そんな一日。

今日は二週間以上ぶりに電車に乗った。

どんだけ外出しないの。。

 

シ組のみなさんにはお知らせしたのですが

録音で使っているパソコンが壊れてしまい

スタジオライブの収録ができなくなってしまったので

今日は修理の申し込みをしに。

しかし予想の3倍くらいの金額を提示されて

そんなバカな!!!!!!というリアクションをし

え、それならもう新しいの買っちゃう?と

店員さんと新しいmacを見たりした。

でも修理も購入も安い買い物ではないので

今日一日は考えることにして持ち帰った。

 

パソコン調べてもらったり新品買うか修理にするかーなど

30分近く話たりしてたのに無料だった。。。

そのうえ修理せずに持ち帰るといっても笑顔で承知してくれた。。

「やっぱお願いしたくなったら土下座しながら来店するんで」

と伝えてあとにした。

こりゃ困ったぞこりゃこりゃ。

 

最近の私のこりゃ困ったぞこりゃこりゃリスト。

・某事件が起こる。

・人間関係でごにゃっとが起こる。

・パソコンが壊れる。

・コンタクトが落ちそうになる。(排水口の淵に奇跡的にくっついてて助かったのでこりゃにならずだけど)

・行きつけの喫茶店が閉店する。

ちょっと前には車の不具合もあったしな。

こりゃこりゃの嵐じゃねえか!!!!!!!!

 

ここまでこりゃこりゃが続くともう半ば笑えてくる。

この先どんなネタが増えるんだ。。

しかしそれまでわりと平和だったのに

なぜいきなりこんなにこりゃこりゃが起こるのか(こりゃこりゃってなに)。

 

ある人に話すと「ものの流れが切り替わるという時」だったり

ある人は「すっごい良いことが起こる前に悪いことが起きたりする・・」だったり

いろんな「これじゃね?」があるみたいなんですが

どれがどれだかよくわからないので

これは自分で良い流れに変えるっきゃねー!!!!!と思い

今日はパソコンを見てもらったあとに

行く予定ではなかった本屋さんに行き

人間関係ごにゃっとにより

「今までこれやりたいな、やらないとなと思ってたけど

まじもんでやらないともうだめだ!!!!」と

ふんどしを締め直した瞬間が数日前にあったので

それを早速行動に移そうと、本を購入した。

本を買うのどれくらいぶりだろう。

ネットでも学べるには学べるんだけど

ネットって海も海で情報がだだ流れしてるので

本みたいにきりっと一本にまとまってるのを集中して見て

学びたいと思った所存。

 

これを持って「よっしゃーやるだー!」とワクワクしながら

喫茶店に入って本とにらめっこをしつつ

ネットでも情報を得ていると

「なるほど・・これがこうということは・・・

これをこうしてこうなって・・・これは疑問だからあの人に聞いて・・

そしてあれはこうなったらうまくいくのでは!!!!?????」と

全くこれでは意味が伝わらないけれど

私の中ではいろんな点と点が繋がって

この先の道が見えた現象になったので

良い流れに切り替えてやったぜ感を胸に帰宅。

あとは行動だ。

 

ああ、、ここ最近「なんて日だ!?」みたいな事ばかりだったのに

そしてまだやろうとしている事が実現してるわけでもないのに

こんなにもワクワクな気持ちを抱いてるめでたいわたくし。

(パソコンの修理代か新品のローンかが後ろで待ち構えているのにもかかわらず)

この自分の楽観的な性格に助けられたり逆に痛い目を見ることもあったり。

noteの行く末

弱者、怪物と続いて今後リリースした新曲についての記事を

noteを使って書いていこうと思っていたのですが

姉妹会社であるcakesの炎上の中身を見ていて

今後は別のサービスを使って投稿していこうと思いました。

 

 

 

詳しい炎上の内容ふたつはググればすぐ出てくると思うので

ここでは割愛します。

 

最初に正直なことを言うと

炎上した出来事とそれに対する見解を色々見ていて

私自身が学んでいる最中でもあるなと自分に感じたのが正直なところ。

でも学んでいる最中ではあるけれど

それでも今回のcakesの運営される方々の方針やあり方に

賛同しかねたのでnoteを使うのはやめようと思いました。

 

炎上のひとつである幡野さんの記事は前からたまに読んでいたので

問題になってると聞いた時にはにわかに信じがたい気持ちだった。

そして実際に記事を見て、

なぜこんなうがった視点で冷たい事を言ったんだろう

そしてそれをcakesサイドの誰も止めなかったのだろう。

と疑問に思った。

と同時に

幡野さんの記事に関する見解をあげている人たちの記事を見ることで

DV被害に関することを学んだ。

その記事の中でも特に、

「DVや虐待などの被害者の中には主語が抜けた文章を書く傾向にある」

という長年そのケアに携わっていた人の記事は

とても勉強になった。

 

時間があまりたたないうちに、

ホームレスの方に関する記事がcakesから賞をとった

というものも炎上した。

「別にそれくらいいいじゃない」

「なんでもかわいそうみたいな顔してるのも変だ」など

記事を擁護する声も見えた。

私自身、自分と立場が違う人を見た時や

社会情勢に触れた時には心のなかで好奇心が出てしまう。

けれどそれを「無邪気な暴力」という言葉を使っている人がいたが

無邪気で面白おかしく言うことがふさわしくない場所というのは存在しているわけで

今回のことはその人たちの記事以上に

cakesが賞を与えたという事実が

一番脱力する部分だったなと個人的に私は思った。

そこでも幡野さんの時と同様に

なぜ、それが現代の倫理上(現代に限らずなんだけれど

最近は昔に比べてそういうリテラシーを大事にするようになってきているから)

で問題にならないと思ったのだろうか、という疑問が起きた。

何か大事な部分が抜けているんじゃないか?と

思わずにはいられなかった。

 

そしてそういう問題が立て続けに起こったことで

発信者がnoteから離脱するだけではなく

今まで読んでいた人の中でも有料課金をやめる人や

もう見ないという人も少なくない。

発信者受信者、関係なく

自分の頭で考えて選択し、行動をする時代になっている。

続けるもよし、やめるもよし。

大事なのは自分の声で、自分のアクションで意思を示すこと。

 

私はnoteにまだ記事を数件しか書いていないけれど

弱者や怪物の内容を見てもらえばわかる通り

人として生きていく上での話に重きをおいている。

その中に人権や自尊心が基盤に置かれている。

そういう記事を書いている私が

今回の出来事たちを見て見ぬふりして

そしらぬ顔をしてnoteに人権的な記事を書き続けることは

書いていることとやっていることが矛盾しているのではないか?と感じた。

 

そのため今後歌詞についての記事は

どこか別の場所を使ってやっていこうと思っています。

 

日本は海外の中でも倫理的な事への問題意識が遅れていると感じる。

 

だからこそこうやって「それはやっちゃだめだよ!」という声が

大きくあがることで、

何が問題で、なぜだめだと言われるのかを

全ての人が自分ごととして学びの気持ちで見つめることが

大切だなと思う。

これって学校では教えられないし、家庭でも教えられない。

身近にそういう話ができる人がいないケースも多いから

ネットの中で他の人の見解や知識を見つめることで

自分の中の考えを少しずつ育んでいくことが大切なんだろうなと思う。

炎上してる人を面白がって吊るし上げたり裁くのではなくて

何が問題だったのか、そして自分は何を思ったか。

という自分の意見を持つことが大事と思う。

それが私の中でネットというかSNSの有意義な使い方だと思っている。

 

 

自分の気持ちは層になってる。

本日は散歩がてらファミレスで歌詞を二つ書く。

今後の歌詞について考えながら歩く。

歌詞について思ってることは今度書こう。

昨日のツイートみたのかメンバーから

何かあったらなんでも言ってねラインが来て

涙ちょちょぎれるくらい嬉しかったー。

優しい頼れる兄貴ー。

それで多分私は身近な人に

優しくしてもらいたかったのかもーって思った。

最近ちょっとなんなんだがと思うことがあったときに

身近な人にその話をした時にリアクションが薄いというか

謎が残ったのでそれが引っかかってたんだなって思った。

「優しくしてくれない!」っていう「してほしい!してくれない!」

っていうくれくれおばけにはならないようにしていて

それってつまりは自分のやる事に集中しつつ

自分のケアを自分でするって事でもあるんだけど

でも普通に考えて何か危機があった時に心配されなかったり

優しくされなかったりする人と一緒にいるのしんどくないー?とシンプルに思って

きっとそれがメンバーの優しさに触れることで

実は私しんどくなーいってすごい思ってたんだ・・

っていう気持ちを知った。

自分の気持ちを自分で知るってやっぱ難しい。

 

萎えみのあげみ。

最近萎えみなことがありすぎてもはや笑いになるレベル。

それなのに!人と会う予定がなくてこのネタの宝庫を披露する機会がなく

(会うのも会うでめんどくさい寒い)ひとり萎えみに。

今日しょへすんにラインで撒き散らしたら多少すっきりした。

私って毎回嫌なことあるとなんで面白くなっちゃうんだろう。刺激だから?

 

しかし一個とかならわかるけど自業自得なの含めて何個かあるんだが

しかもパソコンも壊れたくさいんだが。。。いやーあ!!!

ムンクばりに叫びそう。ん?ムンクの「叫び」の中の人ばりに叫びそう。

「嫌なことが続いた後って、すごく良いことが起こるみたいよ!」っという

根拠のない幸福な言葉を信じてこちとら明るく生きたいと思います。

根拠なんてなくてOK〜。

という謎のハイテンション。

 

しかし私基本的にはいつもひとりでいる時って

これくらいのテンションで過ごしてるもんで

このテンションがシラフなんですよね。

もう頭から言葉が次々と流れこんでいく感。

人といる時は人のテンションに合わせてるけど。

シラフでいいかなって気持ちになりつつある。

その前に人と会わないんだけど。

こういう場所もついつい真面目ぶりっこちゃんが楽しいから

でちゃうけど、こういうシラフなテンションの時も

そのままで投稿しちゃってもいいじゃんって思い出しているこの頃。

かたさが私からなくなっていく感、脱いでいってる感。

 

そもそもなんだろうか

振り返ると「私って良い人じゃないです」ブログ書いたけれど

本当それってその通りで(多分そのタイトル見て「知ってたで」って思った

人少なくないと思う。)

昔は自分がすごく良い人で真面目な人だと信じてやまなかったんだけど

それを仲良い人に話すと「、、、!?」みたいな顔をされるので

これは見解の相違がすごいぞ、と思い。

私は思い込みの世界を生きていた。

 

お世辞言わないし人を持ち上げないし

つまらない人の前では一言も話さないし

知り合いでも問答無用でミュートするし

LINEの返事も返さないし電話はでないし

好きじゃない人とは2度と会わないし

我が道を歩きすぎて誰も後ろについてきてなさそう感

真面目で良い人の要素どこから持ってきた・・という感。

でもまあ・・思いやりと社会問題に関心があるっていうところで(自分で言うか)

ようやく持っているようなものか。。か?

関心があるってのも好きなだけで真面目とは違うか。。

 

そんな萎えみすぎて逆にテンションの高まる私。

なんでも面白がったもん勝ちだっ。

足を引っ張る奴に追いつかれないように走れ

今月お届けする手紙の歌詞を今回もタイトルに。

すごく強いイメージが湧く言葉なのですが

打って変わってメロディはロックというよりもエモなフォークです。

 

そういえば昔、CDを買ったり借りたりした時に

歌詞カードを最初に見て

「これってどんな曲なのかな」とワクワクしながら聴いて

思ってたのと違ったり、思ってたのを超えて良かったりと

新鮮な体感が出来て面白かったのを

タイトルに歌詞の一文を載せることで思い出しました。

 

実は今回の曲ですが、二曲書いたんですよ。

最初に十一月の初旬にできたのですが

これは手紙とちょっと違うなと思って

歌詞まで全部書いたあとにやめたんです。

(それはシギの方で今後お届けできると思います。)

そして0から書くことに。

これって自分の中で結構エネルギーを使うんですよね

精神的に。

「これが今回の手紙になるぞー!」っていうのを

自分の中で「ちょっと違うかもお」と思って

それを崩してまた0から作るっていうのって

結構精神的にしんどい。。。

けど「これは違うかも」っていう違和感が出たら

もう嘘をついてはならぬのです。という自分が現れるので、

今回は0にしたその日にもう一曲書きました。

半ば意地みたいな感じで。笑

 

最初に詩の方のイメージは浮かんでいて

そこからどんな曲になるだろうとなんとなくのイメージをしたのですが

それと違う方向に進んでいる自分に驚きつつ

でもこれもこれで面白いギャップだなと思い受け入れ。

 

エモエモのエモですが

人生何十年か生きていると哀愁と疲れみたいなものを感じつつ

自分を慰め背中を押しつつ前に進んで生きるよりほかないのですが

それがよりエモエモのエモに繋がりますね。

「それでも」という言葉は人間らしいなーと感じる言葉のひとつですが

それでも生きていく それでも前へ進んで行く

そんな「それでもな気持ち」を温かく見つめ共に生きていく

そんな曲になったと思います。

 

手紙をご注文なさっている皆様

今月も絶賛製作中ですので

お楽しみにしていてくださいね。

問題とチャンスは同じ。

何かがわからない時は、わかっている人に聞く。

わからないままで放置しない。

日常を生きている中で

「ここはなんだか嫌だなあ」「このままでいたくないな」

という問題に直面した時。

問題というのは本当にまたとないチャンスだ。

何も起きてない、もしくは嫌だとかモヤモヤとかストレスを

ごまかしていると、つまり問題を問題と認識していないと

チャンスをも見逃すことになる。

生きていて「あーなんか嫌だな」「もうこれ飽きたな」と思った時に

変化させるチャンス到来。

というのが私にも起きているので早速今日は今後に向けての勉強をした。

自分で決めて、動く。

それを放置していると、他人に対して文句を言ったり不満を持ったりする。

それはどっちも辛い。変わるなら自分。

今よりも自分が満足する場所へ行くために。変化しよう。

癒しの食

昨日はまさかそこで!?という所でお騒がせしました。

心配してメッセージをくれた皆様、ありがとうございます。

お気持ちと温かい言葉が嬉しかったです。気をつけます。

今の所はなんともないのですが警察に相談するのも含めて対策します。

昨日はそれ以外にも色々ありすぎました!

いやー重なる時は重なるねーってくらい。

 

人生いろんなまさかが存在しますけど

ネタに事欠きませんし学びにもなります。

今回も学びましたぜや。。。

 

今日も変わらずにいつも通り玄関掃除から。

最近無性に作りたいと思ってた煮込みうどんを作り食す。

心があったまったー。

最近の自炊の内容が心に沁みるものばっかで

食万歳って感じだ。

 

答えは自分の中にある。

絵を描き

曲を作り

料理を作り

ものづくりの日々だな、と

今日漬物を作りながら思った。

 

どうすれば答えがでるのか

どうすれば望む未来へ行けるのか

なにをすれば・・・と思えば思うほど

正解と思考ばかりに時間を費やす。

そんな日々が長かった。

 

今はどっぷりと自分の世界に浸かっている。

自分の表現に没頭している。

今も昔も未来に確証はないけれど

それでも不確かな中にある確信を確かに感じている。(言葉遊びみたいだけど)

私はこのために生まれてきた。

私はこのために生きている。

私はこのために生きていきたい。

役割に生き昇華させる。

憧れている人のインタビューを見た。

その方はいつも博愛的で平和で誰に対しても愛を持っている。

なぜそこまで博愛的な視点で他者を見れるのかが

昔から疑問でもあったのだけど

今日はそれが腑におちた。

それはとことん自分のやることに集中しているから。

自分の壁に向き合い、

ストイックさや葛藤を超えた喜びを知っているから。

他者の弱さに口を出す暇がない。

そんなことをするくらいなら自分の役割に没頭する。

そして自分に没頭する中で生まれる苦悩があるからこそ

他者を受け入れるのだろう。

母性でもって抱きしめられるのだろう。

母性には男も女もない。

自分の中に苦悩や葛藤や暗闇を深く抱きながら

自分の役割を昇華させようとしている人間の中には

自ずと母性のような深い愛が滲みでるのだろうか。

昔は憧れの人のあまりの博愛的なあり方が眩しかった。

しかし今ではそれを真っ直ぐ見つめられる。

昔よりも少し自分の精神状態が近づけたのかもしれない。

私はまた私の役目の中を生きよう。

意識と無意識の狭間。

数日訳もなく悶々としていて

悶々としている時ってその後に開ける事が多い

という事を最近なんとなく思っていたので身を任せていると

やはり昨日の夜から開眼した。

 

私が開眼する時って大体

夜中とか明け方にスッと目が覚めて

頭の中にある言葉が浮かんでくる

そしてそれをスマホのメモに書いていく

で寝る。

 

翌日あまり覚えてないのでそれを見てふむふむとする。

今日はその後で喫茶店に行って

今回は書き作業がなかったので

自由に今後の特に絵画の展開の事などを書いていったら

面白いことがほわほわと出てきて

悶々はどこへやらて一点してわくわくになった。

「考えたり色々インプットする→なんだか悶々する(深部で変化していってる時期)→開眼、意識的に変化がでる」

この一連の流れがわかりつつある。

そして先ほど久しぶりに一枚絵を描く。

描きながらもう一枚わりと大胆なことを思いついたので

明日やってみよう。

 

ちなみに昨日の夜に目が覚めて頭に浮かんだことが

「思想に縛られている」「自分の目的を遠ざける要因を排除する」

という言葉だった。

こういう時って意識と無意識の狭間から生まれている感覚で

頭で考えて出す言葉よりもかなり的確な気がしている。

今後の絵画については結構まとまりだしているので

それについては明日書けたら書こうかな。