無理して萎える人と会うくらいなら鎖国。

コロナで人と会わなくなってからたまに人と会うと

「なんでもええのんやで、なんでもええのんやで」と微笑で言えるくらい

菩薩になっていたのだけど(普段人に会わないのでなんでも愛おしく感じる)

ここ最近人と会う機会が増えてからというものの

「なんでもいいわけねえだろがあああ!!!!」と

私の中の不動明王にとってかわった。

 

人に会ってない間でだいぶ自分の感覚が研ぎ澄まされたようだ。

自分の気持ちに嘘をさらにつけなくなったというか。

人といる最中に「なにこれつまらん」と思ったりする。

前から思ってたけど前以上に。

その時間をどうにか楽しくしようと試みても難しかった。

 

その逆に。

最近久しぶりに会った人と細々連絡をとっている。

その人と会った後に私は自分の今後したいことが次々浮かんできて

帰りの電車の中でノートに猛烈に書き綴った。

「なにこれつまらん」の真逆。

 

自分はどういう人と一緒にいることを望むのか。

あなたにとってはどんな人だろうか。

 

私の場合は

私が尊敬できる人と一緒にいたいのだなと気がついた。

私が尊敬する人は

リスクを背負ってでも新しいことに挑戦しようとする人

それが自分のためで終わらず仲間や社会のためにも繋がっている(ここ超大事)

そのことに好奇心をもって生きている人。

 

きっと私がそういう部分をもっているからこそ

私よりも先に行っている人をみるとすごく刺激を受けるのだろう。

だから会ったあとに自分のアイディアがぽんぽん出たのだろう。

 

すごいなあ、いいなあと思う人といる

そのことで自分がどんどん刺激を受けて走っていく

そうすると自分も成長していくし

相手もどんどん成長していっている姿にまた刺激を受けて・・・

の繰り返し。

こういう関係性に囲まれて仕事も生活もしていきたいんだ!

とそう強く感じた。

 

相性ってあるんだなあって底から思った。

つまらんって思う時って、相手と私の話や波長が合わない。

「つまらん」とも「すごい!」とも思わない中間層は

盛り上がるときもあるけど、やる気がわくこともない。

すごいな!面白い!と思う人と話すと

共感と勉強の嵐で、波長がぴったり合ってる感覚がする。

そうなのそうなの!!!そうなんだよおお!!と連呼したくなる。

 

そういう人は1人くらいしかいない。

でもいない理由もわかっている。それは旗をあげていないからだ。

私はこういうのが好きです!私ってこうなんです!という旗。

旗をあげないとよくわからないからよくわからない人が近づく。

自分も相手がよくわからないからよくわからない感じで波長を合わせようとする。

それでは自分がびびび(古い)とくる人と会えるのは奇跡に近くなる。

探り探り、適度な感じの間合いで

なんてこともない会話を交わして終わることになる。

「そんなんじゃつまらねえだろがああああ!!!」と

私の中の不動明王が叫ぶ。

 

あなたの旗を思い切り掲げてくれ。

みんなによく見えるように。

私の旗をあげていこう。

「スパイス」という旗をな(そこはちょっと違う)

 

落ち込んでからがスタート。

 

誰とも会いたくない

誰とも話したくない

何もしたくない

何がしたいかもわからなくなった

そんな気持ちに数日なった。

 

週1のシ組ラジオも録れるだろうか…と悩むほど

ここまでの精神状況になるのは珍しいので

徹底して何もしないことにして

夜ご飯を作ること以外はやりたいと思えることだけやった。

 

ちなみにちゃんと栄養をとっていたからか

メンタルがこんなに落ちているのに

すこぶる体調が良かった。。。

 

落ち込んでいる時にみたRIZIN。

大きな挫折をしたあとは誰でも心が折れる。

でも少したてばいつもの正気な自分に戻る。

自分と重なる所があって心がいっぱいになった。

 

そして落ちるだけ落ちたら

また始めよう、そういう気持ちになった。

そういう気持ちになれるためにも落ちるだけ落ちる。

あがかない、もがかない。無理に元気出さない。

 

生きてりゃいろんな気持ちになるわな。

心が動いてる証。

ひとしきり休んだら

自分が幸せにしてあげられる方へ向かっていこう。

という感じで色々な作業を本日はせっせことこなしながらも

無理せずな気配りも自分にしてあげて動いた。

 

人生楽ありゃ苦もあるさってか!

過去は過去だ。もう過ぎた。

心が息を吹き返したら

あとは今からできることをするのみ。

 

 

愛されたかった もっと

今月の手紙はホラーです!え!ホラー!?

ホラーとも捉えられるし、愛とも捉えられる。

それは読み手に委ねられることでしょう。

ちなみに、実際にあった話です。

 

曲の作り方の角度が変わってからというものの

こういうまさか私がホラー!?みたいな物書きも

するようになりました。

一年前の私がみたら驚くことでしょう。

作曲の幅が広がり楽しんで六月の作品は書くことができました。

 

曲についてです。

今回も詩と曲の作詞は密接に連動しています。

実はこの曲一箇所歪んでるんですよね。

こういうのは絶対に綺麗に直してー!という場面で

十中八九歪まないようにする部分なのですが

声が歪んでしまっている部分と

その部分の歌詞で伝えたい想いがマッチしていると感じたので

あえて残すことにしました。

 

歪みというのは本来汚い、聞きづらいものとして

削除される部分なのですが

汚い、聞きづらいものを全て削除していったら

どういうことになるでしょう。

私はそれはそれであまりよくない意味で気味の悪さを感じて

違和感に思います。

それもそれで時と場合によりますが。

 

悲痛な叫び、無念、悲しみ、後悔。

そういうものを全て無くしてしまっては

全て綺麗な微笑しかない世界のようなものでしょうか。

 

この曲は前半は綺麗に歌っているんです。

それは自分の想いを綺麗に置くように伝えたいと言う想いから。

あなたにとって愛のある人でありたいという想いから。

でもひび割れた花瓶から少しずつ水が漏れていくように

本当の想いというのが吐露される瞬間というのは

やはり少し歪で、微笑のような静かな美しさえではない

しかしその歪さの中にもその人の本当の想いという美しさがある

と私は感じるんです。

そういう感情の移り変わりと歪みも

この曲の楽しみのひとつとして聴いていただきたいなと思います。

 

六月のお手紙をお楽しみに!