毎月お届けするCDと詩のお手紙
「ぼくを待つ」10枠解放致しました。
ぜひに♪
CDでのお届けかデータでのお届けか
タイトルに書いてありますので
お好きな方を選択してご注文下さい。
毎月お届けするCDと詩のお手紙
「ぼくを待つ」10枠解放致しました。
ぜひに♪
CDでのお届けかデータでのお届けか
タイトルに書いてありますので
お好きな方を選択してご注文下さい。
零始動記念ということで
この先ばんばんやってくで〜ということで
久しく売り切れにしていた手紙「ぼくを待つ」を
明日の20時より10枠のみ追加受付します!
毎月お支払いの定期便となっていますが
解約したい方へのお知らせも毎月しているので
「1回だけやってみたい」という方も遠慮せずに
どうぞご注文ください。
今回注文頂いた方は
1月からの手紙のお届けになります。(大体中旬〜下旬お届けが多くなってます。)
2021年からのキリ良い始まりということで
興味のある方はぜひに!
明日の20時にBASEの商品をアップしますが
ブログでも明日改めてURLをお伝えします。
先日、用事があってデパートに寄ったら
化粧品コーナーのCOACHのところに男性店員がいて
その周りに高校生くらいの男性が数名お客さんでいて
美容についての話をしていた。
「こ・・・これが今か・・・・!!!!」
確かに私の周りにはすごく美容意識高い男性は多くいて
脱毛とか保湿とかを行なっていたりするのは知ってるけれど
実際にデパートの化粧品コーナーで男性店員だけでなく
若い男性が友達たちとそういう場所にいっているというのを
初めて目にしたのですごく新鮮で嬉しい気持ちになった。
そうだよそうだよ・・興味があることは男女関係なく
なんでもやっていったほうがいいよ。
その方が面白いもん。
最近はそのほかにも他者に対して
性的欲求や恋愛感情を抱かない人がいて(アセクシュアル)
その方の話を聞いていて
・音楽で恋愛の歌ばかりなので自分の存在がいけないように感じる
ということを言っている方がいて
そうだよなあ、なんか恋愛ってみんなが当然にするものっていう
意識でいるけどそんなことないよな。
私だって恋愛はするけど、恋愛至上主義ではないし
性的な目で寄ってくる男の人は好きじゃないし
目の前の男の人を男というよりひとりの人間として見ていたいし見てるし
なので「恋愛ってみんなするよね、みんな恋愛に興味あるよね!」
というのは、みんながみんなそうでもねえよ?と思っている。
実際に恋愛感情や性的欲求をもたない人が打ち明けると
周りの人から「運命の人に出会ってないだけだよ」とか
「良い人に出会ったら絶対変わるよ」と言われて
理解されないことが多い、と言っていた。
自分が自然だ、当然だと思ってた価値観が揺さぶられると
「いや、それはあなたの勘違いだ」と言いたくなる気持ちは
わからなくもないけれど
十人十色という言葉がある通りに
この先はどんどん「実は私は〜〜だった」という告白が増えていくと思う。
それを聞ける世の中になっていることが嬉しいと思いつつも
なるべくその声を「あなたの勘違いだよ」という大きな声で
かき消すようなことはしたくないなと思う。
男が化粧しても、女がトランクス履いてても、
おばあさんおじいさんがポケモンしてても
子供が盆栽にはまっても
男の子がピンク好きでも、女の子が戦隊モノ好きでも
誰が何に興味をもっても関係なくて
男とか女とか年齢がどうとかよりも
みんなただのひとりの人間。
零のミニアルバムの中から1曲お届けです。
就寝前、ひとりで散歩している時、落ち着きたい時など
リラックスしたい時やフラットになりたい時にぜひ。
零freedbyshigi 1st.EP「ゼロ イチ」
7曲入り ¥2,000(*絵画と同時購入される方は¥1,000)
昨日、草津の町議会で性被害を告発した女性の会見を聞いていた。
裁判になるとの事なので
性被害がどのようなものだったのか
今その内容や結果はわからないのでここでは触れない。
その会見はネットで配信されていて
見ている人がコメントできるものだったのだが
コメント欄が地獄だった。
告発した女性に対して
「豚」
「町長のこと誘って断られたから腹いせだろ」
「胡散臭い顔」
そんな言葉が並んでいた。
性被害について声をあげた人に対する二次被害はひどいものがある。
勇気を出して自分の顔が晒されるのも覚悟で声をあげた人に対して
気に入らないからと、嘘っぽそうだからと裁きをいれる人たち。
容姿に対する中傷も容赦がない。
それを見ていたら、なおさら声をあげるのは怖くなる。
声をあげれば「性被害にあった人なら声なんてあげられないはず」と言われ
証拠がなければ「証拠がないなら信じられません」と言われ
証拠があれば「証拠があるってことははめるつもでやったんだろ」と言われる。
まさに泣き寝入りする状況を加害者被害者以外の人々が作っているのが現状。
これはフェミニズムとかの問題ではなく
人の尊厳の問題だと私は感じている。
働いていて性被害にあう。
セクハラといえばかわいく聞こえる。
暴行ではなくいじめと、窃盗ではなく万引きといっているように。
性犯罪ではなくいたずらといっているように。
なぜ働く場所で仕事に関係のない事で嫌な思いをしなければいけないのか。
それに抗えば「生意気だ」と言われ
周囲にもそんなことくらい我慢しなよ、自意識過剰じゃない?と言われ。
嫌な思いをした側がなぜ生意気なのか、我慢しなければいけないのか。
こういうことを言うと
「まぁねえ。でも大人ってそんなもんだからねえ」という態度の人もいる。
そういう言葉でそのままにしておいて本当に良いのだろうか。
汚さを許容してそのままにしておくのが大人なのだろうか。
それは大人ではないと思う。
理不尽に声をあげられる方が大人だと私は思う。
おかしいことにおかしいと言えるのが大人だと思う。
子供の見本を大人の背中で見せろというのならなおさらだ。
子供がいじめにあっているときに
「まぁでも人生色々だからね」と言って終わらせるのが
本当に正解だと思うのだろうか。
ハラスメントが話題にあがるようになり
生きにくい世の中になったという人もいるけれど
誰かを嫌な気分にさせることを面白いと思って口にする人の方がどうかしている。
「男女」の枠で話をするならば
女性の性被害について声をあげてくれる男性がいると心強いし
逆を言えば男性が性被害にあい声をあげた時に
女性である側が「男のくせに」などと言ったりしてはいけない。
どちらも同じ人間。傷つくことをされれば傷つく。
男女で壁を作って対立するのではなくて
互いが辛い立場にある時に先入観を捨てて
相手の話を親身に聞き声をあげられたらと思う。
私の言うことは綺麗事に聞こえるのかもしれない。
綺麗じゃないことをそのままにして知らぬふりするよりはマシだと思っている。
自分が思っている美しさを捨てたくはない。
理不尽なことに声をあげられない人を大人ではないと言っているのではない。
声をあげられない空気が作られているのだから仕方がない部分もあると思う。
「大人は空気読んで我慢して耐えていなさい」
「大人なんだからそんなことでいちいち事を荒立てないで」
傷ついた相手にそういう事を言って声を殺そうとする人が大人ではないと言っている。
それが大人だというなら私は大人に抗う側でいたい。
私の新しいプロジェクト零freedbyshigiですが
解放・リラックスをコンセプトに音源を作りました!ぱちぱち
明日youtubeで1曲あげようかと思います。
零freedbyshigi
1st.EP「ゼロ イチ」7曲入り ¥2,000
*絵画とセットで購入される方は¥1,000
ジャケットにしている紙は私の手作りで
一枚一枚のデザインも手作りです。
せっせこせっせこ量産中。
このような感じで紙のクリップに挟んでお届けです。
しおりなどに使っても頂けます。
作詞作曲と歌と録音編集とジャケット作りと
全部ひとりで初めてやってみました。
生生な生にしたいと思いリバーブなどの加工もなしにしました。
ギターの演奏も甘いし口笛が下手でちょっとふっと笑ったのが入ってたり
そんな完璧な作り込みじゃないようにしたのは
私の不完全さ、凸凹さを出したかったからです。
この時代は意味ややるべきことや考えるべきことに追われ
ニュースは悲観を煽るものが多く
知らず知らずこの環境にストレス以外に疲れも感じている。
今はどちらかというとプラスよりマイナスへ向く人が多いのではないかな
それも無理のない環境だと思う。
こんな時は無理にやる気にならなくていい 頑張らなくていい
やる気になれない頑張れない自分を責めなくていい
ただ何もない時間を 意味から離れた時間を
静けさの中で 自分の心を回復させていこう
聴いてる人に
私は私で不完全ながら
1曲1曲をただの私が歌を作ってうたっている
それしかできないけど それをただやっていく
不完全だし 甘い部分もある そんな今の自分で生きていく
そんなことを届けたいなと思い作った音楽7曲。
12月22日に絵画と同時に発売致します。
零についてのお知らせはまだありますのでお楽しみに!
今日は残り物のキノコとブロッコリーの芯をいれてお粥。
そんなに優しくしないでー!って言いたいくらい優しいお味。
その後に夜ご飯はサラダバーのステーキ食べるところいって
2日分くらいの食事をして暴力的にお腹いっぱいになる。
胃に対する飴と鞭がやばい。
今日は色々進めまくれて大満足な一日だった!
昨日そういえばちょっと絶妙な気分になりながら
玄関のドアを開けたら
欲しいものリストから2つダンボールが届いていて
涙ちょちょぎれた!!!!ありがたや。。
心が温まりました。。。
色々おもったことをブログに書きたいのがポツポツあるのに
時間がなくて書けていない。
明日あたりに書けたらいいなあ。
明日は零から新しくお知らせがありますのでお楽しみにですです。
いつもは何気なく見過ごす言葉が
後味悪く引っかかる時は
大抵自分の中に疲れや不満がある時だと思っていて
今日の私はまさしくそうで
あとこの間は
久しぶりに用事があってロフトに行った時
クリスマスカードのコーナーが目に入って
それを眺めてたら
なんの気持ちがわいてる訳じゃないのに
涙が出てきそうになってうるうるして
こういう時は大抵疲れてる時か感性爆発モードになってる時と思っていて(感性爆発モードの時は道路に書いてある標語に感動して泣くことがある)
多分今回のは普通にひとりでコツコツやり疲れなんだろうと思った。
さすがにひとり作業好きの私でも
100日以上身内以外に会わないのは
そしてやることをひとりきりでその間こなしていたら
そりゃ疲れるわなあ、と自分に言った。
あとこういうのをしている間にも
今まで自分が当然と思ってた価値に疑問がわきだしていて
価値観の断捨離期も同時にやってきてる気がしている
自分が信じてる価値観を覆すのって
過去の自分を否定するようだけど
基本はその繰り返しで生きていくんだろうなと思っている
その中でどれだけのものが変わっていっても
自分の中の真理として残る部分があって
それがあれば十分だなと思って
それ以外の自分に合わなくなった価値観は喜んで手を離そうと思っている
いずれにせよ変容の最中なのかもしれない
「本当のことを言ってくれ」
私はずっと人にそう思っていたけれど
本当のことというのは
目的に行き着くための通過点なのかもしれない
そんなことを最近感じている
その目的とはなんぞや
より深い自分の到達地点に目を凝らす
その目的を掴んだ気がするこの頃
それは表面だけ聞けば今までの自分を否定するようなものとも思えそうなのだけど
むしろ今までの自分が活きるように思えた
ずっと同じことを続けていけば信じていけばいいものではないと私なんかは思っている
流れの止まった水の中では魚は元気をなくす
だから変化は水の流れを作る
その流れに乗ったり逆らったりする
生き生きするとはそういうことなのかな
今の私は例えるならば
必ず敵を倒す前に一度絶望やネガティブなフェーズに入る主人公の気持ちのところにいる
これは漫画でいうところのあるあるなパターンやで君
と自分に言う。
頑張りすぎるとな
自分の頑張ってる姿がなんか惨めに可哀想に思えてくる
自分の意思で動かしているようでいて動かされているような感覚とかね
わしは一体なんのためにこんなひとりでへえこらしてるんだ。。とかね
あるあるーそんなんありますわー
でもそれは疲れてるとよくなる思い込み悲観現象でもあるからね
自分に甘やかすってどんなことかなーと思いながら
ひとまずやることパパッとやったら
あれは私好きだなと思えることをとりあえずする
明日はそうしよ(ブログ書きながら決定)