この世生きづらっ!

最近、外食が体に合わなくなった。

原因は油っぽいんだけど

外食中、食べてる最中に

もうお腹が痛くなることが数回続いたことで

合ってないことが判明。

チェーン店の安い油が合わなくなったようで

家でココナッツオイルとDHAばかりとってる

意識高い系生活を送ってたせいでか!!!!ぐぬぬッッ!と

いんだかわるいんだか微妙な気持ちになった。

 

意外に思われるんだけど私チェーン店大好き人間だったので

そこで食べられるものが限られるとなるとつらみ。

そして毎回お腹を下したあとに

息苦しくなって貧血っぽくなるのが疑問だったのだけど

それは迷走神経反射といわれるやつだと今日判明。

私は電車で立つ時間が長いと空調が弱いとすぐ貧血っぽくなるので

立ってるのが怖かったり(図書館もしかりたまに美容室でも)

それらも似た原因らしい。

 

 

おまけに最近知ったのが

HSP診断というのは私ほぼ当てはまらなかったんだけど

(HSPとは感受性が高く敏感な気質をもった人のよう)

HSS型HSPという存在を知って

これがほぼ俺やん!てくらい当てはまった。

それというのは「外部からの刺激に弱いくせに

刺激を求めてやまない人」らしく。

外交的なんだけど繊細で疲れやすい、

疲れやすいのに刺激を求めずにいられないという矛盾。

なのでHSPより生き辛いとも言われていた。

 

振り返ってみると確かに・・。

人と会ってる時に最初楽しかったのに

いきなりめんどくさくなって帰りたくなったり

人が大好きなのに全く人に会いたくないめんどくさい期間があったり

小さな言動に引っかかってそれにずっと気がいきがちだったり。

実家にいるときはほぼ毎日誰かと会う予定で埋め尽くしてたけど

会わない時に病気じゃないのに体が重くて横になることが多かったり。

ひとりの時に体が動かないのがずっと謎だったんだけど

キャパオーバーで心身が限界だったのに刺激が欲しい!で

体が振り回されてたんだな、、と。

いやぁ生き辛いぜや・・。

 

 

そういう傾向にある人におすすめの働き方は

個人事業主らしく

それは人から決められたことをやるよりも

自分で働く時間休む時間を決めることができるからだそうで

それも納得した。

(でも現実的なこというともし病気で入院したら

保障のない生活だから大変だけどな!ってとこもあるにはある)

 

 

コロナで外に出ずに自分と向き合う時間が増えたことで

絵を描いたりカレー作ったり植物育てたり

自分が好きだなと思うものを見つけてやってみて

そうやって音楽を作りながら生活を積み上げていって

音楽に対してもだいぶ俯瞰的に考えられるようになった。

これがわりと本来の自分のペースなのかもなと感じ始めている。

 

昔のように焦ったり「まだまだ足りない!腹筋200回!」と

自分を追い立てることも減ってきて

自分の等身大に近づいた生活ができてる気がする。

 

とはいえ自分の特徴を知ると

外に出たい!動きたい!遊びたい!のに疲れやすいとか

外食大好き!なのに体が受けつけなくなっちゃうとか

矛盾してて厄介だなーめんどくさ!!!と思う。

いまだに疲れてるのに

「やだやだもっとやりたいやりたい休みたくない!」と

思う自分もいて振り回されることもわりと多い。

 

でもそういう自分の特徴があるとわかれば

それを前提でスケジュールを立てたり

ちょっと疲れても昔だったら「こんなんでなんで疲れるかね君!?」と

自分にイラッとしてたんだけど

それが「はいはいーわかりましたよお」と受け止められるようになる。

 

突発性難聴になって疲れた時に耳がわんわんするのでも思ったけど

これが自分の体の特性で。

一生この体と生きていくしかないから

それならこの体が少しでも生きやすくなる

取扱説明書がわかるにこしたことはないので

色々自分のぽんこつなところも受け止めて生きていってあげたいなと感じた。

 

あなたは自分の取説どれくらい把握してるでしょか。

自分を理解してあげるって大事だなと最近感じております。

現実と感情は別。

大先輩の音楽家の方がインタビューで

「キャンセルカルチャーという、発言や行動が全てチェックされて

問題があると社会から排除されちゃう。これは抗いがたい風潮なのかな」と

仰っているのを見て。

 

それを見て共感と「ん?」と思うことがあった。

 

共感としては、ビリーアイリッシュが過去に差別発言をしていた動画が出てきて

それについてビリーは謝罪したのだけど

「ビリーをキャンセルしろ!」という発言が出てきたりして

そういうのはどうなのよって思った。

商品や企業名をキャンセルするのはまだわかるけど

ビリーは商品=アーティストになってしまうから仕方ないけど

それでも個人名でキャンセルしろっていうのは

私には相容れない言葉だった。

 

過去の発言は消すことができないし

過去をほじくったら謝罪しなくてすむ人はほぼいないと思う。

それでも槍玉にあがったらちゃんと謝罪する必要はある。

だからといって周りがそこまでその人を叩けるか?というと

私は叩けない。

 

共感ができなかった点は

「キャンセルカルチャー=気に入らないのは社会からの排除」

だけだと説明が足りないんじゃないかなと感じた。

 

物事が注目されるのには訳がちゃんとあって。

キャンセルカルチャーの場合は

「今まで企業が倫理的・人道的に「それどうなの?」っていう事をしてても

消費者である自分たちは何もしなかった。

これからは自分たちひとりひとりの消費者が

問題のある商品を買わないことで声をあげよう。

責任の一旦を担ってるのは自分たちでもあるのだから」

というのが成り立ちだと私は思っている。

 

まぁその「問題のある」という部分が

問題があると思う人とないと思う人とで

イデオロギーが違ったりするからスムーズには話が進まないのだけど。

 

でもその成り立ち自体は、私は必要なことだと思う。

大企業がやばいことしてても、私は知りませんし関係ないです。

だけど買いますけどね。でも私は悪くないです。

という姿勢を正そうというのは、共感する。

(ただ共感しつつも・・

そんな事言ったら買える商品めちゃくちゃ限られそうな気がする

っていうところもあったり・・アマ●ンとかも頼めない。。)

 

問題なのはその中で過激な言動にでる人たち。

人格否定したり。

キャンセルカルチャーという文化が出来上がった理由と

過激な言動の人たちが起こす問題とをごっちゃにはせず

分けて考えた方がいい。

 

ある中学の中ですごい不良が3人いただけで

あの学校は素行がなっておらん!と言いたくなるのは

昔からあるあるなことなのだけど

冷静に見れば、いやそんなことないでしょってのがわかるはず。

昔から少数の悪が目立ってしまうってのはあるけれども

目立つことと、現実的な事実とは分けた方がよくて。

 

なので自分の感情と現実は分けて考える癖をつけた方がいいなと

私は常々思っております。

これはすごい難しくて私もいまだにごっちゃにしちゃう時はあるけど。

昨日もあったし。

でも自分が抱いた感想や感情と現実は違うものなのだということを

理解できるだけでだいぶ変わるし

その方が心に平安が訪れる場合も増えるので

おすすめなのであります。