久しぶりにモーニングして歌詞書き。
言いたいことを言い尽くしたら長くなった。
尾崎豊が見ても「いやそれ長過ぎね?」っていいそう。
これがひとつの遺書だとするなら
言いたいことは言っといた方がいい。
子供に対して伝えたいことを書いた。
ほとんどの大人の言うことなんて真に受けなくていい
という類のことを。
決まりに従って 表面上だけ綺麗に整えて
それでうまく生きた気になって
そういうのって全然面白くないよな。
子供の頃から思ってた気持ちは大人になっても変わらなかった。
子供の頃の私が大人に向けて言うよりも
大人の私が大人に向けて言ったほうが面白い構図になる。
子供を都合の良い駒のように扱いたい大人にとっては
自分の正しさでコントロールしたい大人にとっては
私のような人間は本当に煙たいだろうなと思う。
本当なら学校や不登校の施設に行って伝えたいんだけど
その前にそこを管理している大人に嫌われてしまいそうだ。
でも忖度したくないんだよな、その大人たちに。
私が思っている本当を子供に伝えたい。
本当のことを言ってくれる場所って本当に少ないなと最近感じる。
だから煙たがられても嫌われても
本当を届ける必要がある場所に対しては
本当を届けようと思う。
親が子供に聞かせたくない歌手になったとしても
私は子供に対して
大人のために自分を犠牲にして
自分を苦しめて我慢してお利口にならなくていいと伝えたい。
それが大人といえる年齢である私が言いたいこと。
大人だってびびってるし大人だって完璧じゃない。
そう大人の私が子供に伝えたい。
私は子供の頃に大人にずいぶん苦しめられてきたから。
その苦しんだ時の癖が大人になっても抜けるのに苦労したから。
大人の顔色を伺って生きていた時、
私に「大人の言うことなんて別に大したことない」と
言ってくれる大人はいなかった。
そう言ってくれる大人がいたら私はずいぶん楽になったと思う。
(しかし私の両親は私に対して寛容でいてくれたので
家族にはとても恵まれていると思う。
私がいっている大人というのは幼稚園と小学校低学年の頃の教師だ。)
だから大人の年齢である今、私は当時の私のような子供に対しては
本当に思っていることを伝えたいと思う。
相手がどんな肩書きだろうが偉かろうが年上だろうが。
大抵の人間の言うことなんて真に受けなくていい。
この人みたいになりたいとか、この人はすごいとか面白いとか
自分がそう感じた人の言うことに耳を傾けていればいいと思う。
どこにでも書いてありそうなことを言う大人の言うことなんてどうでもいい。
自分が「こういう自分がかっこいい、自分はこういう大人になりたい」
と思える場所に向かって生きろ、少女よ、少年よ。
私は味方だ。