醜さを知らぬものには知らぬものの美しさがあり
醜さを知るものには知るものの美しさがある
醜さを知らぬものには知らぬものの美しさがあり
醜さを知るものには知るものの美しさがある
先日はお墓まいりに行ってきた。
黄色い葉が風がくるたんびに
さらさらと落ちていって綺麗だったな。
布巾でお地蔵さんの右頬から拭くのがいつもの決まり。
不思議と気持ち良さそうに笑ってるようにみえる。
お墓詣り。神社。お地蔵さん。
これといった宗教に傾倒せずとも
不思議とこれらの行為に背筋が伸びるのは
親しみをもつのはなぜだろう。
親のまたその親のまたその親からやってきてることだからだろうか。
心が洗われるような気がする。
その後に図書館で久しぶりに本を借りた。
不思議とその言葉を感じながら
人の罪深さについて謝りたく泣きたくなった。
「世間との訣別のつもりでものを書いた」
その本にはそう書いていた。
自分の心に響くなにかを感じた。
おそらく先月では感じなかったかもしれない。
今だからこそ、と感じた。
人であることのいじらしさと醜さを見つめ続け、自分の中にもそれを感じ続ける。
生き方を変えていきたい、と心の中の自分が言っている。
まだ自分の中で自分の気持ちがよく理解できていないのだけど
ここ最近はなぜか「人間を主軸に置いた生き方からはもう抜けよう」という感覚が胸にある。
それは私が生まれるよりも遥か昔に思いを馳せるようなものなのか。
今はまだわからないけれど
この自分の中にある沈黙の空間を見過ごしたくないという気持ちがある。