もう今は魅力に感じないもの

この間、久しぶりに泉鏡花を読んでいたのだけど

読みながら

「ああ今の自分は川端さんも、三島さんも、

泉鏡花も(なぜそこだけ呼び捨て)

響かない内容が多いだろうなあ」

と感じた。

 

男性目線で書かれた恋愛や

女性描写にどこか冷める自分がいる。

女性や恋愛への美化みたいなものが

どうにも苦手になっているようだ。

そういう物語を読んでると

登場人物に

「そんなことより働けィッ!!!!」と言ってしまう。

 

私の言う「働く」は

雇用などの仕事のことではなく

自分の役割を見出して

自分のためは大前提で

世のため人のために自分の力を使おうとすること。

その方が面白いじゃんっと思う。

 

ロマンがないねぇ…という人もいるかもしれない。

 

Z世代の方が書いた本を読んでいて

「大人たちは環境破壊も不況も含め

どうしてこの世界を正そうとせず

私たちに負の遺産を残したのか」

と絶望と怒りを抱いている人が少なからずいると書いてあった。

 

「仕方がない」で諦めて

恋愛や性的なことに刺激を求めて現実逃避して

汚いことも「それが大人だから」と誤魔化す

いや本当にたまったもんじゃないっすよね。

そんなの大人じゃないよね。

 

申し訳ないと思う。

他人事みたいになっていたのが。

誰一人他人事でいちゃいけないのにね、社会で起こることはさ

自分もその一旦なんだから。

社会とつながらないで生きてる人なんていないんだから。

 

そういうのをおざなりにしておいて

これから若い人達がこの先の日本や

世界で起きる試練が

もしかしたらその人たちが生きてる間に

地球に人が住めなくなるかもしれないと言われてるような

そんな負の遺産を放置して人ごとだと思ってきたことが

どれくらい情けなくてださい大人だろうって

自分で自分に思うと

恋愛がどうのとかの物語が心に入ってこない。

綺麗な女が〜とか、本当にどうでもいい。

お前の損得や欲の話でしかねえじゃねえかよって思う。

 

 

何か少しでも微力でも

自分にできることをやっていかないとって思う。

動物のことでも、子供のことでも、性被害のことでも、

環境のことでも、孤独のことでも、問題は沢山あって

全部を何かすることなんて出来ないし

全部が好転することなんて

私が生きてる間にはないかもしれないけど

だからといってそれを「仕方ない」っていって

次の世代に引き渡すような姿勢は

もうやめにしないとって思う。

 

私にできること。あなたにできること。

あなたにはできないけど私にできること。

私にはできないけどあなたにはできること。

それぞれがあって

だからひとりひとりの「できること」が大切になる。

 

私ができることはどんなことだろう。

あなたができることはどんなことだろう。

微力だって、無力じゃない。

 

自分が幸せじゃなきゃ

他の人の幸せを願えないかもしれないけど

自分だけが幸せだって

周りが不幸だったら笑いあえない。