これもスパイスな女。

スパイス入れを作った。

まだ半分余っているけれど

徐々に欲しいものがあったら増やしていくつもり。

煮沸消毒して乾燥させてせっせこ入れ物交換。

地味であるが良いひととき。

意見と行動を。

ここ最近、ものをネガティブな方向に解釈する人といると

違和感をもつようになってきた。

いつも話している人がネガティブなことを滅多に言わない人なだけに

他所でそういう会話と出会うと浮き彫りにされる感覚がある。

 

これは物事を否定してはいけないというわけじゃなくて

私が違和感を持つような類のものっていうのは

 

それを言ってどうなるの?と突っ込みたくなるようなこととか

それだからあなたはどうしていくの?と思うようなこととか

つまり「嫌に思っただけでそれ以上自分が何かをするわけではない」というもので

暇つぶしにしても中身のないものに感じるようになってきたのである。

 

少しまえに「自分の意見」と「リアクション」というのの違いがあることを知った。

リアクションというのは名前のまんま

目の前のものに対してリアクションしているだけ。

「よくない」とか「こわい」とか「わかる」とか。

自分の意見というのもまんまで。意見、それは自分の頭の中で考えられたこと。

自分の経験を踏まえてこうするのはどうかと思った、とか。

リアクションよりももっと奥入って頭を使っている。

 

私が違和感を持ち始めているのはリアクションをしているだけのもの。

何が嫌だとか、これはよくないとか。

その先がなくて、リアクションをして終わるので動向に続きがない。

ぼやいているだけ、というようなもの。

 

養老先生が言っていた言葉で

「運動というのは入り口(インプット)があって

その先に出口(アウトプット)があってその輪で運動は成り立つ」

というものがあって。どちらか片方だけでは人の活動(運動)とはいえないと。

ここのアウトプットっていうのはリアクションのことではないと思う。

インプットを噛み砕いた自分の意見だったり

インプットを経て実際にアクションしたことだったりではないかと私は考える。

 

あえてこのブログで「ネガティブ」と名指ししているのは

ネガティブな言葉や想いというものの影響力は強いから。

ネガティブなものってすごく中毒性がある。そこに浸りたくなる。

だからマスコミや広告は脅迫まがいなことをいったり

ネガティブな情報を伝えるものが多い。

YouTubeも「そんな無駄毛があったらモテないよ?」とかの広告をよく見かける。

 

ネガティブは人を惹きつける力がある。

そういう力があると意識していないと簡単にそこに流されてしまう。

ネガティブなレンズをつけると人はだんだん意地悪になってくるので

(否定的に人を見るようになってくる)気をつけていたいことだと思っている。

 

ポジティブなリアクションというのはただのアホというか(褒め言葉)

「これたのしかったー!」とか、「へー!すごいねー!」とかってのは

先がないのでアホなのだけど、人に与えるマイナスの影響力は少ない。

同じアホなのだとしたらポジティブなアホを選びつつ

ネガティブなことに関しては自分の意見でもって話ができたり

何かアクションを自分で起こせたり

そんなのが健全でバランスが良いかなと考えたりしている。

 

もう少し続くけど

私の大学の本にこう書いてあった。

「若い魚は川の流れに逆らうが、死んだ魚は川の流れに逆らわず流される。

若い人でも死んだ魚はいるし、年老いた人でも若い魚はいる」

というような内容だった。

思うにネガティブに侵されてリアクションをしているだけの場合は

この死んだ魚の部類に入ってしまうのではないか。

大学での教えをわりと大切にしている私にとっては気をつけていたいこと。

 

私がこうなってきている影響は

ネガティブなリアクションをしない人といることと

ほかには

現実に向かって日々地味に歩いていること(これがしんどいことではある)

いやでも現実と向き合わざるを得ないので

リアクションだけのやりとりに中身がないように感じられてくる。

リアクションというのは傍観者だからだ。

ワイドショーをみて「いやねえ」と言ってるのと同じで。

でも人生は「いやねえ」と何かに言ってるだけではちょっと寂しい。

オードリータンさんの言った、この世界に観客席などないという言葉は

グッときた。傍観ではいけない、自分が入っていかなければ。

お前も俺も当事者だ、そう思える日常にしていきたい。

 

そのためにも行動していくしかないのである。

そんなに大そう立派なことじゃないのだが

ひとりの人間として与えられた命を使い切っていくためには

あまりぼやぼやしているだけでは命に申し訳がないと私は感じるのである。

精度は求めずにつたなくてもいいので

自分の体と頭を使って体験を自分にさせてやりたいなと

最近は考えている。

 

録音しますか!!!!!