そのどちらもないものは
良いものなのだろうか 悪いものなのだろうか
先生は言っていた
毒にも薬にもならないような人間になるなと
私はこの言葉にずっと刺激されまくっているから何度でも言う
先生の存在は賛否両論そのもので
先生を本当に尊敬しているか本当に嫌いかのどちらかだった
「俺の姿を見ろ」そう言える人間が学校の教育者であるべきだと
今日読んでいた本に書いてあった
私の好きな先生達は皆その言葉そのもののような人だった
それが良いか悪いかという判断なんていうのは最後で
もう最後でなくてもどうでもいいのだろうこの際
もっと重要なのは考えること 意味を自分なりに見つけること
正解のないものに意味を見いだすという作業
これは面倒なことだし
こんな事をしたから生きやすくなるかと言われるとそういうわけでもない
出来るだけ楽をしたいのが人間であるし
出来ればずっとどこまでも長いポッキーをずっとぽりぽりとかじっていたいものであるし
出来ればずっとふにゃふにゃした柔らかいどこまでも長いポテトをずっとふにゃふにゃとかじっていたいし
出来ればめるがトイレで踏ん張っているところを遠目で微笑ましく見守っていたいし
出来れば・・・
と言い出したらきりがないが
私が一番嫌なのは議論の余地もないということだ
タブーとか人権侵害とか誰かが傷つくとかそういうヒステリックさにかき消されて
見なければならない現実を誰も見ようとしない
向き合うということは傷がつくかもしれないし 誰かが喜べば誰かがそれに悲しむかもしれない
しかし何度でもその起こってしまった出来事に意味を見いだしてそれを生きる強さに変えてきたのが人間ではないのか
人の顔色を伺って
賛否すらも出来ずに流れている問題が そこかしこにある
そこにすぐ結論を出すということではなく 自分なりの意味を見いだすこと
私にとってはそういう事が自分という人間を知ること見つめること深めること
誰のせいにもしたくないから
自分というものに責任を置く
こうやって自分の言葉に重きを置くということをしていると
そのうちに「自分の考えこそ絶対的」という考えになるのではないかと思われそうだが
結論を出すということではなく 意味を見いだすということに
重きを置きたい
正解ではないものに意味を見いだすということ
その意味を表明することに恐れない姿勢
私の憧れる者の背中はいつもそうだった
賛否両論を超えていけ