しょへからコーチェラは音楽が二の次で
基本的にはセレブがなんの服を着てくるかということと
アルコール・ドラッグ・セックスみたいだという話を聞いた。
誰がなんの服を着ててもどうでもいいし
アルコールもドラッグもセックスもどうでもいい。
米粉にはまってサボテンを愛で
お酒はほろ酔いを飲む私としては共感する場所がない。
JOJIも腕に女という墨が入ってるし
きっとドラッグ的な類のやつ(知らないので海外で合法なやつ?)も
普通にやってるパリピタイプだと思う。
昨日セックス大好きの曲について軽く書いたけど
私はJOJI好きだけどそういう歌詞は全然共感しない。
私は姉がヤンキーだったり
ハードコアのイベントも出てたので
酒や煙草は周りによくあったけど
それらにつかることもなかった。
なぜだろう?昔から興味がわかなかった。
音楽をやってる知り合いから
「覚醒剤やったりしてセックスしたいとか思わない?」と
言われたことがあるけど
その時すごいイラッとしたことを覚えてる。
なんでイラッとしたんだろう。
別に学校で教わった通りに「薬!絶対!ダメ!」と
アレルギーのように拒絶してるわけじゃない。
やりたい人はやればいいんじゃない?としか思わない。
今の時点の自分が考えるに
酒とかドラッグとかの類というのは
受動的な快楽なんじゃないだろうか。
その液体を飲むだけで気持ちよくなる。忘れられる。
体を合わせて気持ちよくなる。
受動的ですぐ手に入る気持ちよさって
あんまり私にとって魅力的に感じない。
あっけなさすぎて実感がないからだと思う。
例えばサボテンを育てるのって受動ではできない。
水やりをするのに天気予報をよく調べるし
成長速度が遅いのですぐに結果がでない。
でも地道に面倒をみてるとある日子供ができてたりして
それがすごく嬉しい。
料理もそうだと思う。工程を経ないと完成に至らない。
それは絵を描くのも作曲するのもライブするのもそう。
過程があって、考えたり探す時間があって、
試行錯誤を経て、結果を手に入れる。
しかもその結果が苦い時もある。
その時に苦い結果を生かして次に良い結果になった時は
もっと気持ち良い。
快楽に興味がないわけではないと思う。
特に食欲という「おいしいいい!」快楽は好きだしな。
自分の思考と行動の結果を手に入れることが楽しい。
そういうタイプの私にとっては
簡単に手に入る快楽は簡単すぎてあっけない。
その中には意味も工程も思考もない。
だから私には空っぽに見える。
でももしかしたら
「何もかも忘れて気持ちよくなりたい」と思うほど
シリアスな人生や性格じゃないからかもしれない。私が。
「覚醒剤やったりしてセックスしたいとか思わない?」と
言われてイラッとしたとき
「は?舐めてんのかてめえ」と思った。
受動的なことをして簡単に気持ち良いことしたいと思わない?
というのは
私の好んでしてきたことを間接的にとぼされるような(相手はそんなこと思ってもいないだろうけど)
私にあほらしい質問をしてくんなっていう気持ちになったんだろう。
好きな人がそういうことをしててもなんとも思わない。
それはその人の選択であって私の介入する範疇ではない。
それ以前にそういう快楽に溺れて怠惰になってる人はまず好きにならない。
でもたとえ好きな人がしてても自分がすることはない。
何百万もするドラッグよりも吹雪柱(今狙ってるサボテン)がほしい。