数日前、めちゃくちゃ落ち込んだ時間があった。
時間として死ぬほど落ちたのは1時間くらいだったんだけど。
前にこんな話を見た。
自殺しようとした人がその行為にのぞんだきっかけとして
定期券を電車のホームに落として
その瞬間に何もかも嫌になって死のうと思った、というもの。
「え、そんなことで自殺しようと思ったの?」と思うかもしれないけど
私はその話はすごく納得した。
おそらくそれまでに、
ささやかな嫌なこと、我慢していること、不安なことが
溜まりに溜まっていたのだと思う。
それも、周りに話すことでもない、話す人もいないとか、
話したところでどうにもならないとか。
どうすれば解決するのかを考えるのがめんどくさいとか
それを考える精神的余裕もないとかで
そうやって放置してきたうちに溜まってったもの
その引き金をひくきっかけが「定期を落とした」ということだったのだと思う。
疲れてる時に赤信号が続くとか
お皿を割ってしまうとか
店員さんの態度に嫌な気持ちがしたとか
何かがうまくいかないと
「あーもう」とテンションがすごく下がる時がある。
これも、定期を落としたというのと似ている。
その出来事で下がったわけではないのだ。
その背後には、たまっている疲れやストレスや不安がある。
それに気づいてる人もいれば
自分にとってのネガティブなことが
当たり前になりすぎて気づかない人もいる。
今回のだと打ち合わせの最中に
相手の意見を否定に感じられてしまって
それこそが疲れやストレスの結果なのだけど
それにその時は気づく余裕がなく
「あ、もう何もかもいやになった」とか
「もう何もわかんなくなった」とか
そういうシャットアウトするような気分になった。
私のように潰瘍性大腸炎の軽症やメニエール手前と言われて
「え、自分にそんな負荷がかかってるなんてわからなかった」という
メンタルに鈍感になってる人、
生活が乱れているという人は、
少なくないどころか
そういう人の方が多いんじゃないかな?と思う。
それをそのままにしておくのは自分のメンタルだけでなく
体の健康にもよくないし
周りの人とのコミュニケーションもうまくいかなくなってくる。
だから私の場合は
お互いに疲れて少し物言いが荒くなったり
不穏になったときは
打ち合わせのあとにフィードバックをするように決めている。
なぜああなったのか。これからどう対処するかなど。
不穏になったり疲れたりするのは人間同士なのであってもいいけれど
その後のケアをお互いに忘れないようにしている。
私は子供よりは大人になった方がよっぽど楽しいと思っているけれど
それでも数日前に落ちたときには
「今後のこと、生活、健康など自分に関わることは
結局自分がなんとかしなきゃいけないんだ。」
としみじみ実感すると、大人ってしんどいもんだなって思った。
将来不安と、定かではないものと、それでもやらなきゃいけないものと、
やりたいものとが自分の中で渦巻いて巨大な竜巻になって
自分の心を乱すというか。
子供の時は責任がないからこその
不自由さがしんどかったけども。
女性の場合はホルモンバランスの変動もある。
韓国の作品達は生きることはサバイバルだ、というのをとても感じるけれど
それが世界的にヒットしているということは
現実がサバイバルだと感じている人は多いのだろう。
長くなったので
次になんで死ぬほど落ち込んだのが1時間だったのかという話をする。