私の信仰

面白くないことに笑わずにすむように

常識的なものに自分の可能性を制限されずにすむように

自分の城を作っているような気持ちでここ最近は過ごしている。

 

そうすると俗世から少しずつ遠ざかっているのを感じる。

世間的な中で生きる人との距離ができそうな気がする。

それはそれで不便かもしれないけれど

自分の住まいを見つけたのだから

なんでも揃いたがっても仕方がない。

 

この街は宗教の信者が多いように感じる。

喫茶店やファミレスでその事を感じる。

何かの信仰を広めることに力を入れる人を目にする。

 

信じる者の強さはある者にとっては恐怖だ。

暗がりも眩しさも 行き過ぎたものは人に不安を感じさせる。

何かを信じることを他人にも強要する

私はそれをしないように気をつけている。

気をつけていないとすぐに傲慢さが顔をだす。

人を脅してでも、不安にさせてでも

自分の思う方に他人を導きたいと願う。

それが良いか悪いかの話というよりも

その事で生じる人の怒りや力みから

今は距離をとりたいと感じている。

 

自分に正直に生きていると 信仰が芽生えてくるのを感じる。

特定の宗教を信仰するというものではない

何か自分の中から芽生えた信じるものが形になってくる。

 

もしかしたらキリストでも仏教でも

その教えを抱いて深く自問し生きたものは

そこから自分の中の新たな信仰を芽生えさせるのかもしれない。

自分の中に哲学や宗教が作られていくのかもしれない。

 

違和感とは距離をとる。

しかし私が違和感を覚える者にも愛は染み渡ってほしい

愛とはそういうものなのかもしれないと最近感じる。

「愛が染み渡ってほしい」という祈りのような気持ちが

愛のひとつなのだと感じる。

期待も欲望もない

情熱も力みもない

ただ流れる水のように存在しているだけの

愛の種類のひとつ。

 

私が人里離れて自分の城を作る時の方が

人へ向ける愛が深まっていくのを感じる。

その愛の清浄さがどんどん増していくのを感じる。

 

自分の命に耳をすませ 目を見張る。

人の怒りも愛も 社会的な問題も 自然の美しさも

不思議と今の私には

全てが静止画のように止まって見える。

そのひとつひとつを手にとって

私はそれを静かな気持ちで見つめる。

そのあとで作品として形にしていく。

望むものをひとつずつ始めていこう。

 

設計図を作った。次は石を集めるところ。

子供のように身軽で好奇心を持って。