私の通っていた教習所は少し変わっていた。
これは今の時代ならではなのかもしれないけれど
教習所に入ると、最初にシートみたいなものに
「どんな指導をされたいか」というのを書く欄がある。
「打たれ弱いので優しい先生がいい、叱らないでほしい」
「ドMなのでドSな先生がいい」など、要望を書くのだ。
先生を指名することもできる。
そしてそこでは
「何曜日は占い師がくるよ」
「何曜日はネイリストがくるよ」など
教習所以外にもサービスがあるのだ。
完璧に商業施設だ!
そこにいる先生も個性的な方が多くて
ある先生は教習中に私が聞き上手だったからなのか
そこの会社の愚痴をずっとこぼしていた。
「社員旅行はどこにいったんだけどあそこがよかった」とか
「感想文を書かなきゃいけないんだけど
なんでそんなことしないといけないんだ」とか。
私は内心こいつすげえなと思いながらも
面白くて「それは大変ですな」と相槌をうちながら運転をしていた。(ただの先生を乗せたドライブ)
そして今でもたまに思い出すのは最後の路上教習。
最後の先生は、少し強面な感じのリーゼントっぽい先生だった。
他の先生とは雰囲気が違ったけど、違うのは雰囲気だけではなかった。
詳しい内容は覚えていないけれど、
教習所で習ったこととは違うことを先生はやっていいといった。
そして「前の車の流れについていってごらん」と言った。
先生はこう言った。
「教科書で習うことや先生が言うことは最もなことだけど
習うことと実際の現場は違う。
一旦道路に出たら、教科書通りのことよりも
道路で実際に走っている先輩から学んだ方がいい。
そこで何が良いのか、何が危ないのかを肌感で学ぶんだ」
先生!!!!!一生ついていきまっす!!!!
と内心思いながらもさらっと最後の路上教習は終わったのだが
その先生の言葉が今になってもたまーに頭をかすめる。
それはさながら「守・破・離」だ。
型や教わったことを守り
そこからそこをあえて破り
最後には指導者から離れ自分をさらに発展させる。
先生のその言葉は運転だけじゃなくて
人生の色んな場面において当てはまるなと感じた話で
今でもその言葉をふと思い出しては
私の人生は今どういう道だろう。教科書を気にして縛られているか。
破るべきところなのか。時代に乗るか。あえて外れるか。
などその時その時で自問自答する。
先生は学校の先生ではなく車の運転を教える先生だけど
私にとっての先生とはそういう存在だ。
ただの決められた教科書をただ伝えるという仕事ではなく
もっと広く深く、生きることについてまで通じることを教えてくれる人。
離れて何年も会わなくても、この先も会わなくても
先生の顔は薄ぼんやりと忘れていったとしても
先生が伝えてくれた教えは心に刻まれ生き続ける。
そして先生が死んだとしても想いは受け継がれていく。
そういうものを感じる時、人の素晴らしさ美しさを感じる。
こういう時、人間として生まれてよかったなと感じる。