過去への苛立ち。

十月二十二日。晴れ。

先月したカット後の写真みたが

髪伸びるの早い。

一ヶ月くらいなのに

もう現在はアゴより下まで伸びている。

本日は

前回録った音の上に

歌詞が付けられた部分の歌どりをしようと

思っていたら

前回録った音が保存されていなくて

発狂するくらいあの日の自分にむかついた。

なんでちゃんと保存しなかったんだー!

そのため最初のギター録りからやり直し。

前回やっただけあって

幾分か早く終わったけれど。

こういうことは以後ないように

気をつけてほしいものだ。

戦う君

十月二十一日。快晴。

今日という一日は終わらないのではないか

と思うくらい長い日だった。

思考を使い果たした。

自分の見ている心の中の景色が変わっていく。

最近そんな不思議な感覚になっている。

身をまかせるより他ない。

疲れ果て川口駅を降りた時にこの広告があって

テンションがあがった。

名作!!!

天は我々を見放した!!!!

豪華な出演者。

高倉健さんが

あれは仕事を越えていたというくらい

過酷な現場だった映画。

映画の内容も過酷。

3時間近い上映時間だけど

あっという間だった。

もう一度見たくなってきたなぁ。

現実を見よ。

十月二十日。曇。

日記を途中まで書いて更新してた気になっていた。

目を背けず。最近の意識。

自分の苦しい部分に触れることが

自分を一番開かせることに繋がる。

その点においては

楽な生き方は逆に自分自身を苦しめることに繋がる。

乗り越えることを拒否しているからだ。

目を開ければ

怖いと思っていたことが

実は自分にとってなんの害もないということがわかる。

それは自分を襲うこともしない。

それは自分を傷つけることもしない。

妄想と思い込み。

心の中の世界が現実の世界でもある。

見たいように世界を見ている。

それがたとえ絶望的な世界に見えていたとしても。

そう見たい理由が自分の中にある。

君ならどんな世界を見たい。

潜り抜ける。

十月十九日。曇雨。

魔界だった。

しょっぱなからトラブルがあったけれど

それで皆が引き締まった。

人生にトラブルはつきものだな。

その予測していない事態が起きた時に

どういう対応をするかで

その人が問われるような気がする。

マニュアル通り、台本通りなら

簡単だもんな。

結果がどうなるかはわからないけど

今出来ることをやりきる。

人生はその今の繰り返し。

みんなが主人公。

出演者も、スタッフさんも、お客さんも。

みんなが大事だよ。

君は体の悲鳴を聞いたことがあるか。

十月十八日。曇。

明日は魔界。

ようやくひとつの制作がひと段落した感。

作曲中、歌入れ中に食べるご飯て

ガソリン補給みたいにがつがつがつ!ってして

すぐ終わる感じになる。

味わってるけれど。

あと今日は

「すごい疲労が軽くなる強い運動!」

ってやつをパソコンで見つけて

面白そうじゃん!と思って

準備運動もしないでそれを行なったら

それが死因で終わるんじゃないかと思うくらい

心臓がはち切れそうな音をあげた。

「ん…まぁ、、たしかに、、捉えようによっては、、

なんというか…死んだら疲労もね、、なくなるし、、

捉え方の。。問題かー(昇天)」

あの心拍数は悲鳴だったよ。すまん心臓。

体「え、、え、てか今なにしたの?」

という驚きと戸惑いの声が体から聞こえてくるようだったよ。

私のような体が最初からしてもいい

運動ではなかったようだ。

大人しく階段の上り下りをしていよう。

あなたのようなわたし

わたしの知らない時に

どこかで産まれたあなた

あなたの知らない時に

どこかで産まれたわたし

 

ひとつの街の中で出会って

そこからは何をしているか

何が好きなのか

ひとつひとつ伝えあって

ひとつひとつの場所に行って

同じ景色を見ることが

出会うまでの時間を埋めるみたいで

なんだか優しい

 

どこの町からきた鳥

青い空に馴染めずに

孤独が君の輪郭を際立たせる

 

どこかで見たような景色

どこかで聴いたような音

どこかで嗅いだような香り

前から知っていたような物語

 

小さい部屋で

わたしたちは抱きしめあう

なにかを話してもいいし

なにも話さなくてもいい

そんな時間がわたしたちみたい

 

どこかで見たような後ろ姿

どこかで聞いたような笑い声

あなたを忘れる日はない

 

あなたのような空

あなたのような夜

あなたのようなわたし

わたしのようなあなた

山越え

十月十七日。晴曇。

帰宅したのが十時頃だったように思う。

体力的にも疲れているうえに

口論も非常に体力がいるので

へろへろもへろへろだったため

数時間仮眠。

戦いの後のようだ。

おもちゃ箱みたいな内容の夢を見た。

そのあと食事しにいって

帰宅して今日は一日休もうと思い

ベッドに入ってまるちゃんを流して無心。

少し復活。

トラブルが起きると

自分の反省点とか未熟さがよく見えてくる。

そういう点では何も起きないよりか良いのかもしれない。

改善点がわかりやすく浮き彫りにされるために。

公私共に

生きてくうえでは人と関わらなきゃいけないから

なるべく近くにいる人たちとは

いろんなことがあっても

乗り越えていきたいと思える限りは

乗り越える努力をしていきたい。

と最近の自分を反省。

改善改善!

しかし本日は歌うのお休みしてゆっくりする。

シギは激怒した。

十月十六日。曇。

明け方のメロスの件は

大まではいかなかったけれど

おこメロスくらいであった。

腹をわってわかりあえることもあれば

腹をわってだめになることもある。

でも腹をわらずにだめになるよりは

よっぽど良いのだろう。

 

生まれては消えていく。

十月十五日。曇。

大事な物語を二つ読み終える。

私の中で解釈されたような詩が一つ出てきた。

不思議なことである。

それまでは空虚な頭だったはずが

一行が出てきたら

するすると言葉の続きが出てくる。

まるで連れて行ってくれるかのように。

影響を受けるというのは

その人の血筋が一つ自分に組み込まれる

ということなのかもしれない。

色々な事を考えていても

最近私の中にある空間はとても静かだ。

答えを探そうとしていたけれど

重要なのは問いにあるようだ。

僕の苦しみさえ愛するもの

ものをつくる

あのひとは

小さくて静かな湖のように

澄んでいて

自分の不安に

注意深く耳を傾けている

自分の傷から

何かを感じようとしている

 

救いがないということが

唯一の救いになることもあると

あの人は言っていた