仏教の世界設定

ライブが終わった翌日というのは

大体好きなだけ寝るみたいな過ごし方だったんだけど

前回の熱い気合いの入りまくったライブの翌日も

普段と変わらない時間に起きるようにした。

そして洗濯・掃除したり料理したりしたけど

あんまり疲れなかった。

 

今週のシ組ラジオで話したんだけど

最近精進料理やハーブや仏教に関する本を読んでて

仏教の本の中で「日常こそ修行の場」っていうのが

すごく気に入った。

 

そもそも私は仏教の

「この世は地獄」っていう世界設定が好きで。

 

「この世は天国!」と銘打たれてしまうと

天災や人災や人間関係のトラブルなどが起きると

「この世は天国じゃねーのかよ」って思っちゃいがちだけど

 

「この世は地獄っすよ」って言われてると

色々コントロールの効かない出来事が続いても

「そうだよな基本設定が地獄ですもんね」って

受け入れやすい。

 

地獄の中で自分をどう活かすか

どうあるべきかって方が自分の設定もしやすい。

 

「日常が修行」もそうで

忙しいと片付けがめんどくさーいと思って

後回しにしてぐちゃぐちゃになりがちなんだけど

「掃除も修行」と銘打たれてることによって

「そうだよな修行だから辛いのは当たり前だよな」と思えるし

その辛い修行にとりかかってると(まぁ掃除なんですけど)

後回しにしてる時よりもよっぽど心の具合が良い。

 

仏教は実践という言葉も見たけど

実践してこそ得られるものがあるっていうのは

失敗は儲けもんでとりま行動の私とも相性が良いので

仏教の世界設定は私にとって受け止めやすい

使いやすいものだなあと思った。

 

前からたまに仏教に触れることがあったけど

前に触れた時よりも生活の実践編として

受け止められてる気がする。

 

精神性の方があれもしたいこれもしたいの

欲求まみれなので

精神性の方は去年出会った師の教えを胸に抱きつつ

生活の実践としては仏教の教えを暫く実践してみたい。