僕は綺麗ではない。

僕は綺麗ではない。

どちらかというと僕は純粋だ。

けれど純粋というのは残虐で

微笑ましく眺められるようなものではない。

人間は自然を愛する存在だとしているけれど

自然というのは無条件に人をいきなり殺しておいて

なんとも感じていないように

純粋性はそれに近い。

純粋と狂気は常に表裏一体だ。

 

結局あのあとで僕は川に入っていった

去年のあの日

僕らが川に入って触れ合えても

行き場がなく溺れてしまうという話をした

不毛な結末なのだという話をした

しかしその通りにはならなかった

何人かの涙と傷とを引き換えにして

僕は道を作った

僕らが溺れないための道を選んだ

そして僕ら以外の人間を傷つけて

裏切って道を作った

それは酔いしれることでもなく

犠牲者でもなく

間違いなく自分が加害者であった

 

僕はいつから加害者なのだろう

人を傷つけることが罪になるとするなら

何回の罪を犯してきたのだろう

両手じゃきかない

自分のしてきた事の愚かさをたどるほどに

自分を嫌いになる?

いや、自分を責める事で許されるという気持ちにはなりたくなく

間違いを犯したのだから謝るという一連の行動が

それをすれば許されるのだろうと思うと

責めるという事もしたくない

ただその愚かさを目の前に突きつけているだけ

そこで自分を責めるでも擁護するでもなく

ただ自分の卑しさや醜さを感じ続けること

傷つけてしまった人間に謝ることなど以ての外である

許されたいと願うことが醜い

相手を傷つけてその衝撃で自分が負った傷というのは

許されなくてよいのである

一生その情けなさと醜さを引き摺り回すしかない

その事で誰かから虐げられる事も責められる事もない

自分の犯した罪は自分で引きずり回しながら感じ続ける

その痛みは誰のせいでもなく

仕方がなかったのでもなく

それで悲しむ事も感傷に浸ることもしない

誰かを幸せにしたとしても消えるものではない

自分がした事は自分が一番覚えている

都合の悪いことを忘れてはならない

それを感じることさえ

気づくことさえできずにいられるのは

子供の純粋性だけだ

だから間違いなく僕は綺麗ではない。