たまに聞いているちきりんさんのvoicy
今回は映画館の価値の変遷というものだった。
映画に求められる価値が変わっているというもの。
昔は映画でしか見れない役者や大画面を体感できること
その後で銀幕スターがテレビに出演するようになってから
一家に一台テレビがあるようになってから
映画に求められる価値は少しずつ時代と共に変わり
映画は子供の夏休みやデートなどのイベントとして使われるようになった。
イベントとしての価値は下がってはいないが
今プライムビデオやネットフリックスがあることで
映画は家でもみられるものになった。
そこで今の映画に求められている価値とはなんなのか・・
ちきりんさんの答えはvoicyにて・・(回し者のよう)
ちきりんさんの答えをみて「たしかにねえええ」と思った。
その答えと共感できるところがあり
最近、私は久しぶりに泉鏡花の小説を寝る前に小一時間ほど読んでいて
買ったはいいが読み進められてなかったものを
再挑戦とばかりに再び手にとったのだ。
これがやはりすごく難しい。
三島由紀夫の豊饒の海の天人五衰も同じような感覚になった。
自分に苦行を課しているような感じになるんだけど
寝る前にスマホから離れてこの苦行の時間を続けていると
難しいながらだんだん物語のなかに入っていき
そこには日常から離れた静けさが感じられてそれが心地良い。
映画はこの間お恥ずかしながら遅ればせながら
マッドマックス怒りのデスロードをみた時に
「これをなんで映画館で見なかったんだああああああ!!!!!」と
猛烈に後悔した。
大画面で堪能したい映像というのは映画館ならではの価値がある。
ベイビードライバーもそのうちのひとつ。ゴジラもね!
あとはデートとしての映画も変わらずの価値。
ひとりや友達と行く時は作品が面白そうだから行こうとなるけど
好きな人や気になる人と行くときは
作品よりも一緒にその空間を共有できることの中に価値を見つける。
(しかし記憶力がないのでその後誰と見に行ったか覚えてなくて
気まずい思いをしたこともちらほら)
価値を見つけること。
自分という存在の価値。
これは別に外側からの称賛やビジネスのためでなくても
個として表現することが良くも悪くも押し出されるこの先の時代にあって
自分という存在の価値を俯瞰して認識することは
それを使って自分の得意で仕事をしていくことへのヒントになるかもしれない。
わたしに価値なんてない!と思うのならば
自分の嫌なところや短所を次々に書き出していけば
それをひっくり返すと長所になる。
「飽き性」ならば「柔軟性がある」とか
「頑固」ならば「忍耐力がある」とか
なんでも反対にしてみると面白いものが見つかるかもしれない。