「知る術はない」

「女神の継承」めちゃくちゃ面白かったー

ストライクでした

「チェイサー」を手掛けたナ・ホンジン監督が

タイのバンジョン監督とタッグを組んで作られた映画。

 

 

A24の「ヘレディタリー継承」もそうだったけど

家族間の簡単には解決できないし言語化するのも難しい歪みと、

自分では逃れられない運命に翻弄される人たち。

この構図が丁寧に描かれているのって

やはり今の社会背景とつながりがあるのだろうかと考えた。

ひとつこれなのでは?と思うことが出てきたけど

それは来週のシ組ラジオで話そうかなあふふふ…

 

何にせよ人々から自由を奪う”しきたり”というものは

私は嫌いだな。

人が作ったものなら人が破壊すればいい。過激だろうけど。

そのしきたりの中に人を閉じ込めて

恨みを増幅させていく機械にしてしまうと、

犠牲にならない人にとっては「大切な行事」の一言ですむ話だけど

犠牲になる人にとったらたまったものではない。

 

全力で逃げる。

劇中では、悪魔になってでも神と崇めるものを拒絶する。

それにより自分の身を滅ぼしてまで。

しきたりよ、お前は本当に罪深いなあ。

 

病気を治す、幸福になれるからと

欲望のために形ある神を作るのも

その神に振り回されて犠牲になる人が現れるのも

全てが人間らしいけれど

後者の罪もない人を犠牲に落とし込もうとする構造はくそくらえだ。

 

私はお墓参りやお地蔵さんが好きだし

仏教もキリスト教の世界観や教えを知るのも好きだけど

それは私の意思でしている行為であって

人から強制されたら拒絶する。

 

性暴力をするクソ坊主やクソ神父も存在する。

歴史を超えて継がれる教えや世界観を滅ぼせとは思わないけど

どんな時代にもどんな世界設定の中にも

犠牲者を作ってそれをなんとも思わない人が存在している。

敵はその人そのものではない。

加害者の考え方、あり方こそが敵だ。

その考え方、あり方を広めてきたものはなんだったのか

どこにあるのか。

 

この敵をひとつひとつ潰しても全滅はしないだろう。

けれど私たちは物語を通して

苦しめられてきたものが誰なのか

苦しめてきたものがどんな形をしているのかを

擬似体験することができる。眺めることができる。

 

 

 

なんともいえない後味の映画だったけど

それがとっても良かった。

現実だって後味が良いものなんてそうそうないだろうから。