香り

気分転換に久しぶりのご飯作り。

今日のテーマは「秋」

鮭のムニエルを作った。

きのこと鶏肉の炊き込みご飯。

 

買い出しから久しぶりにして作ったけど、

作るテーマ決めちゃうと身動きがとりづらいな。

スーパー行って安いものがあると変更!なんてよくあることだから、

基本のテーマは「安くて美味しい」です。

でも調味料はちょっと気を使って良いものを。

この間川越で買ったお醤油も、

天保の時代から使ってる樽で作った醤油らしく

すごいしょっぱくて旨味もしっかりしていた。

これならちょっと高くても、しょっぱいから量が減るし

値段的にはプラマイゼロではないのかなと思った。

むしろ美味しいからプラス!

君と出会って

自分の中の半分の自分に嫌悪していた

その事も久しく忘れていた

 

山本常朝は芸能をことごとく否定した

その意味する所がなんとなくわかる

 

半分の自分の姿勢に対して

これがありのままの自分なんだと開き直れるほど

無礼な人間にはなりきれなかった

だから君の姿勢を見ていて

自分の半分が浮き彫りにされた

 

道を外れてはいないかと

誰かに問われたような気持ちになった

 

憧れはいつも

私の正反対に位置して

私を叱責しているように感じる

夏の逃げ場のない陽射しのように

 

しかしそれらの厳しさはいつも

研ぎ澄まされていて温かい

気高いのだ

 

学生の頃

先生に会う時はいつも

憧れと恐怖が混ざり合っていた

その時のことを懐かしく思い出した

 

自分がどんな姿勢に憧れていたのか

君と出会って大切なことを思い出した

 

今夜の孤独は愛しい

ひとりの旅を歩む幸福さに包まれる

雨が優しい

 

今度久しぶりにあの場所へ行こう

あの時の自分に会いに行こう

 

「まずは自分に恥ずかしくないように」

作業の合間に なんとなくギターを手にとって

君のことを考えながら歌った

 

空白の時間も想う

今だって君は特別な人だ

あの時から何も変わらずに特別なんだ

命の終わり

知人が亡くなった。

パンクスは死ぬ人が本当多いという話しを友人とした。

ジャンルという意味ではなく、

純粋に生きているという意味合いのパンク。

 

友川さんの無残の美の歌詞で

「あぁ、さとる。

そうか、死をかかってまでもやる人生だったのだ。

よくぞ走った、走ったぞ、無残の美」

という所があり、いつもここに胸をうたれる。

 

悲しみでも嘆きでも怒りでもなく。

よく走った、という言葉を選ぶことに。

 

やりきったのだ。

そしてもう限界がきたのだ。

他では紛らわせなかったのだ。

嘘はつけなかったのだ。

戦いであったが、敗れた訳ではない。

負けたのではない。

終わりがきたというだけだ。

安らげる時間の訪れだ。

 

どうかゆっくりと休んでください。

私はまだここで戦います。

嘆きの横には

考え事をしていたら朝になっていた。

 

自分が見たくない自分を見ざるをえなくなって

センシティブな言葉を久しぶりに伝えた。

伝えるというのは、自分を晒す事で

引きずり回しているものを晒す事はあまりしない。

情けないから。

情けなくて恥ずかしいけれど、観念した。

正面から情けのない学びをうけようと思う。ださいなぁ。

 

夜に作業をしにカラオケに入ったら

忘れ物をしていることに気づき作業が出来ず

普通にカラオケを満喫した。

 

さだまさしを泣きながら熱唱したのは私です。

両隣の人、うるさくてすみませんでした。シラフです。

頑張ったね。

前回のワンマンライブで歌った「赤い糸」の動画です!

Kawanaをはじめとしたチームmoogroomの皆さんがとってくれました!

マスタリングしてくれたのはぐんさん。皆さんありがとうございます♩

今日はとある撮影してましたが、すごい天気良かった!

毎度のごとく汗だくでした。。

その後はわりとゆっくり作業ができた、これから出かけてきます!

 

素直になる。

一昨日の夜に久しぶりにめちゃくちゃ泣いた。

車を運転しながら

あ”ー!!!!!!と3歳児くらいの感じで

思いきり泣いた。

ここ数週間フル活動して酷使したら

当たり前だが心身ともにピークをこえて、

自分の信頼するアーティストの歌を聴きながら

25時頃の帰り道。

「やめるな、戦え」という一言に

涙腺が崩壊した。

その人の背負ってきたものや歴史を

私はリスナーとして見てきたから、

その「やめるな、戦え」という

シンプルな言葉の中に

耳では聞こえない重みがある。

しんどいなんて承知でのうえで言ってるって、

リスナーはその人を見てきたからわかってる。

だから疲れてるからこそ響いた。

ゆっくりしよう、ゆとりをもとう、

なんて言葉よりもリアルだから。

この歌手は本当に正直で不器用だ。

そんな音楽が好きな私の生き方や音楽も

きっと正直で不器用なのだなと思った。
そしてきっと

私や私の音楽を好きでいてくれる人も、

心に正直で不器用なんだろう。

見たことも話したこともない者同士が、

音楽を聴いて人の心を感じて

この空の下、

泣いたり心を震わせる人が確かにいる。

不器用だけどなんて愛おしいんだ。

と思ったらもっと泣けた。

さっきまで辛くて泣いてたのに、

今度は感動の涙になり、

感受性豊かすぎぃ!

涙で街が見えましぇん!ぐおー!
そして翌日の昼頃まで何もせず横になり

「もう何もしない、もう何もできない」

と思って死んだ魚のようになっていた。

そしてそれから数時間たって

「さ、やるか」と自然となった。

気持ちが前日までより

その時は少し楽になった。

疲れたら落ち込むとこまで好きに落ち込めばいいやと

思えるのは自分を少しは信頼できてるからだろう。

きっと、またあがってくる。

私は無敵じゃないし、

これでだめになるほど弱くもないよ、

と自分に思えることは。

ただ、酷使する環境は変えていきたい。

ひとりブラック企業ならまだしも、

周りにいる人にまでしんどい思いをさせたくはない。

死ぬほど頑張りたい時ってあるけど

それは界王拳ずっと使ってるようなものだからな。

長期はもたない。

生きてるなあって感じる。

色んな事がある。色んな気持ちになる。

時間はいつだって止められない。

死ぬまで動き続ける。変わり続ける。

でも音楽は、いつもその姿でいる。

人の心が変われば音楽の見え方も変わるが

それでもいつも音楽自体はその姿でいる。

心が姿を変えずに残っていることと同義だと

私はそう信じてる。

そんな音楽にずっと支えられてきた。

音に苦しみ、音に救われてきた。

ブログ長ッ!

帰りたい。

ラジオを昨日アップしましたが、

ここなどに連絡出来ていませんでした。

聞いてください。

そして

今日は茨城のライブハウスで作業。

贅沢!

しょへとぐんさんと。さくぽんにも会えた。

ぐんさんがシギのスタジオに入った時に、

「なんて爆音なんだ…」と思ったという話しを聞かせてくれた。

私はあれが普通だからもう慣れてしまってたけど、

メンバーが暴れ馬達だからな!暴れてくれー!ひっひーん!

他の人のスタジオもみてみたいな。

ぐんさんにEQの事など色々勉強させてもらった。

帰りに山菜うどん食べた。山菜うどん大好き。

まだ帰宅はほど遠い…帰りたいけど帰れない。

茨城で作業からの横浜で作業。

走行距離すごい。明日も走る。

でも、今日は車中ですごい素敵な曲に巡りあい、

こんなテイストの曲書きたいな欲がでてきた。

書きましょう。

 

毎日の時間の使い方を改めないとなぁ。ゾゾタウンてすごいな。。

昨日の私のブログを読み返すと誤字と話しの流れがおかしいし。

最後の方に至っては内容も覚えていないし。

私何書いてんだ…。しっかりしてちょ。

 

どこから遠距離

意識が朦朧としておる。眠りにつく時間がきたようだ、

今日はスタジオでした。

狭いスタジオの方が練習になるかもと気付きました。

誤摩化しがあまりきかないみたいだからそうです。

しんちゃんに「なんでスカートはいてんの!?なんかあったの!?」

と聞かれました。

確かにタイトなスカートはあってもロングスカートはないかも。

しんちゃんに「ヒゲやめなよ、爽やかじゃないよ」っていったら

「うるせえなこのやろー!!」と返されたけど

その後しきりに「俺、ヒゲそろうかなぁ」って言ってて面白かった。

気にしてやんの。清潔感が合った方が私は良い印象だけどなー!

遠距離恋愛についての話しでも少しもりああがったけど

しんちゃんは向いていないそう。

私はどうだろう。暇だと地獄だけど、お互いやることがあるなら

そんなに苦ではないのかもおな。

でも急に突然会いたくなるときってあります。

そういう時に自分の情熱を抑え付けるけれど、

忙しくても会いたかったらあいまでもちょっとでも時間作る

って誰かがいってたな。そう私も思う。

だからナナの「今日会いたい今すぐ会いたい」みたいなこといわれちゃった日には

ッ私が男ならなげうって駆け込んじゃうかもよーうひひ。

まぁでも、打ち合わせ終わってから少しだけど会いたい、とかなら会いにいけるな(小物感となった)

なんのはなしやねん。頭がぼーとしてくる、

おうう脳がシャットアプとして打てている有kが心配だ。。

でも今日のスタジオは収穫ありました。

みんなどんどん音の一員になっていっているようです。

また地方にいきたいねー1とびきりかっこよくいきたいねえ!

信じた道を行け

今日は素晴らしい日だった。

自分ではない、

他人からしか見えない自分がいる。

他人からしか聞けない言葉がある。

それを今日は心の底から染みるほどの体感をした。

自分の信じた道に、光が照らされたような。
色々な人が色々な経験をもとに色々な事を言う。

何度考えを巡らせても、何度寄り道しても、

結局たどり着くものを胸に今日も歩く。

それが逆境の中であろうと、闇の中であろうと。
自分の中の考えていることと、

やっていることがちぐはぐな時に

人はストレスを抱える。

だからその考えに至る自分を信じる。

理性よりも先に生まれるものを信じる。

その自分に体を任せる。

それが結局の所違くとも、

想像と違う場所に辿り着いても。
それすらも楽しめれば最高。

信じた道を行け。

私の気持ち

曖昧さは優しさとは違うけれど

言葉を飲み込んだ

宙に浮かんだままの言葉が

名残惜しそうに去っていった

あなたの不安そうな優しさが

私の手首を掴んだ

どこにもいかないでと

言っているようだった

戸惑いながらあなたの髪を撫でた

けれど私には会いにいかなければならない人がいる

呼ぶ声が聞こえるから

それは自分の声かもしれない

同じにはなれないけれど

遠くにいても

どんな気持ちなのか 感じることはできるね

心から生まれた言葉を伝えるよ

今の私にはそれくらいしか出来ない