この世界は深刻だが、しかし一方で馬鹿馬鹿しい。

私が人生で重きをおいてる基準は

「面白い」か「感動する」か。

それを感じるために生きてるといっても過言じゃない。

 

ボツになった回なのだが

しょへさんとポッドキャストとってた時

私が「例えばコンテストに出て私が落とされたら

落ち込むよりも審査員に対して「こいつセンスねえな」と思う」

と言ったところ

しょへさんが「どんだけ自己肯定感高いねん」と言っていた。

 

これも私の中では自己肯定感が高いというよりも

そう思う方が自分が面白いから、そう思うのである。

 

 

昔付き合ってた人と電話で喧嘩していて

私は若かったので

途中で泣きながら話しをするようになり

涙声でちゃんと話せなかった。

そしたら当時の彼が私の涙に全く触れずに

冷静に「何を言ってるのかわからん」

と言ってきたのに対して

それがなぜかすごく面白くなってしまって

「いやお前泣いてることに対してまずなんとか言おうや!笑」

みたいにいきなりシラフになってツッコミをいれるという

そんな思い出もある。

 

昔から素直に生きているので

感情移入しやすく涙もろいし怒る時もちゃんと怒るんだけど

一方でそれをギャグ的な視点でも見て楽しんでる自分もいる。

 

この世界は深刻だが、しかし一方で馬鹿馬鹿しい。

そんな気持ちで生きている。

 

高校生の時はさぼってばかりだったのだけど

学校に行くふりをして家を出て

そのまま朝マックに直行してまったりして

昼頃になるとお弁当を食べるのと掃除をしに学校へ行く。

掃除をし終えると帰る、という事がよくあった。

 

これも当時は普通にそれをしていたんだけど

今考えるとギャグっぽくて馬鹿らしいことしてるな、と思う。

自分の部屋は散らかってる方が安心するけど

自分以外の場所は掃除したくなる傾向があるので

学校に掃除しにいくと

高校の頃は真面目に掃除する人なんてほとんどいなかったので

私と先生で教室の掃除をしたりしていた。

「シギちゃんは掃除してくれて助かるわあ」と言われ

「いえいえ」と言いながら掃除を終えると

5時限目に出ずに帰る。

 

人生を素直に一生懸命生きるのは感動する

その一方で不真面目に馬鹿馬鹿しいことをするのは面白い。

私の人生はこの二つが軸になってできている。

 

すごく性格が悪いと思われそうだけど

怒っている人の話しも素直に聞く一方で

心の中で「めちゃくちゃ怒ってるじゃねえかw」と

面白がってる自分もいる。

けれどそれは表面に出さずに(あくまで表情は真顔で)

心の中で突っ込んでいるという光景が

客観的にみて面白く感じてしまう。

 

また、ものすごい絶望して病んで泣いてた時期が

思春期の頃にあったんだけど

その時でさえも鏡で自分の顔をわざわざみにいって

「めちゃくちゃ鼻水出てるじゃねえかwなんだこの顔w」と

泣きながら心でウケたりしていた。

 

なんだか、面白くなってきちゃうのだ。いろんなことが。

自分にそういう傾向があることに無自覚だった頃は

「私って一体なんなんだ・・・!!!??」と

自分がよくわからなくなったりもした。

けれど大人になって自分をより客観的に認識できるようになってからは

「面白いのと感動するのが好きで

ただそれに従って自分は生きてただけなんだな」と納得した。

 

人生を真に受けてるだけでは、深刻に捉えるだけでは

感動できる要素はあっても面白くない。

けれど面白さだけでも飽きる。

人間の深部が、馬鹿なくらいのまっすぐさが、欲しい。

どっちも感じていたい。

 

なので真面目に不真面目に馬鹿馬鹿しいこの人生を生きていきたい。

 

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