私は寝た。

昨日の分を取り戻すかのように

今日は10時間以上寝たので頭ぴっきぴきだった。

 

茹で卵をパラパラとのせてマヨネーズかけたパンと

ピクルスとヨーグルトをブランチで。

毎月書いている支出表の4月分をまとめ整理し

5月分の手紙の録音をする。

元々この曲は録音してあったのだけど

今の空気感の方が良いなと感じ全部録りなおした。

それを終えた後に新曲の録音。

やっぱ歌の録音は楽しいなあ。永遠してたい。

その合間にめるちにご飯をやりつつで

そうこうしてると夕方になってしまったので

慌ててお風呂に入ってから喫茶店へ。

次に作る曲の作詞をするため。

アンド手紙の詩も完成させちゃった。

20時に閉店だとなかなかに時間がない。

健康的ではあるけども。

買い出しの後に帰宅して夜ご飯を作る、今日はキムチ鍋。

食べたあとに作詞したやつをギター弾きながら小音で確認。

日にちをまたぐ前にこのブログを書き終えたら眠る準備をする。

パーフェクトじゃねえか!ってくらいの1日だった。

 

やっぱり睡眠は大事なんだ!

人が2-3日かけてする内容を私は1日でこなしてる気がする。

なので頭が冴えて眠れなくて翌日ポンコツになったりするのかもなと

思ったりしている。

ってことは1日バッキバキに動いて

翌日は呆然としているのもありなのでは?なんてことを

思ったりしている。

どうにも時速40kmで走り続けることが苦手なようで

120kmで爆走したあとに死んだように爆睡するというやり方が

スタイルとして好きなみたいだ。

 

毎日120kmで走りたい性分なので

心が120kmを求めてるのに体がガス欠な日は

焦燥感や罪悪感にかられることもあった。

しかし120km毎日走り続けるのは無理なのかもよ・・・

とはいえ速度落とせないなら

休みの日を間にいれると割り切る方がいいのかもな。

そういう実験週を作ってみようかな

なんてこと思った。

物語を捨てていく

「物語を生きるな」という言葉を見てからというもの

生活の中でも音楽を作る中でも映画を見る中でも

妙にその言葉が引っかかって心の隅っこに存在していた。

 

私のように普通の人間だが普通の生き方をしてこなかった人間にとって

この言葉は必要なものだった。

 

自分の作り出した物語を捨てていくということ。

それは幻想だから。まやかしだから。

物語はロマンスであり心酔しやすい。

娯楽として味わう分には良いものだけど

知らずそれに支配されてしまうと

現実の中を生きてるようで虚構の中を生きることになる。

自分の物語の中が現実だと思い込む。

そこから正気になるのはなかなかに易しいことではない。

 

「自分には信じているものがある」

無意識にもそういう気持ちが強いほど

物語に足をとられやすくなる。

 

物語の世界の中で苦しみを味わう。逆境を味わう。

その先に自分の信じた希望の光が存在する、かもしれない。

そんな気がするほど物語から抜け出しづらくなる。

現実を生きてるようで生きていない状態。

 

「これが私なんだ」「これが私の音楽の肝なんだ」

そう思っていたものを捨てていく。

それは私の物語の中で必要なものであったが

現実の私には重いだけだった。

 

自分が大事だと思っていたものを捨てていく。

痛みはなく妙に清々しい気持ちになる。

それを捨てても私がいなくなることはないから。