五月三十日。晴れ
とても気持ちの良い気候。
少し疲れ気味。
東京駅まで用事があり母と集合。
ランチをして最近の出来事などを話す。
駅の近くにあるお店で芋羊羹と崎陽軒の焼売を買ってもらう。
この入れ物が好きだなぁ。
各方面で用事が二転三転して
なんだか目がまわるような感じがするけれど
まぁなんとかなるだろと放置。
自分でどうにもならないものはどうにもしない。
五月三十一日。曇り
体がだるかったので求めるままに寝たら13時過ぎ。
復活したので部屋の掃除をした。
洗面所やキッチンなども全体的に掃除できたので満足。
金魚の掃除もして亀の掃除もしてベランダへお引越し。
すっきりしたので作詞。
掃除の後とは思えないほどヘビーな歌詞を書く。
その後夜ご飯の食材を買い出しに行き料理。
ご飯が炊けるまでの間に動画編集をし、夜ご飯。
なんて完璧な進行だろう。素晴らしい。
わりとひとりで家事などしてる時って
私は自分を絶賛しながら行っているので
楽しいのかもしれない。おすすめである。
ベッドやめるちを隣の部屋に移動し
作業部屋がかなり片付いたので今後の作業はそこで行う。
これから作曲の続き。一息ついたらトイレ掃除でもしようかな。
ひとりで思う存分行動できた一日になった。満足。
五月が終わる。ぎゃー!締め切りがー!
五月二十九日。曇り
今日は大切な人たちに会いに群馬まで行った。
群馬といえば林間学校でみなかみに行ったくらいしか
記憶がないのだけれど
高速に乗り二回SAに寄れて満足。
本当は群馬にある日本茶の喫茶店に行きたかったのだけど
時間の都合で次回になった。
けれど家の近くにお墓があるスタイルが結構見れたので満足。
素敵な方達と、素敵な話をたくさん聞けて
あっという間に時間が過ぎた。
人はひとりで生きて死んでいくけれど
本当にひとりだったら人間は一代で終了している。
血でも思想でも物でも
人の想いが受け継がれて年月がたったものの話は
いつも私の心を豊かに新鮮な気持ちにさせてくれる。
登戸で起きた事件に言葉を失う。
犯人がなぜ事件を犯したのか
人となりなども出ていないからわからない。
今までも繰り返されてきて
これからもきっと繰り返されるだろう事件。
これをきっかけに模倣をする人も現れるかもしれない。
この犯人が社会的な恨みからの行動なのか
意図的な行動なのかはわからないけれど
秋葉原の無差別殺傷事件など
社会から冷たくされ無視されてきた人の虚しさや孤独は
やはり最後は怒りとなる。
どうしてもそういう人たちを自己責任で突き放すことができない。
私の「僕は寂しかった」の CDのタイトルは
そのような意味合いが入っている。
悲しみや寂しさが人を怒りに向かわせる。
無論、怒りは強いエネルギーであり
使いようによってはそれが誰かや何かのためになったりもする。
しかしこういう場合の怒りのエネルギーは
なるべく鎮火させたい。誰も救われない。
事件を起こす人たちの中で異常な人は少ないように思う。
ほんの少しのきっかけで、少しのボタンの掛け違いで。
心の暗がりが爆発を起こす。
ホームで財布を落とした時に「あ、もう死のう」と思った人がいるように。
私もあなたもいつ誰が転ぶかわからない。
怒りによる悲劇をなくしたいのなら
「知らない」「わからない」「関係ない」ではなく
社会に生きるひとりとして
なぜその人がそういう行動をしたのかを考えたい。
そして辛いのは亡くなられた人だけではなく
その周りに関係する様々な人たちの全てが悲しみにくれる。
関係のない私でさえも悲しみにくれるのだから
近しい人は如何程の痛みに襲われているのだろうか。
その人たちの心を想像すると言葉には表せない。
どこにも救いようがない出来事から
自分にできること、自分で考えられることを探している。
五月二十七日。晴れ
川越に買い物をしに行った。
携帯からアップなので写真がでかいかも。
大事な人に渡すお土産を買いに。
前にシ組の撮影した時にも寄った
天明三年創業という老舗中の老舗。
お茶屋さんにも寄って狭山茶を購入。
私の分も。茶葉入れも買っちゃった。
二階が喫茶店だったので抹茶を飲む。
最中の甘みと抹茶の苦味が美味しい。
お上品でした。
私が使ってるはつかり醤油も川越のものなので
寄って小さな醤油を買った。
歩きながらここ最近ずっと頭にあった
歌詞のことについてだいぶわかってきた。
自分を知るというのは結構大変な事だ。
でもこれが自覚的にわかるようになると
魔法の鍵を手に入れたように
そこへの扉が意識的に開けられるようになる。
今までは感覚、手探りだったことが
意識的に筆をとるようになれる。
かなりすっきりできた。着実に進んでるぜや!
五月二十六日。晴れ
夏先取りの暑さ。
夏好きとしてはたまらない。
この日は用事があったので
川口へ行った。
母とファミレスで楽しくお喋り。
前はそれが日常だったけれど
実家を離れると必然と数も減る。
帰り際に
「私太ったり痩せたり見た目変わってないかな?」と聞くと
「幸せそう」という答えをもらう。
想像してない答えがきたので面白かった。
想像と違う答えになるって面白い。
不意を突かれるという感じ。
でも幸せなので一番当たってる答えではある。
さすが母である。
そして実家の洗面所を使うたびに
さすが綺麗だな母!私も帰ったら掃除しよう!
という気になる。
洗面所が気持ちよさそうなんだよな。なんとなくそんな感じがする。
玉ねぎとか人参とか色々もらって帰宅する。
五月二十五日。晴れ
用事を終えた後、近くの千葉のポートタワーまで散歩。
歩きながら歌詞を書く。
人口海岸があったので近くのコンビニでパンを買って
海を見ながら昼食。
日陰で風にあたり海を見ながらご飯。
最高。
家族づれや恋人たちや上半身裸で自転車をこぐおじさんなどで
賑わっていた。
海に入ったり木陰で昼寝したり
思い思いに過ごしている様子が良かったなぁ。
近くにてんとう虫がいたので戯れた。
腕とかも歩いてきてくすぐったくてかわいかった。
帰りの乗り換え。誰もいないホームにて。
帰宅して、掃除。
必要なもの以外置かないというコンセプトの元に掃除したら
すごくすっきりした。
車で夜食の食材買い出しに行き、食事作り。
メインは生姜焼き。
副菜はきんぴらごぼうとピーマン煮。
お味噌汁はごぼう&人参にした。
とても暑くて気持ち良い一日だった。
五月二十四日。晴れ
とっても暑い一日だった。
今日は大学時代の友達とランチ。
気づいたら五時間たってた!
前回も夜ご飯食べに言って気づいたら真夜中だったからな。
めっちゃ刺激もらったなぁ。
思いもよらぬ方面で大活躍してる友達を見て
すごい嬉しくて刺激もらったし
今後のシギの活動にも良いお話を聞けた。
自分の好きなこと、自然にやれることというのは
とても伸びしろのあるものだなと思った。
楽しかったああああああああああああ!!!!
帰り道の電車でつまりにつまってた歌詞が出てきた。
自分が想像しているのとは違う言葉が出てきて驚いた。
やっぱりルーティンを崩す予定は必要だなと再確認。
良い一日だった。
五月二十三日。晴れ
作詞の一歩目で苦戦しており
SNSとブログが停滞気味なのであります。
海外でゾンビの流行がきていたのは
ゾンビ=生きながら死んでいるもの
人の形をしていて意識が朦朧としていて足取りがおぼつかず
自分では死ねない
人間(意思のある人のメタファー)をみると
無条件で殺しにかかる、食いにいく
ゾンビは「生きている人間(意思あるもの)に嫉妬している」
というものだという話を聞いてすごく面白かった。