いつもどこかで誰かが泣いてる

三年前にこの歌を作った時よりも

今の時代の方が曲との距離感が近付いている気がしたので

弾き語りました!

https://www.youtube.com/watch?v=yE8tivdQYjQ

 

「弱者」 作詞作曲:シギ

ガラスの心が粉々に砕け散った

そばにいた人が泣きながらかき集めてた

粉々にしたやつを袋叩きにする人々の顔は

怒りながらもどこか気持ち良さそうだった

 

誰も傷つかない 誰も傷つけない

そんな場所があればどんなにいいだろう

宗教がいくらあったって いくら豊かになったって

いつもどこかで誰かが泣いてる

 

それでも僕は自分の心を殺さずに生きていきたい

きっとそれが人の心を殺さないことにつながると

信じている 今が例えどんなにくそったれだとしても

自分を救ってやれるのは最後は自分なんだ

 

言葉という刃物で誰かに後ろから刺されたとしても

何も考えないやつに考えすぎだなんて言われても

メンヘラや精神病や自殺志願者とカテゴライズして隔離したくない

僕らは誰も弱者なんかじゃない

 

誰だって自分に嘘をつかずに生きていれば

心がひどく落ち込んで病んでしまうときだってあるさ

それは弱い人間じゃない頑張ってきたってことだ

何も頑張れてないって自分を責めるかもしれないけど

 

ここまで生きてきたそれだけで頑張ってきた証だ

世の中には脅し文句がいろんな場所に溢れてるから

いちいち間に受けていたら不安になってきりがないよな

誰かじゃなく自分の心の声を信じ歩けばいい

傷ついたときも楽しかったときも

どんなときもそばにいたのは誰でもない自分自身なのだから

わたしを呼ぶ音

音がする こころの暗がりの先から

おそるおそる 歩みをすすめると
教会のステンドグラスみたいな
さまざまな色に光るガラスが
両脇にあらわれては
私のいく道を照らす

すべての色が わたしの一部

未来へつづく道は 心の中に架けられていた
迷わないように照らしてくれる
過去のわたし達が

この音は 未来のわたしが呼ぶ声なの?
今はまだ 何を言っているのかわからない

けれど確かなことは
わたしはひとりではないということ
わたしの過去の連なりが
今のわたしを見つめてくれている

https://shigi.thebase.in/items/64456260

おニューパン

千葉にあるパン屋さん「Blatt」に行ってきた。

ご夫婦で経営されてるお店の中は

革製品やかわいい蛍光イエローの靴下があったり

パン以外にも欲しくなりそうな素敵なお品が満載。

近いんですか〜?など軽く会話をして

ライ麦パンを食べてみたかったなどの話をした。

奥様がそんなに酸っぱくないと思うと話をされていた通り

確かに酸っぱさは感じないというかそれよりライ麦パンめちゃ美味だった!

普通の食パンよりも好きかも。

他のパンも噛めば噛むほど味がじんわり染み渡って。

山食パン(間違えて「さんしょくパン」といってしまった自分に数時間頭を抱えた)

山食パンのぶどう入り

プチバケット

ライ麦カンパーニュ

あと画像にないけどあんこベーグルも。

 

ライ麦のカンパーニュはスモークサーモンとレタスとチーズとマヨで

サンドイッチにして夜ご飯に食べた。絶品。

 

次は全粒粉に挑戦したいのでまた買いにいくだー!

心の悲しみを抱きしめる。

理不尽に奪われるもの。

暴力で一瞬にして。

安倍さんの命だけでなく、家族の、支援者の、仲間の

そして日本中の悲しみ。恐れ。動揺。怒り。

奪うものがいる一方で

救おうとする医療の方々がいて

助かってほしいと祈る人たちがいて。

人間の虚しさ、悲しさ、愚かさ、尊さ。

一言ではとても表せられない。

でも一言にするなら、ただただ悲しい。

テレビやネットで安倍さんの笑顔を見るのもしんどい。

今は、痛みや恐れや苦しみのない世界で安らかに。。

 

生きている私たちは心が少なからずストレスを負う。

しんどい時は情報から距離をおいて。

ゆっくりお風呂に入ったり、外の空気を吸って深呼吸したり。

自分に優しく、ケアを。

辛いね、悲しいね、と話し合える人とは声をかけあって会話して。

悲しみやショックが世間に溢れているとき

共通の悲しみを分け合うことで、痛みを分かち合う。

それは傷の癒しにおいて必要な道のり。

なかったことにしない、軽んじない。

痛みをしっかり感じて、そこから癒して。

ケアをお互いにしましょう。

今日はもう、生きてるだけでも、大丈夫。

溢れる痛みと悲しみを抱きしめて。

過去に会いにいく

もっとも馴染み深い所へ帰ろうとする時

それは成長の証なのかもしれない

小学校の桜並木が続く道も

涙で途方に暮れた長い恋路の高層ビルも

あの時の場所に戻っても

あの時の私はもういない

細胞も面影も新しくなった私がいる

過去と今を受け入れるための

準備が整った私がいるだけ

そして道は明日へ続く

喪失の恐れと痛み

風が吹いている見知らぬ部屋

この風はわたしにとって居心地の悪い何かを感じさせる

細長い部屋の先端まで歩いていくと

キリスト教的な古びた緑色の厳かな扉が開いていて

そこが風の発端だった

 

わたしはそこで大切な人を突然失った

連絡手段はなく どこにいるかもわからない

もう会えないということだけはなんとなくの予感でわかった

 

絶望的な気持ちで街を歩き

そこで会ったしょへさんに

「あの人がいなくなってしまった」と泣きながら話すと

なんだか訳のわからない返事をされて

そこで目が覚めた 午前四時だった

 

私の中に眠っている恐れはここに集約されていると

目が覚めてすぐに気がついた

夢はいつも私が必要だけど思い出せないことを知らせてくれる

 

特段重症でもないのにお腹が痛いなぁと横になったり

歯の治療の後に麻酔の周りに大きな口内炎ができたうえに舌を噛んで痛かったり

ここ数週間痛みが私につきまとっていた

付き纏いながらも

自分に欠けている何かを見つけようとしていた

でもこれは意識の中ではそれらしい答えにしかたどり着けないような

もどかしい気分でいた

 

最悪な夢を見たあとで

夢の中で感じた喪失への恐れは

私の根源的な恐れなのだとはっきりわかった

 

自分に必要なことは

願っていた声の通りに過ごそうと行動していくことなのだと(もっと真摯に)

そう意識では思っていたけれど

その願いを阻んでいるものは夢の中で見た恐れの部分だった

 

そして恐れが表出したものが痛みなのではないだろうか

探偵のようにひとつひとつのパズルを見てまわった

 

昨日描いた絵はひとつ脱皮できたような感覚になった

より自分に近づいたような。

体と心と記憶は如実に繋がっているんだなぁと感心した。

生きてるかぎりこの旅は終わらないだろう。

零の新しい作品です。

悲しみにふけ

深海にこころ眠らせたものだけが

降り注ぐ光の美しさを身にうけることができる

https://www.creema.jp/item/14220484/detail

声をきかせて

ガジュマルちゃんの葉が黄色くなり落ちた

あんなに元気だったのに

しおしおになった葉をとると

次の日にはさらに黄色い葉が増えていた

 

どうもサボテンと同じような育て方を最近続けてしまったのが原因のよう

サボテンにはいらないけどガジュちゃんには必要な葉水を怠ったり

水が不足していたみたい

 

夜と朝の二回葉水して

今までよりも水をあげる頻度を増やしたら

黄色い葉にならなくなった

 

こういう変化は生きているんだなあと感じる

喋らないから

人間側で何が原因なのかを調べる

 

おいガジュマル一体どうしたってんだよ。(吹替え風に)

サボテンたちにも話しかける。

ガジュマルちゃんが最近調子悪いからみんな助けてあげて〜

 

いや普通に水やってくださいって感じの原因だったんだけど。

生き物もなんでも喋れればねえ〜なんてよく言うし思うけど

最近自分の体や心に耳をいっそう傾けていると

自分のことも案外自分ではわからなかったりするんだなあ。

 

自分は何が嫌なのか 何が好きなのか

本当にそれはそうなのか

本当はどうしたいのか

頭が痛かったら薬を飲んでおさえこむような対処療法ばかりしてると

自分のリアルな声に鈍くなってしまうのかもしれない

 

教えてくれよお

ってガジュマルちゃんと自分に話しかける。