生活習慣を変えてから2日分のことを1日でやってるくらい濃度が高いので
まだ9月13日なのかと驚く。
体感では下旬くらい動いてる感じがする。
庵野さんのドキュメンタリーを前に見たときに
スタッフの方達が苦労して作り上げたのを見て
「これではだめだということがわかりました」
というようなことを言ってボツにするシーンがあった。
私はそれを見て「庵野さんまわりで働く人大変だな・・」と思ったのだけど
その庵野さんの言ってたことがすごくよくわかるようになった。
むろん庵野さんレベルなどとは全く全く思っていないのだけど
その言葉の感覚が納得した、ということ。
最近は自分が書き物をしているときに
書きながらすでに修正点や甘さが見えている感じがする。
それはネガティブな意味ではなく
自分の甘さがみえる=成長点がわかるという点においては
むしろポジティブだなと。
今まではそういうのをどこかで面倒臭いと思う自分がいた。
直すとか考えなきゃとかブラッシュアップするとかが。
でもそれが今では当然のこととして思うようになった。
自分が書いたものを翌日見直して
「これではだめだな。ということがわかったのでよかった」
と思うようになった。
それを数日やっていくと
「だんだんよくなってきたぞ。ではこうしたらもっとよくなるかな?」
と進んでいく。
修正がめんどくさい私からするとすごい成長した感ある。
昔はしょへに指摘されると
ブーブーと思ったりやる気をなくしたりしてた。
それが今では当然のことでむしろ歓迎すべきことに変わった。
なぜなら自分の視点だけでは足りない部分が確実に出てくるから。
それを指摘して改善してくれる存在がいることは
それはそれはありがたいことなのだ。
そんな事を思うようになった9月だけど
ここにきてまだ私は自分で面倒事を無意識に避けている所があると知った。
「なんかこれちがうんだよな」
「これじゃない気がするけどかといって何か見つからないんだよな」
私がこう感じる時は必ず無意識の逃げが存在している。
だんだんわかってきた。
自分が必要だと思ってやってることが実は
本当に必要なことを見ないようにするための執着だったり。
そういうトラップが自分の中にある。
これが俺や!と思ってた自分がトラップだったり。
特に不安や焦りからした選択は
「これが俺のやりたいことだったんや!」と思っても
大体それはトラップ。
不安や焦りが出発点になってる時点で
正気の選択ができていないから。
そこでした選択は大体あとから修正がかかる。
まぁそういう遠回りも人生のうち、と捉えることもできるけど
何回その道たどってんねん、という所も正直ある。
そうやって自分が陥りやすいトラップというのを
見つけていく。
一個ずつ回収していく感じ。
こんなに自分を分析して知るのが好きな私でさえ
トラップを掴んでしまうことは多い。
でも自分がどの分野で何をしていきたいのか
それを遂行するために冷静に理性的に行動を重ねて行くと
自分が今までどれだけ感情で選択、行動していたかがわかる。
感情での選択なので自分が心の底の方で
「これはめんどうだな」「これはちょっとあとにしたいな」
と思うことは自然と避けてしまうのだ。
私がそこから正気になっていくことができたのは
耳の痛いことでも正直に伝えてくれるしょへの存在があったからだと思う。
家族や友達や恋人や同僚など誰でもいいけれど
自分にとって痛いけど本当のことを言ってくれる存在は排除しないほうがいい。
(これはただ嫌なことを言う存在とは全く別の存在。
なぜかというと相手はこれを言うと嫌われるかもしれないし
喧嘩になって自分が嫌な思いをするかもしれないという可能性をもったうえで
相手に必要だからと言ってくれる存在だから)
それは確かに言われたときは居心地がよくないし傷つくんだけど
見過ごして見ないふりしてるとものすごく遠回りになるようなことを
自分が見過ごさないで見つめる機会を作ってくれることによって
本来行くべき道を進むことができる。
なのでめちゃくちゃ感謝なのであります。
そういう存在と腹を割って会話を交わすことや
それと同時に
目的地に向かうために自分が自分のリーダーとして引っ張ってくこと。
むろんその道のりの間には疲れたり体調崩したり腐る日はあるけど
そんなのは雨の日がたまにあるのと変わらないのでそこまで重大なことではない。
恐れや不安からではなく
自分が本来望むものとはなんなのか
そのために自分が見ないようにしてたことはなんなのか。
その「見ないようにしてきたこと」のひとつを今日自分で知ることができた。
これはめちゃくちゃに大きな気づきだった。
9月早起きしたりプレッシャーがあったりしたけど
そこに真正面に向き合っただけあって収穫は大きいものになった。
けどこれはまだ序の口なのでまだまだ準備がちょっと整ったかな
くらいにしか思えないけど。
やっていくのはこれから。
俺ちゃんはまだまだ課題は多いんだ。
だがまだまだということは、まだまだやれることがあるということだ。