1.
私が自分をちゃんとした人だと勘違いするに至った理由。
何回かブログに書いた気がするけど
ヒステリックな大人(先生)から目をつけられたくなかった私は
良い子を演じていた。
ちびまるこちゃんがたまにやるように
良い子なふりをしては裏でうっしっしと思っていた。
そして大人はまんまとそれが私だと信じた。
しかしお笑いのような話だが
困ったことに私自身も自分でつけたはずの良い子の仮面を
自分なんだと勘違いすることになった。
子供の頃に戦略としてやっていたことが
本当の自分だと錯覚するなんて!
2.
最近ようやく
自分は「ちゃんとした人間」ではなく
「楽しいことだけしていたい人間」なんだと気がついて気が楽になった。
思い込んでた自分と本当の自分との距離が日本の裏側ぐらいありすぎて目眩がする。
自分に合わない服を脱いだようで肩こりも治った気分。
ちなみに肩こりには悩まされていない。
これで「私ほどちゃんとした人間はいないよなあ?」という問いかけに
(え、この人冗談なのか本気で言ってるのかわからないこわい)という
表情をさせずにすむ。
困惑させた人に詫びたい気持ちだが
相手はもう覚えていないだろうから詫びる予定はない。
3.
冷静に過去の自分を思い返すと
ちゃんとした人どころかなかなか悪気なく
ひどい部分もあったのかもしれないなと
今更思うようになっている。
占いをしてると怒られることが結構ある。
この間は「あなたはそれでいいと思ってるかもしれませんが
周りの人にも気持ちってものがあるんですよ?」となかなかキレられた。
しょへさんにその話をしたら
思い当たる節があるような顔をされた。
私はそれが嫌いじゃないからなおさらタチが悪いのかもしれない。
他人に怒られるということがどこか面白いと感じてしまう。
図書館に数日返すのが遅れた日には
黙って返すこともできるのに
わざわざ「遅れてしまいました」と言いにいっては
「次から気をつけてくださいね」と言われるのを待っている。
子供の頃にめんどくさい大人から怒られるのを避けてきた反動かもしれない。
4.
音楽において人のセンシティブな心情を描くのも
それを楽しんでいたのだと今なら合点がいく。
普段、ひとが隠している悲しみや孤独や葛藤を歌詞にすることは
子供が寝た時にだけ出される酒と贅沢なつまみの宝箱のようで
その隠されているものを表に出すのが楽しい。
でも、悲しみや辛さをもつ人の心を肯定したい気持ちは
面白さと関係なく本気で思っている。
弱いから私はだめなんだとかそう思っている人に
そんなことねえからあああああああ!!!!と猛烈に言いたくなる。
お前がだめなわけねえだろがあああ!!!!と。
それは全く知らない他人でもおじさんでも赤ちゃんでも関係なく
誰に対してもそう思う。
漫画家で友達であるにゅすけから
「君はジャンプに出てきそうな人だよね」と言われる所以も
こういう部分なのかなと最近わかるようになった。
自己肯定感が高止まりしている人間なので
肯定感がだだ下がりしてる人をみるといてもたってもいられない。
しかし私のような根アカで無神経そうな人間はうざい人からすると
本当にうざいんだろうなと思う。
けれどうざいと人から思われるのも落ち込むどころか
それもちょっと面白いと思ってしまう自分がいる。
5.
昔、私が露出狂だった頃(突っ込みたくなる入り出しである)
ライブハウスにバキバキに露出していったら
知らない女性に「私だったらそんな服きれなーい」と言われたことがある。
私は「あかの他人にそんな失礼なことをいう人間が
この地球に本当に存在していたのか」と驚いたが
同時に「そうだろうそうだろうお前には無理だろうながっはっは!」とも思った。
私が思っただけで口にしなかったのは
他人に失礼なことを言う人間はたいてい劣等感が強いだろうから
私が攻撃するまでもなく自分で自分を蝕んでいる。
なので攻撃する必要はない。むしろ自分で自分を蝕むのやめなはれやと思う。
自分を愛さない人間がいつも他人を傷つけようとするのだ。
なので自分を愛することが平和の一歩なのである。
6.
長くなったが人間は多面的なので
私の中にも哲学や純文学が好きな知的っぽそうな面もあるのだが
どうやらそれは玉ねぎの外側の外側の皮のようで
芯の部分はさながら純粋バカといったところらしい。
例の占いもそうだが性格診断などをしていると飽きるほど
「あなたは永遠の子供です!」
「あなたは単純で素直!」「楽観的!」「明るいね!」
「楽しいことだけしたいんだね!」と
心の底でやはりそれが俺か・・・と思うようなことばかり指摘されるので
これからは観念して芯の部分を大事にして
今まで以上に好き勝手面白いことをやっていきたい所存。
人間楽しんだもん勝ちやで、とは前から思っていたが
やはりそれが私の人生の大事な部分らしい。
あなたの玉ねぎの芯の部分は
どんな人間だろうか。
自己イメージと一致しているだろうか。
それを認められるだろうか。