毎日の向き合い方

五月二十日。曇り晴れ

台湾で買った火鍋の素を使って鍋をする。

めっちゃ美味しかった!

辛くて癖になる味。そうそうこれこれえええ!

二つ買ったのであと一つ。食べるの楽しみだなぁ。

昨日は牛丼買おうとしたら牛肉がすごい高かったので

お財布に優しく豚丼に変更。

ほうれん草のおひたし作ったり

茄子の生姜焼きと味噌焼きの二種類作ったり

お味噌汁作ったり細々としたものを作った。

作り置きが何種類かできると嬉しい。

食は大事です。

実家を離れて実感するのは

自分が何をするかとかの判断がとても増えたこと。

特にささやかな日常の判断。

洗濯物を干そうか

部屋の掃除をしようか、どこまでしようか

ご飯は何にしよう。残り物で何を作ろう。

そうやって自分でひとつひとつ答えを出して行く。

仏教では「毎日の小さな仕草のひとつひとつが修行」と

言っている人がいて、それにとても納得している。

この修行をめんどくさがると苦でしかないけど

目の前の小さな出来事(例えば洗顔するとか)を

どれだけ集中してやるか。

毎日の小さな出来事を丁寧に生きるということが

人生の豊かさに繋がっている、とも思える。

だってなんでもない日常が人生で一番多いんだから。

そういう意味で、日常を楽しめるということは

人生を楽しめるといっても大げさではないと思う。

私はそれを「ちゃんと生きるために」としていない。

楽しむために、満足するために、という感覚だから

疲れている時はむしろ何もしない。部屋も散らかり放題になる。

散らかすのも自分の意思だし、片付けるのも自分の意思。

思い立った時にしたらいいや、と思っている。

決めつけず、縛らず、しなやかに。