タイトルは2021年5月にお届けする手紙の一節。
楽曲の歌詞と詩は反転した意味合いを書いた。
「言葉などない世界ならあの人は傷付かずにすんだ」
というイメージが浮かぶ時に
「言葉を話せないことで辛い思いをする」
という反対のイメージが浮かんだ。
「もっと金があったら良かった」
と思う時には
「金があったからこそ生まれた悲劇」
も同時に思ってみる。
「ジャータカ」というお経に書かれているエピソードがある。
ある4人兄弟がキンスカの木を見にいく話だ。
キンスカの木を知らない4人はそれぞれの季節にキンスカの木を見にいくこととなる。
ある者は緑の生い茂ったキンスカの木、ある者は枯れたキンスカの木。
そして4人が集まってキンスカの木についての感想を言い合うのだけれど
どれも感想が噛み合わず、自分の見たものが正しいんだ
お前が言ってるのは間違いだと言い争いになる。
結局、皆が見たキンスカの木は全てが本当のキンスカの姿で
状況や角度によって見えるものは変わる
自分の見たものだけを真実だと思い込むのは愚か者である、という教えだった。
あいつが羨ましいとかあいつはひどいやつだと思うことも
それは自分の目線から見た感想であって
そうではない見方もあるかもしれない、と自問することができる。
これは希望のある話に私には感じた。
自分には見えない角度がある、自分には知らない捉え方がある。
それはどんなに悲観的な状況にあっても
これは悲しいどうしようもないと自分が捉えているだけで
主観の思い込みから抜け出せれば
光の出口が見つかる場合があるという
可能性という希望のある話に思った。
そういう物事の二面性について
今回の手紙では作品にしたためた。
そして物語にのめり込みすぎないように
そんなちょっとした遊びもいれてみた。
気づくだろうか、気づいてもらえたら嬉しい。
お届けをお楽しみにしていてください!