item/12303199/detail

反省そして学習のちに破棄。

過去の自分の行いに対する反省と学習。

そしてそれをひとつずつ降ろしていく作業が本日ひと段落。

先へ進むためには大切なこと。

体を軽くしなければ動きづらい。

 

私自身の性格としてノリが良いほうなので

これいいでしょー!と言われると

いいじゃーん!と返すタイプなんだけど

ノリが良いのとノリが軽いのは違うなと感じたこの頃。

 

例えば「これおすすめだからやりなよー」とか「お得だからやろー」とか

軽くそう言われたことを

まぁ1日2日の付き合いの相手じゃないから面白いしいいなと思って

間に受けて動いた結果

蓋を開けてみたら

軽くおすすめされたそれと全然見合ってない内容だったとか

それで動いたことの後始末をすることに時間がかかるとか。

(誘った相手に悪気がないのはわかるので相手を責める訳にもいかず)

そういうことが数ヶ月前にあったことと

数年前からあった別件と2つほどあって

立て続けにその後始末をしていたこのふたつきほど。

 

相手から誘われた話とはいえ

その話を聞いてしまったのは自分なので

てことは自分で撒いたタネなので

「めんどくせえなあ!」と思いながらそのタネの回収をしていた。

 

そして軽いノリで言われたことに関しては

当の本人が別の軽い出来事に乗っかって

痛い目見てるのを目の当たりにして

やっぱりそういうのって駄目なんだよねえって

その人の行いを見ていてよくよく思った。

その人の生き方を否定するつもりはないけれど

私はそっちにはいっちゃだめだなぁと思った。

自分のノリが良いだけにそこにはそこの落とし穴があることに気がついた。

という点では感謝。

 

美味しい話には裏があるとよくいうけれど

その一方で

人との出会いや何気ない誰かの一言で

大きく人生が変わることがあるのも事実で

だから目の前の偶然やいきなり起きた出来事に翻弄されがちだけど

自分の意思で自分のやるべきことをやっていない人には

そういう話がやってきたとして

それに乗っかっても中途半端な状況になるか

そもそも自分が半端なまま乗っかるべきではない

という事なのだろうと私は解釈する。

 

あと私はこういうのには乗っからないけど

「これだけやれば成功できる!」とか「これをすればお金持ち!」とか

「簡単に〜」みたいな言葉はくれぐれも乗ってはだめで。

そういうと「そんなのに乗っかるかよ〜」って思うかもしれないけど

人って「難しい話を簡単にできる人に惹かれる」という傾向があるから

いつもどこか心の底で「楽をしたい」みたいな気持ちがあるのが人だと思っている。

難しい話を簡単にというのは限界がある。

難しい話は難しくなるだけの理由があるわけで

そこをめんどくさいからといって避けて

耳障りの良いところばかりゴリ押しする

そういう人は信頼できない。

そして「楽をしたがりなモードの自分」に選択を任せてはいけない。

 

演者とお客さん。

チームの人間関係。

家族、恋人、仲間、友達。

どんな関係性でもそうだけど

信頼できないって相手に思われることはしないようにしたい。

シギを見てくれているお客さんというのは

曲というよりも私を見てくれる人が多いと思っている。

そういう人の信頼を裏切るような行為はしたくないし

身近な大切な人を不信に思わせるようなこともしたくない。

そう思うとなおさらに

「自分が信頼できる人と付き合う」ということは

基本であり最初の段階として大事なことだと思っていて

 

信頼関係はめんどくさい話も難しい話も付き合える人じゃないと

無理だと思っている。

「めんどくさいことは置いといて」とか「難しいことはいいから」とか

相手の問いかけを雑に扱って

「それよりもこれをすればあなたに簡単に利益が手に入るんだよ!」

と言われてそれで実際に1億円がもらえるとしても

そういう人とは付き合いたくない。

そういう人と付き合ってる私を仲間や家族に胸張って見せられないから。

信頼関係はお金なんか比じゃないほど失ったら簡単には構築できない。

だから軽い気持ちで何かを言ったり提案したり持ちかけるっていうのは

自分が思っている以上に危ないことなんだよ。

 

自分がなんにも考えずに軽く「これやってみな〜」と相手にすすめたことが

その相手にどういう影響を与えるのか

それに対しての責任がもてるのか

そういうことまで考えてないから軽いノリで言えるんだろうけど

そうして生きてるとその人は信頼関係が築ける人がいないんじゃないかなって想像してしまう。

 

 

自分の言葉の重みと責任というものを

ここ最近音楽の面で考えることは多かったけど

それを人間関係としても見つめられる時間になった。

 

何回かこういう考えさせられることがあって

それを自分の反省と学びとしたので

そのあとはもうシュレッダーにかけて木っ端微塵で忘れてまお。

 

この間ネットで

「ミスの原因を見つけたらすぐにそのミスを忘れなさい。

そしてミスの原因だけを記憶するのです。

その記憶の積み重ねがプロの財産となります。

ミスそのものは財産とはなりません。

ミスを背負ってはいけません。」

という言葉を見て、ほんまやなと思った。

 

自分に対して純度の高い選択をしていこう。