命の終わり

知人が亡くなった。

パンクスは死ぬ人が本当多いという話しを友人とした。

ジャンルという意味ではなく、

純粋に生きているという意味合いのパンク。

 

友川さんの無残の美の歌詞で

「あぁ、さとる。

そうか、死をかかってまでもやる人生だったのだ。

よくぞ走った、走ったぞ、無残の美」

という所があり、いつもここに胸をうたれる。

 

悲しみでも嘆きでも怒りでもなく。

よく走った、という言葉を選ぶことに。

 

やりきったのだ。

そしてもう限界がきたのだ。

他では紛らわせなかったのだ。

嘘はつけなかったのだ。

戦いであったが、敗れた訳ではない。

負けたのではない。

終わりがきたというだけだ。

安らげる時間の訪れだ。

 

どうかゆっくりと休んでください。

私はまだここで戦います。

嘆きの横には

考え事をしていたら朝になっていた。

 

自分が見たくない自分を見ざるをえなくなって

センシティブな言葉を久しぶりに伝えた。

伝えるというのは、自分を晒す事で

引きずり回しているものを晒す事はあまりしない。

情けないから。

情けなくて恥ずかしいけれど、観念した。

正面から情けのない学びをうけようと思う。ださいなぁ。

 

夜に作業をしにカラオケに入ったら

忘れ物をしていることに気づき作業が出来ず

普通にカラオケを満喫した。

 

さだまさしを泣きながら熱唱したのは私です。

両隣の人、うるさくてすみませんでした。シラフです。