例えば先ほどかいたブログの一例をあげると
零で発表するための音楽を現在は作っている。
色々な録音方法を試してみたが
一番しっくりきたのはMOTIVを使った1発録りだった。
弾いていると、弦が指に触れてびびった音がする。
歌っていると、出すべきところの音がでなかったりする。
今まではそれがある度に当然のようにやり直ししていた。
レコーディング現場でも確実にエンジニアさんから
「あーおしいね」とお互い言い合う場面になる。
私はその細かいニュアンスの探求にすごく時間をかけるタイプだった。
きっちり合わせて、かつ、ニュアンスもある、というような。
零でも、もちろん何回も録音し直している。
けれどそれは間違えないように、という録音ではない。
一番良い温度感の自分の瞬間を録音するために、という録音になっている。
だから、弦がびびっても声が出てない部分があっても
それも込みで、そしてそれ以外の部分の空気感がどうなのかで判断した。
おそらくはたからみたら「え、今の音出てなくない?」とか
「ノイズになってない?」と言われるような部分も
それが今の私には必要な自分の表現だと感じた。
なぜなら私は道のりの途中であり、ほとんど無知な人間であり
何も出来上がっていないような人間だから。
そういう人間が「間違いがないように綺麗にとる」というよりも
「この今の私という人間の歪さ、不完全さも込みで
それを自分で受容した世界観が正直に表れている音」
という視点で採用したいと思った。
今の自分を表現すること
そして自分という人間のするものづくりを探求すること
その中で自分も作品も変容していくこと
北極星のように指針とするものは愛だ。