こんな世界なら生まれたくなかった

ないも同然のような問題

そこに人が関わる以上は日の光を当てたい。

それがパンドラの箱だとしても。

そこに押し込められて苦しむ人がいる限りは。

 

社会に蔓延る問題に絶句するとともに

知ってしまった以上は保身に走ることはできない。

自分のすることが報われないことだとわかっていても

何をしても絶望が待つとわかっていても

それをせずにはいられない。心が動く限りは。

 

知らなければ無関係な立場でい続けられる。

防音で守られているが外の世界は阿鼻叫喚とするなら

それに心を鈍らせて生きることは

本当に生きていることだと言えるのだろうか。

 

思い込みのない曇りのない目で見つめようとする。

起きている出来事を調べる。問題を書き出す。

何がそうさせたのか。

そのどこに希望はあると私は見出すか。

問題から目を背けたくはないけれど

かといって諦めるだけの歌はうたいたくない。

絶望を突きつけるだけでは意味がない。

 

日本の音楽では語られづらいことも

黙っていたくはない。

その中に人の語られない言葉があるとするのなら

積極的にそれを開示して日の光に当てたい。

 

「こんな世界なら生まれたくなかった」

そう思う人がひとりでもいなくなってほしい。

色々なことがあっても悪くない人生だったと

思えるような人生を歩める人が増えてほしい。

これは私の欲張りな心からなるものだが

メッセージを歌に入れる以上は

これを言わずに死ねないという想いを

この先はのせていきたい。

 

これを歌うために生まれてきたのだと

思える歌をこの先は形にしていく。