デモ制作

昨日はスタジオへ。

ここ数週間、家で集中して進めていて

昨日はスタジオに入ってギター録り。

これもしょへさん家で出来るには出来るけど

大きい音で聴いてみたいと思いスタジオに行った。

 

 

今回のは今までより段違いに

私がリーダーシップをとって進めている。

 

一昨年、去年からちょくちょく

見様見真似でアレンジをするようになったけど

今年はそこにミックスも入ってきて

音楽で出来ること、考えられることが増えて楽しい。

 

セオリーと違くても、違和感があっても、

稚拙でも歪でも

大ウェルカムでやりたいこと挑戦していこうと思っている。

 

これが私の考えるシギの世界なんですよ。

そうドヤって言えるものにしていく。

 

シ組でもやりたいことが出てきているので

音楽に触れてもらえるイベントを近々お知らせします!

シ組今年の企画アンケート

シ組今年のイベント内容について

お答え頂いた方、ありがとうございます!

まだアンケートお答えになってない

シ組の方はよかったら下記からご協力くださいい!

 

 

これまでのシ組の方には本当にお世話になりまくりなので

スケジュールの都合があわない方が

1人になってしまっても企画しようかなと思っております。

 

シギの音楽に関するイベントも1つ固まってきているので

お楽しみにしていてください!

歌うこと、創ること、祈ること。

土曜と今日は家でわりとぐうたらしていた。

やる予定のものがあったが疲れていたので

少ししかやらなかった。

 

思い起こせば先週の日曜から

早く起きてモーニングで作業するようになり

パッションとデモ制作の二本足に集中していた。

 

先週なんて、神田・三茶・川口・日本橋と移動して

今週も今週でなんだかんだ出かける予定をこなしつつも

作業や制作をみっちりしていた。

 

大切なことをしている時というのは

なかなか周りに目立った華やかな動きにならないから

かなり地道な工程である。

たまにうっすらとその事について

うにょっとする時もあるけど

それでも前よりもだいぶこの時間が愛おしい。

 

本当は自分が創作したいものを好きに

心から没頭すべきだったのだと

今はそう思うようになった。

華やかさや結果以上に、この自分が思い描く創作を

思い切りし尽くすということが

私の人生の最も重要視すべきことだったのだ。

 

その時、私は自分と繋がり

今は自分以上に宇宙とも

繋がるような心地がする時がある。

おかしな話だと思うかもしれない。

けれど創造とスピリチュアルは

離れられない関係性でもあるのかもしれないと

最近思うようになった。

歌うこと、創ることは祈ることと直結している。

そして祈ることは、私の場合、

罪悪感とも直結していた。

この罪悪感は自分を超えている罪の意識だ。

罪悪感は、歌うことと創ることと明確に直結している。

そして全てが生きることと直結している。

 

昔よりもはるかに、自分の心と繋がってものを作っている。

自分の意識の外にある自分の声を拾い上げる感覚がある。

色んな煩雑したものに目を奪われたり

誤魔化してきたこともあったけれど

今この作品をどんなに稚拙なものだとしても

誠意をもって外側に出していきたい。

そのために1日1日を生きている。

 

喘息疑惑・完

病院の前にカラオケに行って録音。

めちゃくちゃ楽しいいいいい!

少しずつデモが出来上がっていっている。

 

その後は呼吸器内科。

数ヶ月前に喘息疑惑が出てから

何回か通った呼吸器内科。

無事完治したようで喘息の薬が終了した!

 

潰瘍性大腸炎疑惑といい、喘息疑惑といい

疑惑で終わったからよかったけど

共通するのは炎症なので

炎症にならない生活は心がけないとならん。

一週間前くらいも歯茎の出来物から扁桃腺が腫れて

頭痛もしたのだけどそれも治った。

でもこれも炎症!

炎症を鎮める生活ができれば健康に過ごせそう。

おお!!!!炎症よ!鎮まりたまえええ!!とお祈りしよう。

 

この日は病院終わったあとに

ファミレス借りてパッションのセット作業をしたり

帰宅してからもパッションの録音をしたり

めちゃくちゃ充実しすぎの1日だった。

 

今日行ったファミレスが若い学生の方が多くて

眺めながらみんななんか似たような服装や顔だなと

思う自分は年を重ねているのだなあとしみじみ思った。

昔自分が学生だった頃も

大人から見れば同じような顔の一人だったんだろうな。

 

え、てことは若い人から見ると大人って同じ感じに見えるのかな?

そうだったっけ?

そんなこと学生の頃は思うこともしなかったかもしれん。

 

女の会

受け取りものがあり丸ビルで母とランチ。

綺麗な建物って大好きなんだよな。

トイレがきれいな場所はたいてい好きな場所だよわたしゃ。

 

お試しでおいてあったマニキュアを何年かぶりに塗ったけど

結構テンション高まった。

だいぶ昔に塗ってたこともあったんだけど

ギター弾いたりするとどうしても汚くなっちゃって

そこから塗らなくなった。

お洒落な方でもないので化粧もマニキュアなども

どうしても適当になりがちなのだけど

それでも久しぶりにやってみて昔より楽しかったな。

自分に手間をかけてあげるっていうことって楽しい。

お昼にピザ食べて買い物したあとに

ワッフルも食べるという楽しい女会だった。

 

最近こもってやることが多いので

こういう息抜きがちょいちょいあると最高である。

 

一緒に新鮮なことをしてみましょ

シ組企画アンケートとります!

 

シ組で企画したら「参加したいな〜」と思うものを

2つ選択して送信してください。

 

なお、それとは別で年内行う予定のイベントは

・レコーディング参加(スタジオにて)

・ライブリハーサル見学

あと未定ですが、シ組限定ライブもやれたら良いなと思ってます。

 

ではシ組の方は以下のアンケートに記入してください!

 

シ組に入会される方は、SHIGI WEB SHOPから出来ます↓

https://shigi.thebase.in/items/24701295

新しいシ組HPも作らねば…!

 

「知る術はない」

「女神の継承」めちゃくちゃ面白かったー

ストライクでした

「チェイサー」を手掛けたナ・ホンジン監督が

タイのバンジョン監督とタッグを組んで作られた映画。

 

 

A24の「ヘレディタリー継承」もそうだったけど

家族間の簡単には解決できないし言語化するのも難しい歪みと、

自分では逃れられない運命に翻弄される人たち。

この構図が丁寧に描かれているのって

やはり今の社会背景とつながりがあるのだろうかと考えた。

ひとつこれなのでは?と思うことが出てきたけど

それは来週のシ組ラジオで話そうかなあふふふ…

 

何にせよ人々から自由を奪う”しきたり”というものは

私は嫌いだな。

人が作ったものなら人が破壊すればいい。過激だろうけど。

そのしきたりの中に人を閉じ込めて

恨みを増幅させていく機械にしてしまうと、

犠牲にならない人にとっては「大切な行事」の一言ですむ話だけど

犠牲になる人にとったらたまったものではない。

 

全力で逃げる。

劇中では、悪魔になってでも神と崇めるものを拒絶する。

それにより自分の身を滅ぼしてまで。

しきたりよ、お前は本当に罪深いなあ。

 

病気を治す、幸福になれるからと

欲望のために形ある神を作るのも

その神に振り回されて犠牲になる人が現れるのも

全てが人間らしいけれど

後者の罪もない人を犠牲に落とし込もうとする構造はくそくらえだ。

 

私はお墓参りやお地蔵さんが好きだし

仏教もキリスト教の世界観や教えを知るのも好きだけど

それは私の意思でしている行為であって

人から強制されたら拒絶する。

 

性暴力をするクソ坊主やクソ神父も存在する。

歴史を超えて継がれる教えや世界観を滅ぼせとは思わないけど

どんな時代にもどんな世界設定の中にも

犠牲者を作ってそれをなんとも思わない人が存在している。

敵はその人そのものではない。

加害者の考え方、あり方こそが敵だ。

その考え方、あり方を広めてきたものはなんだったのか

どこにあるのか。

 

この敵をひとつひとつ潰しても全滅はしないだろう。

けれど私たちは物語を通して

苦しめられてきたものが誰なのか

苦しめてきたものがどんな形をしているのかを

擬似体験することができる。眺めることができる。

 

 

 

なんともいえない後味の映画だったけど

それがとっても良かった。

現実だって後味が良いものなんてそうそうないだろうから。

どうしようもない気持ち

今後のTHEシギ!みたいな曲に3曲着手している。

 

自分の命、自分の意思のようなものを

グイグイといれた曲が好きだが

一方で、そういう自分をぎゅいーんと引いて

宇宙レベルで俯瞰するのも好き。

 

パッション道場みたいに、

ひとつの命がある身としてどういう振る舞いをしたいか

どう面白がって生きたいか、何が出来るかみたいな

そういう我のエネルギーを出していく、感じるのも大好きだが、

 

その一方で、自分という生物が存在しているからこそ

発生する罪深さみたいなものを直視したい。

 

自分が生きているから犠牲になっていったもの

自分が生きていることで苦しんでいるもの

自分が知らない間に傷つけてきたもの

生きているだけで感じる罪の気持ち。

 

謝るということも意味をなさず

死んだからといって何もならず

罪からも自分という存在からも

逃げられないという事実を

見ないふりしたくないと思う。

 

何かを主張するときも、喜ぶときも、怒るときも、

誰かを批判するときも、

自分の背後にその罪が必ず存在しているということを

ナルシズムというわけではなく

ただただ事実として持っていたい。

 

そういうどうしようもない気持ち、

どうしようもない罪の気持ちみたいなものを

音楽に昇華する瞬間を今味わっている。

 

制作という観点において

まるで宇宙と一体したような気持ちになれるのは

我から離れてこういうような罪深さを感じるときだ。

私という罪という以上に

人間という存在の罪という意識。

.

宇宙に投げかけるような

共振するような感覚。

 

なんでもお世話は大変だ。

天気が良かったので久しぶりにサボテン達に水やり。

 

100均で買った気がする多肉のこの子がすくすく育って

端っこがかわいいピンク色↓

 

この子は一目惚れしたディディエレオイデスちゃん。

相変わらずゴジラに出てきそうな見た目が素敵。

この子も爆速に育ってて買った時より倍以上成長している↓

 

1月入ってからまあまあ忙しい日続きだったのだけど

植物の世話って本当に余裕がないときついな!!!って思った。

本当に愛でる余裕なく水やって、

風強かったら部屋いれてとか

作業みたいな感覚になっちゃうの反省した。

 

で、冬だったので久しぶりに水やりしたのだけど

水やりするのも外に出してあげるのも

40鉢以上あるので腰にダメージがかかる。

 

外に出していて、夜になって風が強くなった時に

お布団の中で「これ風が強くて鉢が倒れないかなあ

心配だなあ」という心配と

「でもパジャマでベランダにいる植物たちを

部屋にいれるのめちゃくちゃ寒いんだよなあ」

という怠みと葛藤して結局部屋にいれるとか

そういうこととも戦ったりする。

 

本当に凝り性だから可愛い子見つけたらすぐ買ってたけど

さすがに40鉢すぎたあたりから落ち着いてきたわよ。。

4月あたりには植え替え大会を行う予定!

毎回植え替え大会も数が多いので腰が悲鳴をいわすけど

太陽の下でぐんぐん育つみんなを見ていると

本当に元気もらえるんだよな〜。